小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

友達の死から教わること

2019年12月13日 | 母島 日常 日記
■今日は畑で大根葉の間引き作業をしていて、
ふと自分の友人や知人の死について考えました。

自分自身、38歳になり、人生で何度か友人・知人の死を体験します。
僕は15歳で父を亡くし、26歳で母を亡くしています。

特に今年は年明けから若い友人の旅立ちが続きました。

大事な人の若い死は本当に悲しく、遺された家族の事を思うと胸が張り裂ける気持ちです。
とにかく、親より先に死なないでほしい。

でも、若くして亡くなった友人や知人の死を思うとき、
なんだか自分の胸の奥が厳かになっていくのを感じました。

今、かけがえのない日常を
大好きな家族と大好きな母島で過ごせる有難みを感じたのです。

友の死がもたらすものがありました。


■まだ僕が20歳の頃、
西表島のユースホステル「いるもて荘」でヘルパーを半年していた頃、
朝まで良く飲み明かす、仲良くなった友人がいました。

名前は「城(じょう)くん」と言いました。

彼も内地から島に働きに来ていて、
確か年も10歳は違わなかった気がします。
とにかく、色んな事に挑戦する気概のある青年で、いっぱいよく話して過ごした気がします。

彼はダイビングショップや宿の職場を転々とし、
色々人間関係に悩みながらも、大原地区にあるシーカヤックのショップに務めることになりました。

僕が半年の西表生活を終えて、引き揚げる時にそのショップに遊びに行き、
一緒にパナリまでカヤックで出かけました。

途中から競漕になり(笑)、腕がパンパンになりながらも勝った覚えがあります(#^.^#)
「ジャイアン、すげぇなぁ!ガイドやってる俺より速いんだもん!!」
ホントかウソか、手加減か分かりませんが、
人を認める強さを持つ、素直な優しい彼の人柄が僕は大好きでした。

その5年後、小笠原で結婚し、子どもを授かり、持続可能な暮らしを求めて、
家族で1年間WWOOFを巡る旅に出た時、古巣の西表にも寄りました。

家族を連れての西表は懐かしいいるもて荘の女将さんに会えたり、
初めてのローゼルに出逢って種をもらったり、色んな収穫がありました。

※当時3歳の長女と僕 2006年12月沖縄多良間島にて

最後に懐かしい城くんに会うために大原地区のカヤックショップに顔を出しに行きました。
すると、ショップの店長が
「おお!ジャイアンか!久しぶり!!」と覚えてくれていました。
そして、城君の事を聞きました。

「城?ああ、あいつは死んでしまったよ」と言われました。
僕は頭が真っ白になりました。
えっ?死んだ??あの城が!?なぜ??

店長は語ります。
「あいつはいつも冒険に飢えていて、ここのガイドでお金を貯めて、
 与那国から沖縄本島をカヤックで渡る冒険に出て行方不明になってしまった。
 行方不明になって1か月後、無人のカヤックだけが宮古島(うる覚えです)に流れ着いたのが発見されたんだ。
 すごくいい奴だったんだけど、なんかいつも何かに満足できなかったんだよな。
 本当に残念な出来事だよ。」

確かに、大好きな城くんはいつも貪欲で色んな事に挑戦する気概のある男でした。
でもまさか、そんな無茶な冒険に出ていたとは…

僕は予期せぬ友人の死に気落ちしていました。
西表から離れるとき、妻が言いました。
「あなたは漂流して生き残った。
 お友達の彼は亡くなってしまった。
 そこに何の差があると思う?

 たぶん、あなたはこの世にまだやらなくちゃいけない事が残ってるのよ」
そう言われて、少し気持ちが戻りました。

そうか、亡くなった大好きな彼の分も生きなきゃいけないな。
心に強く思いました。

※当時3歳の長女 2006年12月西表島いるもて荘にて

■そして、今年の1月、母島に以前家族で住んでいて、
その後、屋久島に行ってレストランを経営していた友人が亡くなりました。
死因は癌でした。

彼はとても料理が上手で、
彼一流の考えを持っている素敵な男でした。
ギターも歌も良くて、僕と趣味も合い、とても大好きなやつでした。

一緒に仕事もしたこともあり、
彼の人生哲学はとてもカッコよく、まさにナイスガイでした。

去年、急に倒れて、病院に運ばれて癌のステージが4であるとFacebokに書かれていました。
本当にびっくりした。
まだ40代前半です。
治療のための募金も集めていて、早速僕は電話して募金しました。

久々に電話で話す彼は、いつも通りで、どんな状況も前向きに楽しむ強さを持っていました。
きっと大丈夫と思っていたのですが、
あっと言う間にあの世に旅立ってしまいました。

晩年には仲間たちが集い、
ステキなライヴも企画したりして、
彼の人生に魅せられた素敵な人徳を感じました。

彼がギターを弾き、幼い娘が歌った映像がありました。
曲は僕らが大好きなゆらゆら帝国の「うそがほんとうに」でした。
すごく、いい演奏でした。

でも、死ぬには早すぎるよ。
バカヤロー!!大好きだったぞ!!!


■夏にはごく身近な友人が亡くなりました。
彼も癌で40代でした。

島で百姓をしていて、自然農もパーマカルチャーも知っていて、
僕にとっては一番そんな畑の話ができる先輩でした。

島で食料自給しなければダメだと、
お互いが意気投合して一晩中話したこともありました。

ハンサムで気さくな笑顔をもつ彼の事が僕は大好きでした。

入院しても多くの仲間が内地の病院にも駆けつけて、
治療費の募金活動もあって、多くの友人に恵まれたなと心底思える人柄でした。

離れて暮らしてはいたけど、素敵な息子もいて、いいパパでした♪

なのにこんなに早くに旅立つなんて。
本当に悲しい…


■その後も秋に小笠原の色んな事業を支えるとても重要な40代も亡くなり、
島はそのショックに包まれました。
あんなに普通に話していたのに…

色んな事情で家族と離れて暮らす40代男性の死が今年はあまりに続いていました。
どうしてなのでしょう?

生活が不摂生になってしまうのでしょうか?
男の厄年は数え年で25歳、42歳、61歳と言われ、
特に42歳は大厄と言われています。

何か大きな節目となる年なのでしょうか。
理由は分かりません。

僕も来年は父が亡くなった39歳になります。

子どもの頃は周りが言うほど「若すぎる」が分かりませんでしたが、
今でこそ分かります。
30代で亡くなるという早さを。

僕は輪廻転生を信じてるし、
周りいる家族や友人はソウルメイトと思っているので、
極端に言うとさほど死は怖くないのですが、
まだまだやりたいことが山の様にあるので、
もう少しは元気に生きたいと思うのです。

願わくば、みんなが望むピンピンコロリがいいですね。
僕も尊厳死を望んでいます。

死んだら粉にして海に流してもらえれば充分。
お墓なんていらないです。


■偶然ですが、今日は大好きなhideの誕生日です。
今日、職場で同じhideファンに言われてハッとしました。

33歳でこの世を去ってしまった偉大なミュージシャン。

中学の時にX JAPANにハマって、hideのソロライヴは何度も足を運びました。
あんなに楽しかったライヴ経験は他にないでしょう♪

思春期の僕にはあまりに影響があった存在です。
彼の音楽も演出もインタビューやTVで話す彼の言葉は、
若い僕の心に響きまくりました。

とても優しく、人を楽しませるセンスに長けて、常に新しい事に挑戦するhide。
「何にもないって事、そりゃあ何でもありって事」
「人を楽しませたければ、まずは自分が一番楽しまないとね」
「やっぱね、やってなんぼなんだよ」
今でも走馬灯のように彼の言葉は僕の心に響いています。

奇抜なルックスと音楽は20年前とは思えず、今でも新しく感じます。
常に楽しみながらも、新しい事に挑戦する大事さを教えてくれます。

List in peace hide.


■亡くなった大切な人を想うとき、
自然と息は大きくなり、
気持ちが厳かになります。

ご冥福を祈ります。

ふと何かを見失ったときは、
もうこの世方旅立って、
どこかにいるみんなが支えてくれる気がします。

死は誰にでも平等にやって来ます。
怖いものではなく、当たり前のもの。
人によって早いか遅いかだけです。

そんなことをふと考える師走の畑でした。


3 コメント

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Unknown (お姉ちゃん)
2019-12-14 15:58:20
お父さん、死に目にはそばにいたいから、まだ死んじゃダメだからね。
お母さんもだよ。
かわい子ちゃんなんて以ての外、お姉ちゃんより先に死んだら生まれ変わったときに一発はったおすよ。

だいすきだよ。
あなたたちと家族として、同じ世界に生まれ生活できて幸せです。
ありがとう。
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Unknown (あかり)
2023-07-14 00:15:54
友人の突然の死から今年の9月で4年になります😞生前は自分の事よりも他人の事を一番に考える、そんな一面もありました。ある日自殺と言う最悪な形で生命をたったと知らされ「もっと早く気づいてあげればよかった」と思っています!生きていれば今年の10月で31歳になるはずだったのに・・・・。まだ完全に受け入れる事は出来ていません。夜分遅くに長文失礼しました。他人事とは思えずコメントさせて頂きました。
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>コメントありがとうございます。 (ジャイアン)
2023-07-15 07:13:44
>あかり様
コメント、ありがとうございます。
僕もこないだの5月に子供の頃から一番深く、共に生きてきた同い年の友人を自死で亡くしました。僕もまだ受け入れられません。だけど、亡くなった友人の分までハッピーに生きるしかないと思っています。
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