小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

拝啓、20年前のクソガキへ

2024年01月22日 | 大切にしていること
■今回、3泊ほど父島に行って来て、
相変わらず素晴らしい出逢いと感動の連続だったのだけれど、
とびっきりの嬉しい言葉を頂きました。

それは24年前、僕が仙台の高校を卒業して、初めて19歳で小笠原で出逢った人からでした。
今回、本当に久しぶりに父島で話そう!となって、話す機会を作ることが出来ました。

僕自身は当時も今も大して変わった気がしていないのですが、
その人曰く、
「最初会った時はあなたは本当にクソガキで、
 うるさいし、人の話は聞かないし、
 そりゃすごいもんだったけど、
 20数年経って、今では尊敬できる人になってる。
 結婚して、子育てして、色々あったろうけど、
 本当にあなたは変わったよ~」
と言うのです。

おお!それはとても嬉しい!
わざわざ言葉にして言ってくれて、ありがとう!
しかし、自分で変わった自覚がまるでない(笑)。

今でもうるさいし、人の話を聞かない事もあると思います。
しかし、その言葉はじんわりと嬉しかったのです。

そして、母島に帰って、妻と話しても
「うん。今も変わらないクソガキだよねw」
とお互いで頷く状態(笑)。

■20年前のクソガキよ。
僕は今、あなたに逢いたい。

20年前と全く同じとは思わないけれど、
そんなに42歳になったクソガキを見て、
どう思うか聞いてみたい。

当時、仙台以外は知らなかったし、
結婚もしてないし妻も子供もいなかった。

それから大切な家族が出来て、
一緒に旅をしたり、
泣いたり笑ったり、
時には死にかけたりもした。

沢山の人に支えてもらっている。
何なら今この瞬間も沢山の人に支えてもらっている。

ああ、確かに19歳のあの頃は、
あまり感謝という気持ちはなかったかも知れない。

やりたいことが星の数ほどあって(今もだけど)、
新しい世界に飛び込みたくて(今も少しある)、
でも自分中心ばかりだったかも知れない。

家族が出来て、
小さな赤ちゃんが成長するのが奇跡で、
無事に育つなんて、親だけではとてもできないと思えてきた。

何でもできると思っていたけど、
それは色んな人、自然、世界に支えられている事に気付いた。
沢山の人と出来事が気付かせてくれた。
すると自然と感謝と尊敬の念が溢れてきた。


20年前のクソガキよ。
いっぱい人に迷惑をかけることもあるだろうけど、
感謝の気持ちは忘れず、
自分が助けてもらった事は忘れず、
自分に余裕がある時、
目の前に困った人がいたらフォローするんだよ。
それが恩送りってもんだ。

今日も、
昨日も
一昨日も、
なんか毎日色んな人に
嬉しい言葉を頂いて、
本当に生きていて良かったと思えます。

全然、議員らしい振舞いどころか、
大人らしいこともできちゃいないけど、
沢山の人に支えられて今があります。
どうもありがと~~!!

4年振りの島のどんど焼き復活!!

2024年01月15日 | 島のイベント
■昨日は母島青年会主催のどんど焼きでした☆
コロナ禍でやれてなくて、なんと4年振りの復活です♪
去年までは正月飾りを預かって、お焚き上げを行っていました。

なかなかゴミに捨てにくい正月飾りや破魔矢など、
こうした場があることで、しっかりと天に還せるのが大事な気がします。

今回からコロナ禍が明けて、ようやくみんなで美味しい芋煮を食べて、餅を焼きながらのどんど焼きが再開できてホッとしました。

みんなで火を囲んで色んな話をしながら、それぞれの過ごす時間。
コロナ禍でそんな当たり前と思っていた光景が3年も失われていました。

一心不乱に餅を焼く人もいれば、
ひたすら火を観察している人、
火には目もくれず、芋煮や餅のみにフォーカスする人、
おしゃべりが大好きな人、
みんなそれぞれ思い思いに過ごしている光景が戻ってきた事、本当に嬉しく思います♪


■気付けば台所もIHの人も増えてきて、
暮らしの中から火が無くなってきている昨今なのです。

焚火やキャンプすらなかなかできない島暮らしでは、
このどんど焼きという場が直火に触れる貴重な機会だと思うのです。

島の子供達も、「熱い!煙い!」とか言いながら、
火のそばを離れません(特に男子w)。
大人も子供もなかなか火の扱いは慣れない様子です(#^.^#)

母島伝統(?)の竹で挟んだ餅焼きも、
最初は黒焦げにしちゃうのが、
次第に上手になってくるから面白いです♡

途中から売店でマシュマロを買ってきて焼くことに気付いた人もいて、
気付けば餅からみんなマシュマロ焼きにシフトしていたり(笑)。


何故か大量の完熟シークワーサー(ヒラミレモン)が振舞ってあったり(#^.^#)


動物の中で唯一、火を扱い、進化したヒト。
焔の揺らめきを眺めていると、
どこか太古の気配を感じて、
ずっと飽きずに眺めていることが出来ます♪

きっと、石器時代の島の民も、
同じような景色で焔を眺めていたのでは?


青年会が前の日から仕込んでくれていた芋煮が温かく、とても美味しかったです(#^.^#)
どうもありがとうございました!


みんなお椀と箸を持参していて、
これが多様で実は面白かったりするのです(#^.^#)

日中は半袖で過ごせる1月の母島ですが、
日が落ちると途端に肌寒く感じます。

そんな時に火の暖というのは、とても心地良く感じます。
火の周りにも自然と人の輪ができるのです☆


元旦からの震災で寒さに凍えている地域の方も、
無事に暖を取れていることを願ってやみません。

母島青年会の皆さん、嬉しい行事の再会、
準備に片付けとどうもありがとうございました!!

小笠原消防団母島分団の出初式

2024年01月08日 | 島のイベント
■武道初めに父島へ行き、帰って来た6日はそのまま消防団の出初式に団員としての参加でした。

今回、僕は班長が不在なので班長役で参加。
慣れない掛け声もなんとかうまくいったと思います(#^.^#)

父島からも、母島からも沢山の来賓の皆さんが来てくださり、
地域の皆さん、子供達も見に来てくれて、
無事に終えれてホッとしています。
本当にありがとうございました!!

父島では14日に出初式が執り行われます。
コロナ禍が明けて戻って来た、
島の子供達向けの体験乗車。
来賓と団員での懇親会(カメ煮付!)。

少しずつ、大事な部分が戻って来て本当に嬉しいです。
懇親会の場で副団長が話していましたが、
小笠原には消防署がありません。
生業を持つ団員が集まる消防団。

今は定員を大きく割って、少ない状況です。

●現在の団員数
父島 32名
母島 18名
合計 50名
有事の際には招集がかかりますが、
全員が集まれるとは限りません。
それだけに分母が大きい事に意味があります。

消防団はボランティアではなく、
大きな金額ではありませんが、
報酬があります。

そして毎年訓練で、様々な知識を身に付けることが出来ます!
色んな方と交流する機会にもなります。
出動時、必ず出なければならないわけではなく、
団員が出れるタイミングの時だけで構わないのです。

ぜひ興味のある方は消防団に挑戦してみませんか?

●年報酬
団員 36500円
出勤手当(1回)5000円
点検整備 2000円
警戒 3500円
※福祉救済制度で補償あり

現在も被災して、救助が続いている能登半島震災。
報道を見るたびに、胸が締め付けられます。

現地でも地元の住民の暮らしと顔を知る消防団は、
とても大事な存在として活躍しているはずです。
若手議員の僕も、父島の平野議員も消防団に所属しています。

僕はもうすぐで15年くらいになりますが、
学びが本当に多くて、
所属していて本当に良かったと思っています。

火災も捜索も様々な事がありましたが、
どれも本当に大事な場面でした。

元々は沖縄で海難で救助されたことがあり、
その恩返しの為に入団しました。

小笠原に限らず、どの地域にも消防団は組織されています。
大変な事もありますが、とても自身の為にもなります。
どうか地域住民の生命、財産を守る為に、
活動してみませんか?

■今回の12月議会で防災の話がありました。
3人の議員が一般質問で防災面を質問していたのです。

年々、全国的に団員が減っていることが問題になっています。
地域の顔と土地を知っている団員がいざという時にとても重要と言われていますが、
離島にはそもそも消防署が無く、消防団だけという島が沢山あります。

せっかくの機会なので、小笠原に近い規模の新島や式根島と比較してみました。
各島の役場の担当者さん、ありがとうございました!

     人口  団員数  定員
父島   2153   38   67
母島   458    18    26

新島   1974  114  200
式根島  481   45   80
神津島  1775  163   -

そもそも人口比から考えると、小笠原に比べて定員数がそもそも多い!!
今日は新島と式根島の消防団の方とお話したのですが、
島の若い方はほとんど所属していて、
そうした風潮があるそうです。

地域の生命財産を支える消防団。
小笠原も定員を割っている現状ですので、
ぜひ団員が増えて行ってほしいと思います。

ボランティアではなく、報酬もあります!
ぜひあなたも自分の地域の消防団に入りませんか?


謹賀新年2024 ~2023年を振り返り新年を思ふ

2024年01月04日 | 母島 日常 日記
■改めまして、新年明けましておめでとうございます。
長女も無事に島で成人式を迎え、
母島では普通に平和な元旦、正月を迎えることが出来ました。

しかし、元旦から能登半島の大地震に津波、
1/2には羽田空港のJAL機と海保機の衝突事故など、
多くの人命と生活に関わる災害、事故が続いています。
余震もまだ続いているみたいで、本当に心配な状況が続いています。
被災された皆様、亡くなった方々へお見舞い申し上げます。


そんな元旦からの災害や事故の前になりますが、
母島の月ヶ岡神社で新年を迎えました。

年末格闘技RIZINの試合を観て、感動した後、
大晦日の夜に神社の境内の焔を眺めながら、
去年、この場所で厄年でもある2023年の挑戦を決める大きな出来事がありました。

ここでのおみくじで、人生であまり出た記憶のない大吉が出たら、
4月の小笠原村議会選挙に挑戦してみようという決意でした。
結果、僕にとってレアな大吉を引き、
1か月ちょい悩みに悩み、選挙に出る決意に至ったのです。
丁度去年の元旦の記事に書いていました。


■そんな訳で2023年の4月の地方総選挙で生まれて初めて、立候補しました。
結果、沢山の票を入れて頂き、初めて議員になるわけですが、
他の立候補者の皆さんに比べると、スタンスは少し違うと思っています。

スーツも着ず普段着で、街頭演説もしませんでした。
どうも選挙の時だけ良い事言って、
大音量で演説するのがいいとは思えなかったのです。

やったことは父島、母島で合同演説会をやって配信する事。
自分のマニフェストは動画で配信しました。
あとはポスターと葉書のみでした。

正直、僕は元々色んな地域活動をしていたので、
議員になろうがなるまいがあまり変わらないと思っていました。
(後で全然違うことがわかりました)

選挙の一番のメインは、受かる事よりも、
選挙公報がほとんどない小笠原において、
多くの人が立候補者の主張を知れて、
ちゃんと投票に行く事、興味を持ってもらう事の方が重要でした。

受かるかどうかは本当に二の次でした。
ただ、供託金15万円が戻って来る17票という投票数だけは超えたいと思っていました。

そもそも議員になるなんて自分の力でなく、
島の皆さんが選ぶことだと思っていたので、
素直に選挙中の演説ではなく、
20年間の僕の島の暮らしや主張で選ばれるかどうかだと思っていました。

蓋を開けてみれば、本当に沢山の島の皆さんの負託を受けて、
過去最高票で当選という、こんな自分でいいのか?と思うほどの票を頂きました。
当選の連絡を母島で受けた時は、その票数に心底驚き、気持ちが引き締まりました。
本当にありがとうございます!

今回の票は4年前の村議会選挙が無投票選挙で、
議会も高齢化も進んでいて、
40代という若手であること、
議会に新しい風を吹かせてほしいという願いと
色んなタイミングの意味もあったと思います。

これだけの負託を受けたということは、
しっかり議員としての役目を努めなければいけません。


■そんな訳で議員になって活動をしてみたら、
驚くほどただの個人による地域活動とは全然違うことが分かって来ました。

動けば動くほど、
今まで変わらなかった事がどんどん変わって行くのです。

議員として出向いてみれば、しっかりと対応してもらえて、
その後にリアルに活かせる場面が幾度となくあるのです。

元々は食わず嫌いをせずに、
まずはやってみて考えるの精神でやってみた部分は大きいのですが、
とてもとても手応えのある仕事ということが分かりました。

ぜひ4年後の選挙で色んな年齢、色んな性別、色んな人が選挙に出てほしいと思っています。
報酬はそれだけで暮らせる額ではありませんが、
すごく学びが大きく、やりがいのある仕事です!

有難い事に、沢山の方々の応援のお陰で、
想像よりも議員の仕事はずっと面白く、やりがいのある仕事だと思います。
議員に挑戦してみて、本当に良かったともいます。

もちろん、願った事がすべて叶うわけもないし、
力不足を感じる部分、至らない点、反省すべきところはありますが、
今のところはずっと前向きに活動出来ています。

この1年でも沢山新しい風を吹かせて、
変わってきた部分が幾つもあります!

色んな方々に迷惑をかけたりしながらも、
同時に沢山の応援や協力で支えてもらって、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
どうも有難うございます!
どうぞ今年もよろしくお願いします!


■月ヶ岡神社の初詣を娘たちと過ごしながら、
そんな事に想いを馳せていました。

長女が4年間のカナダ滞在を終えて、一時的に島に帰ってきた2023年。
長かったコロナ禍が明けて、色んな事が戻ってきた年。

そんな2023年は良い事ばかりではなく、
悲しい事も沢山ありました。

一番は大好きな人達の急逝が相次いだことです。
友人、知人、親族、憧れの人が天に召されていきました。
とても嘆き悲しいことです。

2023年はミュージシャンの訃報が多いと感じていたら、なんと31人も亡くなっていました。
去年までそんなまとめのデータが見つかりにくいので、
今年は顕著なのだろうと思います。

僕にとっては、
Hi-STANDARDのツネさん、
The Birthday(ミッシェルガンエレファント)のチバさん
BUCK-TICKの櫻井敦司さん、
X JAPANのHEATHさん、
BOWWOW(スラットバンクス)の新美さん、
デルジベットのISSAYさん、
坂本龍一さんの急逝がとても大きくショックです。
僕の青春に大きく影響を及ぼしています。

友人、知人親族もこの2年で、
若い癌の罹患や急逝が続いていて、
僕が40代になっただけなのだろうか?と疑問を持っています。

がんがこの10年ですごく増えたのも、
こうした急逝が増えているのも、
東日本大震災の原発事故、
新型コロナワクチンは無関係なのだろうか?と思ってしまいます。

自然発生的な急逝は素直に受け止めれますが、
やはり人為的な影響での急逝はなかなか受け止めきれません。

心よりご冥福を祈ります。


■気持ちが暗くなってしまいがちですが、
この年明けから島の新成人が集まって、成人式やこれからの未来を感じる嬉しい出来事は、
沢山の癒しと力を頂けました。

元旦の海開きで新成人による鏡開き。

島のみんなに「おかえり~」
「立派になったね!」
「綺麗になって!」
と言われる彼女たちを眺めては、
これからの未来への希望を感じています。

幾度となく、このブログでも書いていますが、
ハワイのことわざでもある「島はカヌー、カヌーは島」という言葉。

価値観が異なる人々が、
目的意識を持って、互いを尊重し合いながら、
共に活動していくという意味と僕は捉えています。


母島というカヌー、
小笠原というカヌー、
日本というカヌー、
地球というカヌー、
色んな事に例えて考えてみるととても大切な教えであることに気付かされます。

そして、僕にとってのクレアナ(責任、役目)が、
この1年でも明確に変わってきているのを感じています。

議員となってももちろん、
イチ親としても、
イチ個人としても、
自分に課せられた役目というのを感じて、
この2024年も活動していけたらと思います。

いきなり今日から父島へ行き、
武道初めに来賓として出席します(心は完全に母島柔道・剣道部の応援!)。
6日に母島に帰って来たらすぐに消防団出初式です。
こちらは議員としてではなく、団員として参加します。

すでにもう3月くらいまで予定が色々入りまくりですが、
どうぞ今年もよろしくお願いします!



祝!!20歳を祝う会 長女の成人式

2024年01月02日 | 母島 暮らし 子供
■新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!

元旦から能登方面で大きな災害が発生しています。
どうか1日も速い復旧と復興を祈ります。
亡くなった方、被災された方へのお見舞いを申し上げます。

そんな複雑な気持ちの元旦ですが、母島は特に何事もなく、
初詣に始まり、年賀状の配達、海開きと怒涛の様にイベントをこなしていました。
そして、長女がこの冬に帰島し、一番の目的だった成人式。
(今は18歳が成人になったので、正確には表題です)
無事に同級生4人全員が集合しました♪

元旦の海開きの後というスケジュールの中、
幼いころから知る4人の晴れ姿を見て、
ああ、ここまでよく無事に育ってくれたなぁと
しみじみと思いました☆
本当におめでとう!!

女子たちらしく、綺麗な晴れ着が揃うととても華やかです(#^.^#)

■一人一人の20歳のスピーチを聞いていて、
それぞれに想う事があって、目頭が熱くなりました。
この4人がここまで揃うのは卒業式でもなかったので、
それぞれのドラマを思い浮かべ、
本当にこの日を迎えれて良かったと思いました。

この4人は島の保育園から一緒ですが、
途中に抜けたり戻ったりと色々なドラマがありました。
※小学生時代は素敵な男子も1名仲間にいました(#^.^#)

島を離れて、内地で過ごしてみて、
初めて島の温かさ、優しさに気付かされたと話していました。

たった4人ですが、みんな個性豊かで、全然違う4人。
内地での何百人という学校であれば、
関わらない、話したこともない、名前も知らない同級生が沢山います。

しかし、母島は圧倒的少人数なので、
家族同士で知らない人はいないし、
人の子供も叱るし、
人の子供の成長を見守ります。

本土にはない環境で、ないものも多いですが、
ここでしかないものも沢山あります。

僕はここにしかないものに大好きな要素が幾つもあるので、
島で子育てを楽しんでやって来れましたが、
こうした島の子供達のスピーチを聞いていると、
本当に島で子育てできて良かったと感じました♪


■親ばかですが肝心の長女のスピーチもとても良かったです。
彼女の精神的成熟を感じさせてくれる内容でした♪

こうして生きて行きたいという部分は、
随分と僕と考えと似ているんだなぁと
不思議な気持ちになりました。

故郷の島に帰って来て、みんなに「おかえり~」と言われる喜び、
家族や関わってきた人への感謝、
人を大切にすると同じく、自分も大切にすること、
価値観の違う人を尊重できること、
どんな逆境でも楽しめるセンスを持つこと、
挑戦を恐れず、まずはやってみることなどを話していました。

人生のゴールなんて、
きっと死ぬまで分からなくて、
実はありはしないのだろうと思うけれど、
こうして自分らしく前を見て生きて行っている
成人した娘の姿と言葉はとても頼もしく感じました。

その頼もしい成人の娘を見て、親としてのゴールをひとつ感じたのです。

長女のスピーチを聞いていた島の友人が
「内面から出てる美しさを物凄く感じて、
 こちらまでなんだか素敵な気持ちにさせてもらいました。
 人間、内面の美しさって本当に滲み出るんだなぁと思いました!
 娘が、凪穂(長女です)みたいな女性になってくれたら嬉しい」
とコメントをくれて、とても嬉しかったです☆

他にも色んな島の方から嬉しい言葉を頂いています!
どうもありがとうございます


■そんな長女ですが、4年間のカナダ生活で、
前から弱かった日本語はさらに弱くなり(笑)、
英語でスピーチを作ってからわざわざ和訳し、
さらにその日本語のおかしさに悩むという前日夜でした(#^.^#)

親として、近くにいればそのツッコみ所が満載なのは相変わらずですが、
島でも別に暮らし、仕事をして、
経済的にも精神的にも自立できているので、
素直に今後が楽しみです♪

スピーチでも語っていましたが、
明確な将来の夢とかではなく、
生きたい場所、やりたいことは無数にあるので、
色々挑戦して、その時にホットな事をどんどん突き進んでいけばいいと思うのです。

そんな話をしたかどうかは覚えていないのですが、
そんな考えがとても柔軟で素敵だと思ったし、
間違いなく20歳の頃の僕には考えも及ぼないセンスと思いました☆

妻が作ってくれた色んな色のティーリーフローズが、
コンパクトだけど素敵に長女の頭を飾っていました♡


■そして、年末年始にも関わらず、
この式の為に準備、運営に動いてくれた関係者の皆さん、
元旦なのにわざわざ出向いてくれた
来賓の皆さん、島の皆さん、
みんなの着付けをしてくれた島の大先輩さん、
これまで娘たちに関わってくれたすべての皆さん、
本当に有難うございました!

子供の頃から、
小学生の頃の高遠、山村留学、
カナダでの留学に社会人生活、
コロナに帰国に今現在も、
ありとあらゆる人にほんと~~~~~にお世話になり、可愛がってもらっています。

この人のご縁が、彼女にとって本当に最高の財産と思います。
感謝してもし尽せません。

僕はこのご恩を、目の前の困った人をサポートする恩送りをしていこうと思っています。


■最後に
元旦から能登半島を中心に甚大な被害を及ぼした、大地震と津波がありました。

おめでたい元旦の時間だったのに、
被害に遭われた皆様は
余震が続く寒空の中、
家屋の損壊や津波、避難と大変な状況と思います。

亡くなった方々にご冥福の気持ち、
被災された皆様にお見舞いの気持ちでいっぱいです。
そして改めて、自分たちが住む小笠原の防災対策、
各家庭の災害時への見直しをしなければと思わされました。

少しでも速い復旧と復興を祈るばかりです。
どうかご無事でありますように。