小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

島暮らし幸福論 ~カヌーを漕いで

2022年08月28日 | アウトリガーカヌー
■最近は便利屋さんの仕事で伐採や草刈りが続いています☆
昨日は午前に地域の職員住宅の草刈り清掃に混じって(笑)、伐採仕事を頑張ったご褒美に
午後はカヌー倶楽部の練習で沖へ行ってきました!!

夏休み終盤の土曜日。
みんな忙しいのか、いい感じに少人数、
久し振りに4人乗りの島カヌーで蓬莱根へ行ってきました。

途中のポイントでハシナガイルカの大群と、
ツバメウオの群れに出逢って、
じっくりと過ごすことが出来ました♪

美しい乳房山をバックに100頭を超すハシナガちゃん。

いつもSUPで会う時はほとんどスルーされることが多いのですが、
今日はカヌーの周りにしばらくいてくれたし、
カヌーの下にも来てくれて、
水中でもゆっくり見れて幸せな時間でした♡

エンジンのない手漕ぎのカヌーで沖に出ると、
イルカのジャンプや息継ぎの音がリアルに聞こえてきます♪

イルカの群れを発見して、大急ぎで向かうでなく、
自分たちがまったりとしていて、
野生のイルカの方から近づいてくれる時の幸福感は、
言葉になりません。

あ、下にいるかも!と思って、
すぐに水には入れたり、ゴーグル付けて海中の様子をお手軽に見れるのは、それもまたカヌーの醍醐味な気がします☆

実際に10m前とかで見れてるのに、写真で撮ると遠くに見えますね~
一番近い瞬間は僕もテンションが上がってちゃんと撮れてない場合が多いです(#^.^#)

蓬莱根の近くには沈船ポイントがあり、そこにツバメウオがよくいるポイントがあります。
最近はどこも透明度がいまいちなのですが、
今回はそんな中でも沢山のツバメウオが一緒に過ごしてくれました♪

ツバメウオって不思議なんです。
人懐っこいとはよく言われますが、
僕たちが海中に潜ると寄って来てくれるのです。

エサをあげてるわけじゃ無いのに不思議です☆



■そして僕が一番嬉しかったのは、
この幸せな時間を一緒に共有できる仲間がいて、
その仲間がこんな体験が初めてで心底喜んでいる場面に
立ち会えたという事でした♪

これは一人でSUPしていて、大自然に感動しているのとはまた全然違う喜びです☆
人が喜ぶのが嬉しいって、すごく素敵で、
限られた休日や休み時間にわざわざ海準備をして出向いて来て、
沖に行って、偶然にも野生動物や大自然に沢山のギフトをもらう。

これも島暮らしの醍醐味だと思うのです。

内地みたいに何でもあるわけじゃないし、
田舎ならではの苦労は人それぞれあると思いますが、
島暮らしならではの幸せもまた沢山あります(#^.^#)


■係留ブイにカヌーを留めて、みんなが海に入っていると、
人が乗っていないカヌーがぽつんと海面に残ります。
この景色、実は結構好きなんです(#^.^#)

イルカやツバメウオと楽しく過ごした後はみんなが最高の笑顔になります♡

船で舵取り役をしている場合、
イルカが出たり、ドリフトで流れがある所を泳いでいる場合、
状況に寄りますが、船に一人残って、操舵することがあります。

みんなが美しい蓬莱根の海を堪能している間、
僕はみんなの安全を見守りつつ、美しい乳房山の佇まいを見て、感動していました。

なんて良い所に暮らさせてもらっているのだろう。

みんなが「綺麗だったね~」「楽しかった~」と言って、カヌーに戻ってくるのを眺めているのが本当に嬉しい。

最近は母島はずっとお天気でまとまった雨が降りません。
沖ではこのようにスコールの雨雲の塊が分かりやすく雨を降らせているのが見れたりします。

こんな景色をみんなと「スゴイね~」「あの中はどうなってるんだろうね~?」
そんな他愛もない会話をしているのが、とても幸せでした(#^.^#)


■みんなと幸せな時間を過ごした後、
ひとりでSUPで夕陽を見ながら、(←まだ海に行くんかいっ!w)
そんな1日に感謝して、
色んなことを考えていました。

コロナ感染後、間違いなく色々体が進化しました☆

精神と時の部屋で過ごした10日間。
症状よりも、外に出れない辛さがトラウマになる程でしたが(笑)、
回復後は驚くほど頭も体もリフレッシュできて、生まれ変わった感じです。

最近は20時前に寝てしまって、
1時過ぎに起きるナイスミドルな暮らしになってきていて、
早起きは三文以上の得だなぁ~としみじみ感じています。
(深夜1時は早起きとは言わない!と言われますw)
いつもどうもありがとう☆

母島でメアジが20年ぶりに大量死!!

2022年08月26日 | 小笠原 野生動物
■8月24日朝、我が目を疑うほどの光景が母島漁港に拡がっていました。
メアジが大量に死んでいて、
もの凄い数のメアジが浮いたり、打ちあがっていたりしています。

島に住んで約20年、話に聞いたことはありましたが、
まさかその光景が目の前に広がっているとは!!

もう腐敗も始まっており、あたりは異様な腐敗臭が漂っておりました。

漁師さん達と話をして、
・これはかなり久々
・昨日の夕方はまったくなかったことは確か
・今朝から沢山浮かんできた
・メアジは夜に群れで一気に沖に行くと思う
・ボラやササヨは普通に元気に泳いでる
とのことでした。

過去の記事を調べてみると、
1999年8月、2001年10月にも同じ母島沖港で発生した記録があります。
季刊誌iBOにも掲載されています。
これまでも小規模のメアジの死亡はあったものの、
このように数千匹を超える規模の大量死は20年ぶりになります。


■僕は研究者でもないし、島出身でもないので、
漁師さんの話を聞いたり、過去の記事を見たりして考察してみました。
あくまでド素人の推測です。

今回の大量死の原因は酸欠が主原因ではないかなと思います。
数千匹のメアジの群れが明け方に沖から一気に狭い母島の漁港に入ってくる。
元々狭くて、水質の悪い沖港の漁港。
さらにはその前日に護岸工事で大きな岩を幾つも海に入れたり工事しているので、
通常でさえ水質が悪いのに、さらに水質が悪い状況の場所に、
メアジたちが一気に入ってきて、酸欠を起こして大量死してしまう。

先週は沖港の水温が26℃台だったのに、
22日頃から一気に30℃台に跳ね上がっているのも原因のひとつかも知れません。

酸欠に特に弱いメアジだけが死んでいるところを見ると、
毒物や汚染、鰓(エラ)が詰まって呼吸できない、の可能性は低そうです。
そうであれば他の魚も沢山死んでいるはずです。

根本的な原因は沖港の水質が常に悪い状況だとも思う。

今回はこんなところではないでしょうか。


■さて、直近の問題はこの大量の死骸をどうするかです。

いつも海にはお世話になっています。
他人事にする気はないので、片付ける気満々だったのですが、今日は入出港日、
そして翌日はお盆休み明けの貨物船共勝丸に大量の荷物を載せる準備の仕事が控えています。

当日の朝はまだ数千匹に及ぶほどは見えず、
僕などがカヤックやSUPで海面のを集めて、漁船に渡して、
漁師さんが沖に持って行って捨てるなんて話もしていました。

みんな何とかしないと困るよねと話しています。
この日は昼に2時間だけ隙間があって、作業できると考えていたのですが、
見ているうちにどんどん魚が浮いてくるので、
漁師さんと「2時間じゃ終わんないね。ちょっと様子を見るか」という事になりました。

と同時に東京都や漁協も各方面動いていて、
この未曾有の事態にどう対処するか検討していました。


■午前中は漁港内がほとんどだったメアジの死体も、
昼頃から大岸壁前、石次郎前、前浜も浮かびだしてきました。

この時点で事態がどこまで広がるかは誰にもわからないのです。
その不安はとても大きいし辛いものです。

こりゃ大変な事になったなと思うも、この日は入港日。
そんな海の中にははじま丸が入港してきます。

船に乗っていた皆さんもこの光景にギョっとしたことでしょう。

となると僕も夜までずっと宅急便や郵便、他荷物の配達や仕分け作業に追われるので、
何もできなくなってしまいました。

夕方せっせと配達していたら、
漁師さんが、「ジャイアン、明日土建屋が片付けてくれる運びになったよ!色々ありがとう!」と声をかけてくれました。

わあ!なんて有難い!
腐敗して間違いなく大変な作業であることには変わりありませんが、このままにはしておけないと思っていたので、
その予算と手配を東京都がしてくれて、
それを請け負ってくれる会社があって、
実際に作業してくれる人たちがいる。

本当に有難いと思いました。

■2日目、僕が見廻った印象では前日よりも数が減った気がしました。
潮汐で海に戻ったのもあると思います。

昨日浮いていたのも打ちあがっていたのもそうですが、
死んだ直後というよりは、もう少し腐敗が進んでいるように見えます。
痛むのが速いアジにしても、少し進み過ぎてる印象があります。

見ている最中にも浮いて来て、その様を見る限りでは、
死んである程度時間が経過してから、ガスなどが充満して浮いてきているのかも知れません。


いずれにせよ、昨日よりも絶対量が減った印象があり、少しホッとしました。
圧倒的に増えてくる可能性もあったからです。

朝から土建屋さんの人たちが打ちあがったメアジの死体を集めてくれていました。
僕も仕事の合間に声をかけると「ジャイアン、今夜これ食べるんだろ?」と
辛い作業なのに冗談を言ってくれます。いや、腐敗してて、絶対食えないけど(笑)!!

作業して隣の浜に行ってる間にもどんどん浮いてる魚が打ちあがってきて、
なかなか終わりが見えない作業…
結局、メアジ大量死の2日目の片付け作業初日は2500匹を超える死骸を集めてくれたそうです。

本当に感謝!!
僕もこの記事を書いている今日の15時半以降は片付けに行けそうなので、
終わってない分を作業しに行こうと思っています。
SUPもカヤックも必要があれば出すつもりです。
※追記 3日目の朝に数匹浮いているのを残して、無事に収束しました☆

せっかくいいお天気が続いている母島の夏。
どうかまた気持ちのいい沖港に戻ることを願っています☆

20年振りとはいえ、沖港の構造上の問題はぬぐえません。

灯台まで堤防を延ばして、海水の出入り口を狭くなってから、
沖港の水質は一気に悪化したと聞いています。

しかし間違いなくははじま丸の就航率は上がったことも事実。
SUPなどで荒れた海から戻ってくると、堤防の有難みは顕著に感じます。

最新の技術とかで堤防の下に水が出入りできる機構とか作って、
就航率を下げずとも、水質を良くする作りはできないのかな?と思っちゃいます。

前に島の建築、港湾の方ともこのテーマで何度も話すのですが、
やはり水質と就航率の両立は難しいようです。

今回の20年ぶりのメアジの大量死。
まだ片付けも含め終わっておらず、最中ですが、
この自然からのメッセージをどう受け取るかはヒト次第。

ピンチはチャンスと考えると、色々ヒントはありそうです(#^.^#)

過去には
2016年母島イタチザメ騒動などありました。
自然は色んなメッセージを伝えてくれます。





青の世界へようこそ!! 五能線編(資格取得ツアー⑥)

2022年08月24日 | 資格取得ツアー2022
■なんという美しさなのだろう。
こんなに綺麗な湖面は観たことがありません。

圧倒的なクリア感、透き通るような碧と日差し、
静かな佇まい。
圧巻でした。
僕はこの景色を前から見てみたかったのです。

その名も青池。
言葉にならないほどの美しい情景…
カナダのルイーズ湖、北海道のオンネトー湖、福島の五色沼などは見ていますが、
この色と透明感とロケーションは最高です!

そんなここは人生で初めて訪れた青森県。
その青森の西側に世界自然遺産にも登録されている白神山地という大きなエリアがあります。

その白神山地の北西部に十二湖があります。
この美しい青池は十二湖の一番奥にあります。
(JR五能線十二湖駅から5.3km行くと見られます。)

僕はこの有名な青池を、去年まで本当に全然知りませんでした。
しかし、母島にいた友人が、インスタにアップしていて、とても気になった1枚だったのです。

友人にその池の名前を教えてもらい、なんと日本に、しかも東北にあると知ったのが、去年の夏でした☆
いつか見に行きたいなぁと思ってはいましたが、今年の初夏、内地に資格を取りに行く事になり、
なんと1年でその望みが叶いました☆
本当に感謝!
この素晴らしい景色を教えてくれてありがとう(#^.^#)

写真ではその美しさの半分も表現できていない気がしますが、
気になる皆さん、これはもう現地に行って生で見るしかないですよ(^^♪

初めて行っていきなり天気も日差しも良かったのは幸運でした(#^.^#)
今回の資格取得ツアーで何度か雨には当たりましたが、
観光メインの東北周りの時は、とにかく天候に恵まれていました♡
ありがたいことです☆

タイトルの「青の世界にようこそ!」におっ!と思ったアナタ!
BUCK-TICKのコアなファンですね(#^.^#)


■その美しい青池もさることながら、生まれて初めて訪れた青森は
景色はいいわ、
人は優しいわ、
ご飯は美味しいわ☆の三拍子が揃っていました♪

特に白神山地の海側を抜ける五能線が傍を走るこのルートは、
今回のツーリングで一番の景色でした♪

時々すれ違うライダーたちと大好きなヤエー!を交わしながら、
最高の景色を駆けて行きました。

単線のJRが美しい海岸線沿いを行く五能線。
過去に廃線の危機に瀕するも、
その景観の良さから一気に観光で復活した路線だそうです。

その横をバイク(カブ90)で駆ける景色は最高でした!

実はこのルート、結婚前だった東北旅大好きなうちの奥さんが
超お勧めのルートでした☆
東北出身なのに今まで青森も秋田も行ったことなかったのは、
この年に機が熟し、感動するためだったのかも知れません(笑)。


今回の初青森の大まかなルートです。
見事に海岸線ルートばかりを走ってきました。
自分で地図を見て、自分でもビックリしました(笑)。
前日に秋田の男鹿半島の先端まで行ってますが、
そちらはまた秋田編で書こうと思います☆

今回の東北バイク旅は日程を大体決めるだけで敢行しました。
事前に大まかな予定だけを決め、詳しい行先もルートも決めてはいなかったのですが、
最初の茨城滞在あたりで気付いてしまいました。

僕にとっては内陸の景観よりも、海のある景観がたまらなく好きだってことに♪

そんな訳で内陸ルートより道幅は狭いし、
グネグネで時間もかかるルートを選んだわけですが、
全く何も気にならないほどの美しい景色の連続でした♡


日本海の海も白波が立っていて、美しく、こんな海沿いに田んぼがあるのもなんだか不思議でした。
内陸の仙台生まれ育ちの僕にとっては田んぼの先に大海原って、とても新鮮な光景でした。

停まってばかりいると、あっという間に時間が過ぎてしまい、
その日の目的地にたどり着けない!という問題が発生しても、
宿も何も予約していないので、あまり問題にならないキャンプ旅の醍醐味です☆



■美しい海岸ルートの五能線の北の終点エリアに美味しいイカ焼きがあると、
母島の青森出身の大先輩が超お勧めしてくれていたので、
今回はそこに行ってみました。

「七里長浜 きくや商店」です。

行ってみるとなんか志村けんが気に入ってる店とか、犬が有名そうな雰囲気がありました。
が、僕はそれ以上に表でイカが干されている景色を眺めていました。

すぐ近くでは物欲しそうなカモメたちがひっきりなしに鳴き交わしています。

もちろんどれも母島で見る事のない景色ですし、
何より青森に来るまであまり見たことが無い景色なので、とてもワクワクしました♡

やっぱりその土地の食べ物を食べるのも、
僕にとって旅の楽しみのメインのひとつです(#^.^#)

店に入って、まさにイカを焼いている定員の女性に注文し、カッコよく焼いているイカの写真も撮らせて頂きました。

すんごいいい匂い!!

お店の裏に眺めのいい場所があったので、屋根の上に沢山いるカモメ達にイカを狙われつつ、
食べてみたら…

旨さも硬さも、味も抜群のイカ焼きでした♪
島で食べるアオリイカももちろん美味しいのですが、
この絶妙な硬さと旨味は絶品でした♡
これはおススメしてもらわなかったら、通り過ぎていた可能性大なので、大感謝です!


■もうひとつ見たかった景色があります。
津軽にそびえる岩木山です。

これはこの津軽地方にそびえる象徴のような美しい山で、
亡くなってしまったのですが、岩木山の麓にある森のイスキアの佐藤初女さんが大好きだったので、
ずっとその岩木山を見てみたいと思っていました。

また妻が昔、東北旅をした時に「津軽ってどこまでが津軽なんですか?」と地元の人に尋ねたら、
「岩木山が見えるところが全部津軽だよ」と言っていて、その言葉に感動した話を聞いていました。

母島には青森出身の方が数人いるのですが、
なんと100歳を超える青森出身のレジェンドおばあちゃんがいます。
その岩木山の話をしたら、凄い笑顔で「ああ、そうなんだよ~♡」と言っていて、
ああ、地元の人にとって、精神的にも、視覚的にも大事な象徴のような山なんだろうなと思って、
見るのを楽しみにしていました☆

今回、その岩木山の景色の中をバイクで駆けてみて、
その美しさ、シンボル性がよく分かりました♪

人それぞれ、その土地に住んで大事な景色ってあったりしますよね。
僕にとっては仙台の広瀬川の橋と河川敷だったり、
母島だったら乳房山だったりします。

今度はもっともっとこの津軽地方の人に接しながら旅したいと思いました(^^♪


■白神山地の立派なブナの木を眺めながら、
この資格取得ツアーの設定時に偶然にもバイクと東北旅の余白があって、
本当に良かったと思いました。

那須塩原のフォークリフト講習、
その後の仙台のチェーンソー講習の日程に6日間の空きが発生しなければ、
こんな旅すら思いついていなかったのです♪
東北旅を思いつかなければバイクを持っていこうと思わなかったのです♪

色んなおススメやエピソードを教えてくれた先輩のみなさん、
現地で大変良くしてくれた優しいみなさん、
そしてこの奇跡のような采配をしてくれた神様、
どうもありがとうございます(^^♪

2泊の青森を1記事で書こうと思ってましたが、
充実しすぎていて、全然足りませんでした(笑)。

次回は津軽半島龍飛崎編をそのうちアップする予定です。
お楽しみに!


前回の記事
カブ90の凄さ ハプニング編

戦後77年の終戦記念日に

2022年08月17日 | 戦争と貧困
■8月15日。
終戦記念日。

この夕焼けは8月15日のものです。
圧倒的なこの焼けを見ながら、色々思うことがありました。

今この瞬間もロシアによるウクライナ侵攻で戦争が続いているし、
報道されない紛争や略奪、不当な苦しみで過ごしている地域があります。

最近ではチベットやウイグルの人たちの祖国と文化を奪われる悲惨な本などを読んだりして、
世界は全然平和じゃないと落ち込んでしまったりもします。

ロシア、ウクライナについても様々な情報が飛び交い、
ロシア側のプロパガンダ的な発信は信用できないと思うし、
西側メディアの情報も鵜呑みにできないと思っています。

核の保有や軍の配備、どちらかに従う事などで戦争がなくなるワケがないのは百も承知です。

でも、やっぱり世界平和は多くの人が強く願っていることだと思うのです。

昔、山梨と新潟が本気で戦争して殺し合いをしていたのに、
ヨーロッパなどの王国や国々が戦争をし続けていたのに、
EUや時代で今では戦争が相当起こりにくい状態になっています。

そんな状態が地球規模で成り立ったら、どんなに素晴らしいのだろうと思っています。


■今年も小笠原では戦没者追悼式典が行われました。
僕は父島に住んでいたころから、すっとこの式典に参加していました。
家族もコロナ禍の前まではできる限り参加していました。
とても大事な事を思い出させてくれる場所なのです。
近年は招待されて出席する場合も多くなりました。

村長、議会、総合事務所所長、東京都小笠原支庁長が来賓としてスピーチしていました。
現在の戦争や紛争、そして太平洋戦争で失われた命に対して追悼の言葉を述べていました。

毎年、その言葉を聞きながら、
戦争を実体験として経験していない自分にとってできる事はなんだろうか?
今を生きる、未来に生きていく子供たちに戦争や紛争のない世界をどうやって作っていけるのか?
をずっと考えていました。

力ではなく、対話を。
といっても侵略されてしまったら?
今回のウクライナ侵攻で、北方領土をすぐ数十キロ先に構えているリアルさを痛感しながらも、
インドネシアから独立した東ティモールの行動が痛烈に思い出されました。
家族が無残に殺されてもなお、復讐ではなく、
27年もかけて説いて理解を求めていったという行動
を強く思い出しました。


■これは硫黄島の摺鉢山です。
手前の海岸は米軍が上陸してきた海岸です。
2016年の硫黄島訪島事業の時に始めて訪れることが出来ました。
太平洋戦争が終わってもう77年経つのに、未だに故郷に島民が帰れていない、埋まったままのご遺骨が1万以上も眠っている…
そう、小笠原はまだ戦後が終わっていないのです。

77年前、太平洋戦争があった時、今私たちが住んでいる小笠原諸島は日米両方にとって、とても重要な位置として考えられていました。
その中でも平らで空港を作れる地形の硫黄島は最重要軍事地点として定められました。
ここから日本本土へ直接空爆に向かえるからです。

その為に硫黄島は地下に何十キロと壕を掘り、島全体が要塞となりました。
沖縄とは違い、一般島民は日本本土に強制疎開となりました。
硫黄島は米軍が上陸してきて、激戦地となりました。
幾人かの島民は軍に所属して、硫黄島でも多く亡くなっています。

父島や母島は上陸して戦闘になる前に終戦を迎え、
空襲などで済んだそうですが、上陸戦に備えて、要塞化されていて、
今もその戦跡がいたるところに残っています。

小笠原はそんな歴史的な背景から、平和都市宣言を行っています。
僕はそんな小笠原だからこそ、平和に向けてできる事がもっとある気がします。

戦争を直接体感していない世代の僕たちは、
もっともっと戦跡や硫黄島の今も弾痕だらけの岩壁を見て、
戦争の事を考えなければいけないと思うのです。

~小笠原村平和都市宣言~

平和で豊かな自然の中で暮らす我々小笠原村民は、世界中の人々が平和を分ちあえることを願う。
この願いは、小笠原の生い立ちが物語つている。

我々の先人が築いた文化を、歴史的に分断した強制疎開。
今なお一般住民の帰島が許されず、遺骨収集もままならぬ玉砕の地硫黄島。

このような地小笠原に生きる者として、戦後50年を迎えるにあたり、
不戦と恒久平和を誓い、豊かな自然を後世に残すために、
小笠原村が平和都市であり、またその使命を全うすることを宣言する。

平成7年8月15日
小笠原村




■広島に原子爆弾が落とされた8月6日に平和記念式典がありました。
そこで核について、とても心に染みる言葉で否定した湯崎英彦広島県知事。
ここに紹介したいと思います。

本日、被爆77年を迎えるに当たり、原爆犠牲者の御霊に、広島県民を代表して、謹んで哀悼の誠を捧げます。
そして、今なお、後遺症で苦しんでおられる被爆者や、御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。

あの時、川土手で、真っ赤に燃え盛る空の下、中学生らしい黒い人形の様な人達がたくさんころがっていたお母さん。
その声もだんだん小さくなり、やがて息絶えていった。

生き延びても孤児となった子どもは、転々と身を寄せた家に居場所もなく、廊下に風呂敷を置いて着替え場所とし、被爆者の病気はうつるなど、差別に苦しんだ。
被爆者が、人生をかけてまで核兵器の廃絶を訴え続けるのは、人間らしく死ぬことも、人間らしく生きることも許さない、この原爆の、核兵器使用の現実を心と体に刻みつけているからです。

その思いが原動力となり、今年6月、核兵器禁止条約第1回締約国会議が開催されました。
被爆者の切実な思いが、世界をもう一歩前に進めた瞬間でした。

他方で、東欧では侵略戦争が勃発し、あまつさえ、その侵略国は核兵器の使用も辞さないとあからさまな脅しを世界にかけるばかりか、当事者でない国の人々さえ、身を守るためには核兵器が必要だと言い始めています。
我々の多くが、侵略者の脅しが単なる虚勢ではなく、実際に核兵器が使用される危険として認識したのではないでしょうか。
つまり核兵器は、現実の今、そこにある危機なのです。

ウクライナ侵略で世界が突然変わった訳ではありません。
世界の長い歴史の中で、理不尽で大量の死を招く暴力は、悪により、しかし、時に正義の衣をかぶりながら、連綿と繰り返されてきました。
現在の民主国家と言われる国でさえ完全に無縁とは言い難いかもしれません。
人間の合理性には限界があるという保守的な見方をすれば、この歴史の事実を直視し、これからもこの人間の性(さが)から逃れられないことを前提としなければなりません。

しかしながら、力には力で対抗するしかない、という現実主義者は、なぜか核兵器について、肝心なところは、指導者は合理的な判断のもと「使わないだろう」というフィクションたる抑止論に依拠しています。
本当は、核兵器が存在する限り、人類を滅亡させる力を使ってしまう指導者が出てきかねないという現実を直視すべきです。

今後、再度、誰かがこの人間の逃れられない性(さが)に根差す行動を取ろうとするとき、人類全体、さらには地球全体を破滅へと追いやる手段を手放しておくことこそが、現実を直視した上で求められる知恵と行動ではないでしょうか。

実際、ウクライナはいわばこの核抑止論の犠牲者です。
今後、繰り返されうる対立の中で核抑止そのものが破られる前に手を打たなければなりません。

地球温暖化は200年、パンデミックは2年超かけて、人類の持続可能性に疑義を突き付けました。
核兵器は、誰かがボタンを押せば人類の持続可能性は30分かもしれません。
核兵器廃絶は、人類の持続可能性のために最も喫緊の課題であることを認識し、最後の核弾頭が解体・破壊され、この地球上から核兵器が完全になくなるまで休むことなく全力を尽くすことを改めてここに誓い、平和へのメッセージといたします。

令和4年8月6日 広島県知事 湯崎英彦



■「戦争は究極の自然破壊行為です」
鳥類学者の川上和人さんが島のガイド講習で言っていた言葉を思い出します。

固有種や貴重な動植物を抱える小笠原。
今もその保全活動に莫大な予算と手間がかかっています。

だけど、戦争になればそんなものを保護するゆとりなんて無くなります。
自分たちの命がかかってくるからです。

その証拠に火山列島の北硫黄島、南硫黄島は山ばかりで戦争の舞台になりにくかったことからか、
貴重な動植物が沢山残っていますが、
一番大きくて豊かなはずの硫黄島はその貴重な動植物がほとんど残っていません。
(飛べたり、風で飛来できるコウモリやハトはいます)

島で畑で普通にライフルの弾や砲台を見る時、
山の中の戦跡を見る時、
こうして終戦記念日に黙とうをして、戦没者に追悼するときに、
追悼だけでなく、自分たちが未来の平和にないして何ができるかをさらに考えるようにしたいです。

最後に僕は歴史や戦争に全然疎かったのですが、
高校の時の歴史の先生が
「君たちに一番大事なのは近代史、戦争の事だ。
 教科書に載ってない戦争の本当の姿を教えるからな!!」
と熱く授業をしてくれた恩師のお陰で一気に戦争に対して学ぶことが出来ました。

今回の資格取得旅で仙台に行き、久しぶりにその恩師に再会できて、
すごく嬉しかったです。
あの教えがなければ、あの年齢の頃から戦争について前のめりになれなかったと思います。
今でも深く感謝しています!
本当にありがとうございます!

※最近の参考
田中優さんのウクライナ紛争の記事が色々と勉強になっています。

“Kwa'layu” コワラユ

2022年08月09日 | カナダ留学 長女
■母島にはPTA広報誌「万年青(おもと)」というものがあります。

これはPTA万年青編集部が企画して、各保護者や教員、その他ご縁のある人に原稿を依頼して、
年3回発行の活動をしています。

僕は色んな保護者の普段見れない目線や優しさ、
その家庭でしか分からないドラマを知ることが出来るこの万年青が大好きなのです。

7年ほど前だっただろうか、
その時も万年青編集部になったばかりだった僕は、
時々真っ白な空ページがあることに気付いて、
巻末に特設ページを作ることを提案しました。

題して「先輩からの手紙」。

その時の第1号が、当時初めて小笠原高校から次世代リーダーシッププログラムに参加となり、
オーストラリアに留学している高校生にEメールで原稿依頼をして、
素晴らしい原稿を仕上げてもらった記憶があるのです。


■今回、なんと編集部でそんな話をしていたら、「じゃあジャイアンの長女がカナダ留学してるんだからピッタリじゃん!」と
逆に言われ、親としては全くの想定外でした(笑)。

例によって締め切りを守るのがあまり得意でないことは分かっていたので、
実際の締め切りより3週間早めに設定し、ようやく仕上げてきた長女の文をここに紹介します。


【“Kwa'layu” コワラユ】

母島のオハナは元気にしているだろうかと、ふと思うときがある。
私はカナダに来てもう三年が経ち、つい二週間前に高校を卒業したばかりだ。
帰ったら話したい楽しい思い出は旧ヘリで望める星の数ほどできたし、辛い思いをすることも勿論あった。
それでもこうして今の私がいるのは、大切な家族はもちろん、ふるさとの島のみなさんのおかげに他ならない。
こんなに遠く離れていても、いつも気にかけてくれている人たちがいると思うと、それだけで胸がいっぱいになる。

私の住んでいる小さな港町は、主にKwakiutl(クワギワ)という先住民族の伝統的な領土だ。
彼らの使う言葉はKwak’wala(クワクワラ)と呼ばれ、今では流暢に話せる人はおよそ200人ほどしかいない、いわば絶滅危惧言語。
先住民族の言葉は英語とは異なり、少し複雑でとても興味深い。
私が学んだKwak’walaの中でもひとつ、この言葉を。Kwa'layu(コワラユ)。
その意味は”You are the reason for every breath that I take”、 訳すると、
あなたは私のつく呼吸ひとつひとつの理由、つまりあなたは私の生きる原動力となる。
これは自分にとって大切な大切な人たちを指すパワフルな言葉で、ネイティブにとっても簡単に口にするような言葉ではない。
でも、私にとってのKwa'layuとは、他の誰でもなく、太平洋の端の小さな島で今これを読んでくれているオハナたちなのだ。
あなたは私の生きる原動力。いつもありがとう、love youずっと!
※オハナ=ハワイ語で血縁を超えた家族を含む、大いなる家族のこと


カナダ、バンクーバー島ポートハーディーにて

■長女の文章となると、親としてはこっ恥ずかしいのですが、
自分が大好きで触れたかったネイティヴの世界にどっぷり浸かれてると思うととても羨ましいです。

バンクバー島のポートハーディーという人口2000人の小さな村に彼女は住んでいます。
人口の60%以上がネイティヴという環境の中で、
先住民の長い歴史は素晴らしい哲学や美しいだけでなく、
アイデンティティを奪われた葛藤や苦悩が今も続いていると
長女から少しだけ聞いていましたし、
それ以上の現実があるのだろうと思います。

そんな最中で3年も過させてもらった長女の紡ぎ出した言葉は、
色んな意味でリアリティを伝えてくれました。

なんという思慮深い目線かと思います。

直接会っていない僕には、なかなか使わっていないであろうニュアンスを
長女は3年という月日で獲得している、そんな気にさせられました。

卒業の年に、
海岸インディアンの象徴ともいえる、
トーテムポールの建設に関わらせてもらったのは、
本当に貴重な経験だったと思います。

そんなPTA広報誌の万年青は島の皆さんの愛の詰まった素晴らしい文集です。

第1号からロース記念館や船客待合所に大切に保管されていますので、
もし興味のある方はぜひ手に取ってご覧になってみてください(^^♪


■コロナに感染して、
10日間の自宅療養を経て、
久しぶりに海に入りました。

「精神と時の部屋」から出てくると、世界はまるで別世界(#^.^#)

まだ全快とは言い難い体調ですが、
それでも海に入っていると、
身体が少しずつ元の調子に戻ってきたのが分かります。

北港では、凄く久しぶりに島に帰って来た顔も見れて、
なんだか時の流れってすごく早いなと思わされました。
あんなに小さかった子供が、もうすっかり立派な大人になっているんだもの!!

そして、夕方には久しぶりの夕陽を見にサンセットシアターへ行きました。

約2週間振りに見る夕陽は、
心の底から「ありがとう!」と思えるような夕陽でした。

当たり前の景色と思っていたけれど、
やっぱりそれは当たり前なんかではなく、
有難いものであるということを再確認しました。

故郷の仙台はきっと今頃七夕で賑わっている事だろうな。
コロナ禍の前みたくはいかないだろうけど。

毎日少しずつ母島でも感染が拡がる新型コロナ。
ワクチンを打たない僕のコロナ感染は、
インフルよりは軽かったけれど、
社会的にはとても影響が大きく、
沢山の分野にご迷惑をおかけしました。

今度はその恩返しをする番です。
できる限りのフォローをしていきます!

感染した時に言われた一言、
「困った時はお互い様ですよ!」
ほんと嬉しかったその一言を、
今度は行動でお返ししていきます!

新型コロナ陽性になっちゃいました!!

2022年08月03日 | 新型コロナ(COVID-19)
■流行の最前線!!
長らく、流行というものに疎い暮らしをしていたのですが、
この度、遂に流行の波にテイクオフすることになってしまいました。

そうです。
母島において、新型コロナ(COVID-19)陽性となってしまいました。

現在は熱も喉の痛みもなくなり、
ほぼ無症状で保健所から言われている自宅療養最終日の8月6日まで待っている状況です。
大好きな友人の優君曰く「精神と時の部屋」の時間です(笑)。
結論からいうと、症状はインフルより軽く、
社会的影響はインフルよりずっと重いといった印象です。

同居の家族は僕の感染と同時に濃厚接触者になっていましたが、
現時点で感染することなく、妻と子供は自宅隔離は7/31で終了となりました。

感染してから、
沢山の友人や知人が声をかけてくれたり、
メッセージをくれたり、
買い物などのサポート、差し入れをしてくれていて、
本当に助かっています。
本当に有難うございます!!

僕の感染により、急遽色んな仕事に穴を空けてしまっただけでなく、
感染しているかもしれない恐怖、
色んな影響を母島の随所に与えてしまいました。
本当に申し訳ありませんでした。
強く反省しています。

現在、小笠原諸島では爆発的な感染が拡がっており、
8/2の段階で父島で9名、母島で1名、計10名の感染を確認。
7/8以降の累計は父島217名、母島7名、計224名となっています。

人口約2500人の小笠原諸島で、人口の約1割が感染しているのはなかなかの数字だと思います。

ワクチン接種率が世界最高クラスであり、
マスク着用率が世界最高クラスでもある日本において、
1週間当たりの新規感染者が97万人で世界最高という状況は何を示しているのでしょうか?

僕自身は新型コロナワクチンに対してまだまだ懐疑的で、
まだ1度もワクチンを接種していません。

そちらも含めて、今回色々考えさせられることがありました。
状況の経過も含め、記していこうと思います。


■さて、僕が発症したのが7月27日の午前でした。
その日は午前のみゴミ回収の仕事、午後は便利屋で草刈りの予定でした。

朝7時の朝礼時に「今日も暑いなぁ~」と職場のみんなで話していました。
確か9時頃だったと思います。
僕が一人でリサイクルゴミの回収に周っている時、おかしいな?と思ったのです。

朝に比べて、太陽はより強くギンギンと燃え盛っています。
明らかに見た目で暑くなっているはずなのに、
身体が全然暑く感じないのです。汗一つかいていない。

これはおかしいと感じ、回収ルート上の自分の自宅に寄り、
妻に体温計をお願いし、体温を測ってみると…

【37.5℃】

直観的にこれはビンゴ!と思いました。
すぐさま、職場の上司と診療所へ連絡し、仕事の退勤、
自宅隔離にできる準備に取り掛かりました。

※この7/27の時点で7/11,12に母島で3名の感染者は確認されていましたが、
それ以降はゼロという状況でした。
僕自身も7/18に内地から戻って来たばかりでしたが、
この期間を考えると内地で感染してきたというのは考えにくいそうです。
母島島内で感染したと思われるが経路が?というのが現実の様です。


自分の車で診療所へ向かい、看護師さんと約束の時間に落ち合いました。
診療所内での感染を防ぐために、基本僕は自家用車の中、
看護師さんは屋外でさらに防護服。

早速、抗原検査を行いました。
インフルエンザの検査と同じく、鼻の奥からスワプを取るアレです。

7/17竹芝から乗る時のPCR検査クリア、
母島でも7/22に抗原検査を陰性でクリアしたなど
色んな状況を踏まえ、自分が新型コロナではないことを祈りつつも、
きっとコロナだろうなと思っていたら、
やはり今回の検査では見事に【陽性】がでました!!

この時点では症状は暑さを感じない事と、発熱があったことだけでした。

ドクターと電話で話し、その後は保健所と30分ほど電話で話しました。

こちらは竹芝出港前日午前までに提出する唾液のPCRキットです。
ゆうパックで郵送の場合は事務手数料として3000円もかかってしまいます。
ご自身で他の検査機関でPCR検査をして、結果のみ報告もアリだそうです。



■いざ陽性となり、自宅の一室に隔離生活することになりました。
幸いにも濃厚接触者は同居の家族2名のみで、
コロナ禍になってからは基本的に一緒の食事を避けていたなどの対応のお陰か、
家庭内での感染が拡がることがなくて、ホッとしています。

発症した当日に一気に熱は39.8℃まで上がりました。

僕の前の島感染の先輩からは、
「東京都が沢山の支援物資(食料など)を用意してくれた」と聞いていたので、
すごいなぁ、ありがたいなぁと思っていたのですが、
僕の場合は「もうその支援物資の在庫がないんです」と申し分けなさそうに
保健所の職員さんに言われました。
「濃厚接触者のご家族は必要があれば外出OKなので、ご家族に買いに行ってもらってください」と、
言われました。

すごいスピードで広がる小笠原の感染者の対応に、
全然追いついていないようでした。
電話で話しても気の毒に思えるほど、忙しいようです。

しかし、こうなる可能性はずっと前から分かっていたことだとも思うので、
在庫がなくなったら、島内で調達する、内地に発注するなど、
色んな手立てはあると思いますが、そこまで整備できていないようでした。

僕の場合は本当に有難いことに、
島の人の温かいサポートのお陰で、
家族が買い物に行かなくても大丈夫なように連絡をもらえて、
支えてもらっていますが、
それが出来ない人の場合は?と思うと、
やはりそこは対応の穴なのではないでしょうか?
(その穴をこれまで僕自身が便利屋で埋めてきていました)


■今回、感染したからこそ、色々見えてきた、分かった事はあります。

診療所と保健所と直接連絡を取ったのは、発症当日のみです。
それ以外は毎日の様子を聞かれることもありませんし、
何か具合が悪くなったら、自分から診療所に連絡するだけの状況でした。

あとは日々、厚生労働省による療養中の健康管理webサービスMy HER-SYS(マイ ハーシス)に、
朝と夕方の2回、体温と血中酸素飽和度(SpO2)やその時の症状の変化を送るのみでした。

ここまでに感染が日本中に広がって、保健所や医療従事者が頑張る中、
色んな部分で無駄のないシステマチックな仕組みが出来上がっているなと感じました。

そして、家族が日々の家庭内感染を防ぐための工夫や、
僕の食事や水、共同でもあるトイレやお風呂の管理をしてくれていました。
感染者の僕の洗濯物も様々な観点に注意して実施してくれています。
ありがとうございます!
僕が家庭内に感染を持ち込まなければ、こんな大変なおもいをすることはなかったのにと思うと、
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

発熱自体は
7/27~29 37.5~39.8℃
7/30~8/1 36.7~37.3℃
現在は平熱+α程度です。

症状は
7/27~8/1 喉の痛み
7/31~8/1 鼻水
7/31~現在 喉のイガイガ+軽い咳

現時点ではこんな感じです。
ワクチンを打っていない、疾患なし40代男性の症状となります。

僕個人の印象としては、現時点のオミクロン株における感染拡大で
重症化した人は周りにはおらず、
ワクチン接種の有無に関わらず、
症状は概ね似たような感じです。


■そして、今回はお隣の父島でも7/8から島内における感染の拡大が続いており、
島民に限らず、来島者の方の発症も相次いでいるようです。
僕の友人、知人の多くが感染していると聞いています。

おがさわら丸の乗船前のPCR検査で陰性で、
島に来てから発症するケース、
そもそも強制ではない検査をスルーするケースもあるようです。

そこで島民であれば自宅療養となるのですが、
問題となるのが来島者の療養場所です。

村としては、来島者の療養用として13部屋の確保をしていたようですが、
そこキャパを軽く超えてしまい、かなり現場は混乱しているようです。

宿としたら、お客さんが予定通りチェックアウトできず、
次のお客さんが来る予定もあり、というところのようです。
そして、トイレやお風呂が他のお客さんと共同というケースもあるので、
事態はより逼迫したものになっているようです。

宿としても商売でこの8月は稼ぎ時です。
この2年間、厳しかっただけになんとかお客を確保したいのでしょう。

父島も母島も想定を超えた時のシュミレーションを
もっともっとしていかなければ、お互い辛いですよね。

今、直近の課題として動いていると思いますが、
よりよい打開策を願うばかりです。

みんなが1日も早く普通の日常を送れることを願うばかりです。


発症したその日、診療所の外で自家用車で検査の結果待ちの時、再度検温したら38.1℃まで上昇。


■最後に4回目となるコロナワクチン接種についてです。

冒頭で触れましたが、現在の日本は
ワクチン接種率が世界最高クラスであり、
マスク着用率が世界最高クラス、
1週間当たりの新規感染者が世界で最も多い(7/27 WHO発表)という状況です。

これは一つの手詰まりを否めない状況なのではないでしょうか?

僕自身の友人・知人の中でコロナに感染して後遺症が残っているという人が1名います。
一方、コロナワクチンを接種して今も後遺症に苦しんでいる人が4人います。

ワクチン接種後から長く続く微熱や倦怠感、だるさ、
肺の違和感、動悸、
性格が変わる程の体の異常が数か月以上続いている…
これは年齢も性別も関係なく、です。

ワクチンの恩恵があると、実際の現場で働いている友人や知人からも聞こえてきていますし、
実際、そうだと思います。
だけど、そうじゃないケースも、実際の手応えとして感じるようになってきました。

7/8厚生労働省の発表によると、
これまでファイザー社製とモデルナ社製の新型コロナウイルスワクチンを接種した後に、
亡くなった12歳以上の方が1761名いることが発表されていますが、
ワクチンとの因果関係が認められているケースは7/25に一例だけだそうです。

重篤な副反応は22989人(7/8 厚生労働省発表)と発表されています。

「後遺症」ではなく、「副反応」と言葉は濁していますが、
死亡にまで至らないケースでも接種直後のアナフィラキシーショックじゃない限り、
なかなか認められない状況であるようです。

世界的なパンデミックな今、
日本国内でも億単位のワクチン接種がある中で、せいぜい死亡例数千のエラーケースは、
どの世界にも起こりうるバグのような捉え方をされているように感じます。

強制接種ではなく、あくまで任意接種なので、
打つ本人もしくは家族がよく考えて接種してくださいという表向きとは裏腹に、
医療現場や公務員、介護の世界でも半ば強制的な接種の雰囲気です。

でもその中で、ごく少数の後遺症が残るケースになってしまった場合も踏まえて、
そしてそのアフターフォローがほぼない現実をしっかりと踏まえたうえで、
よく考えて接種しなければと思います。

明確に特に子供向けのワクチンの接種に反対を示している東北有志医師の会という団体もいます。

決してワクチン接種を否定しているわけではありません。
おかげで救われている命、現場があることも事実だと思います。
でもその中でも、100%はないってことを、しっかりと考えて
接種する人は接種に向き合う必要があるのではないか?と思います。

僕はこうして感染した今でも、今後自分自身がワクチンを打ちたい!と思う状況が来るのかな?
と思っています。
必要性と納得が伴えば打つとは思いますが、
今のところはないような気がします。


■新型コロナウイルスは、感染力が強く、
人によってはほとんど軽症でただの風邪程度といいますが、
場合によっては重症化したり、命の危険にさらされたり、重篤な後遺症を引き起こす、
厄介な感染症だと沖縄のドクターがおっしゃっていて、
素人ながらに的を得た表現な気がしていました。

ウィズコロナと言われて久しい昨今、
どのような付き合い方になっていくのか。
海外ではマスクの義務もなくなり、どんどん通常に戻っていると聞きます。
先日行った内地では、みんなマスクをしているけど、
普通に過ごしている様に見えました。

ワクチン接種が進んでいる今は、重症化を避けれるはずなのに、
どうしてここまでマスク着用や社会的不安が続くのか?
ここにもっとフォーカスしなければ、と思うのです。

そんな中、
「困った時はお互いさまだからね」
そんな暖かい島の人の言葉に救われ続けている日々です。
本当に有難うございます!

どうか、この症状で苦しんでいる人がいなくなり、
みんなが平和に笑顔で暮らせる日々に戻れることを願わずにはいられません。

【参考】
4回目のワクチン接種、逆転現象、浜松市の年代別公表データから読み解く
こちらの野中しんすけさん(看護師)の発信がとても興味深いです!

カブ90の凄さ ハプニング編 (資格取得ツアー⑤)

2022年08月01日 | 資格取得ツアー2022
■今回の3200㎞資格取得ツアーでは、
有難~いことに一度も事故や怪我に見舞われなかったのですが、
少々のマシントラブルはもちろんありました☆

今回はそちらの紹介をしたいと思います(#^.^#)

スパーカブ90DX、26歳。
鉄カブ、キャブ車と言われ、生産が終わって20年以上経過した今でも、
人気と信頼がアツい機種らしいです。(今回、旅するまで全然知らなかったのですがw)

機械いじりは大好きなので、
母島を出発する前にできる限りのメンテも自分自身で行いました。
前後のタイヤとブレーキシュー交換、チェーンの張り調整、グリスアップくらいですが…

このカブ90を中古で母島まで送ってくれたオートパーツシモムラさん
今回、茨城の土浦に向かう際に取手市のお店に伺って、一気にメンテしていただいたのですが、
その時に心配された箇所が幾つかありました。

・マフラーの根元がヤバいかも
・延長の荷台が途中で折れなければいいけど…
・スプロケット摩耗してるけど、なんとか大丈夫かな
・チェーンの伸びもそろそろ交換に近いかも…

そのうちの1点、マフラーが持つかとても心配してくれていました。
実は僕も母島を出る3日前に気付いた箇所でした。
しかし、交換するには発注、受取、工事と時間がかかり、そんな猶予はありませんでした。

記念すべき、最初のトラブルはそのマフラーちゃんでした!!


【マフラーが折れた!!】
■東京~土浦~葉山~佐野と移動してきて、まったくトラブルのなかった6日間。
自分が思ったよりもバイク移動ができる事が分かり、
「全部スムーズなだなぁ~」なんて思っていた矢先の事でした☆
栃木の佐野の友達と20年ぶりの再会を果たし、
フォークリフト講習の待つ那須塩原に向かっている最中に事が起こりました。

突然、カブのマフラーが田舎の暴走族サウンドのそれに変身してしまったのです!
おっ?と思ったけど、走りには問題ないので、目的地に着いてからビックリ!
見事に心配していた箇所、根元がわお!バックリと折れていたのです(#^.^#)

那須自動車学校の宿舎の前でバイクの下に寝転がりながら、
色々いじってると、素敵な皆さんが集まって来てくれて、
「お~小笠原ナンバーのにーちゃん、どうしたよ?」
「近くのバイクいじりの好きなやつ紹介するよ」
「ここにも工具あるべよ」
色んな方が親身になってくれて、
もうこれだけで旅の醍醐味であり、トラブル様♪と思える瞬間でした(#^.^#)

色々電話したり相談してハッキリしたのは、
・新しいマフラーが那須塩原に届くのは2日後
・2日後は那須塩原のどこのバイク屋も定休日
・現時点で走行に支障はないが、音は激しい♡
でした。

2日後にはもうフォークリフトの講習を終えて、
福島に行く予定で、その福島の泊り先が整備工場の友人だったので、
修理はそちらにお任せして、那須塩原では応急処置と部品の受け取りのみとなりました。
(色々決まってストーリーズに状況を投稿したら、茨城のシモムラさんが「直しに行くよ!!」と言ってくれて、
 めっちゃ嬉しくて泣きそうでした☆ありがとうございます!)

1日那須塩原の滞在を延長して、北上をずらせば那須塩原で修理できたのですが、
今回は仙台以降のスケジュールをずらしたくなかったので、こういう選択となりました。


■そんなわけで、このままでは地元の友達に逢いに行くにも、
近所の温泉に行くにも爆音で行かなければいけません。

自動車学校の先輩には
「直管(チョッカン)の音イイね♪」と褒められましたが(笑)、
近所迷惑であることには変わりありません(#^.^#)

シモムラさんと電話で相談し、
応急処置の材料を買いに近所のホームセンターへ。
アルミテープと針金を購入、空き缶もゲット!!

この時も大先輩に頂いた十特ナイフたちが大活躍しました♪

最初は加工しやすいアルミ缶を使って折れた個所を包んだのですが、
近所の温泉に行って帰って来たら、
見事に破裂して吹き飛んでいたので、
今度は堅めのコーヒースチール缶を加工し、
この応急処置は見事福島まで持ちました!!
ひゃっほう!!


■2日後、講習を15時に終えて、那須塩原から福島に向かう時、
地元の休業日のバイク屋さんで新マフラーを受け取り(休日対応、ありがとうございます!)、
一路、福島市へ。

福島の名メカニックつよちゃんのあっという間の職人技で、
見事カブ90のマフラーは新品に生まれ変わりました♡

つよちゃん、朝早くからありがとう!!


応急処置もここまでは持ってくれたし、
ここまで頑張ったマフラーちゃんも本当にお疲れ様でした♡


こんな見事に生まれ変わりました♡

その後は東北一周の終盤まで、
なんのマシントラブルも発生しませんでした。

今思うとこのマフラーのトラブルもこのタイミングでなければ、
色々と面倒な事になる状況でした。(部品待ちの日程、直せる人の位置など)
絶妙なタイミングの采配をした神様に感謝です!

僕自身も新しい土地のバイクツーリングが楽しすぎて、
すっかりマシントラブルのことなんて忘れていましたが、
そんな時に久々にトラブルが発生したのです。


【右のミラーが折れる!!】
【マフラーのネジがなくなる!】

■これが福島~仙台~秋田~津軽~八戸と来て、
一気に石巻まで南下する時にほぼ同時多発的に発生しました。

確か釜石と大船渡の間くらいだったと思います。

これ、バイクに乗ってる人は分かると思うのですが、
左のミラーはなくても、右のミラーがないとめっちゃ困るのです。
追い越し車線に入って、追い抜く時に右ミラーがないのは死活問題でした。

カブのミラーちゃん、
長年の潮風を浴びる島暮らしのサビと、
3000㎞の東北旅の振動で限界を迎えたようです。

でも、まあなんとか誤魔化して走れてはいたのですが、
またマフラーが爆音を叫びだしたのです(笑)。

オイオイまたかよ!と思ってみたら、
マフラーを留めているビスが、1本なくなっていました。

こちらも長距離の振動に少しずつ緩んでいたようです。

ミラーはともかく、マフラーは何とかしなければいけないので、
セブンイレブンの駐車場で色々いじっていると、
「小笠原ナンバーの兄ちゃん、何やってんの?」と地元の元ライダーさんが親身に話しかけてくれました(^^♪

色々世間話して、その土地のバイク屋も紹介してもらって電話したのですが、
その2件の対応が悪く、見事にたらい回し&避けられたのを見て、
地元の方が、「この先のホーマックに行った方がいいよ」と言ってくれて、
見事にピッタリの部品と右のミラーを購入することが出来ました♡
修理費用は1400円(#^.^#)

修理を終えての温泉は最高ですね♪↑こちらは那須塩原のみかえり温泉


【チェーンが伸びる】
■こちらは3000㎞も走っていれば当たり前の現象です。
カブはチェーンがカバーで守られていて、チェーンが伸びてくると、
そのカバーにあたる異音がしてきます(新聞配達でよく聞く音です)。

東北一周をして、岩手の途中あたりで気になって来たので、
石巻の友人のお宅の庭先でメンテさせて頂きました。

車載の限られた工具を広げながら
近所の人とああだこうだ話しながらバイクをいじる時間って、
結構幸せだったりします(^^♪

チェーンは調整範囲の限界なので、
母島に戻ったら交換するつもりです。

こちらは那須塩原にあった烏森神社。
色んな場所の神社をお参りしては旅の安全と家族や友人の無事を祈りました。



【燃料が切れる!!】
■こちらはあまり深刻ではないのですが、
何度かあったことです。

カブ90は4ℓタンクで、そのうち1ℓが予備タンクとして設計されています。
燃料タンクはシートの下にあって、メーターもそこにしかないので、
燃料切れを起こしてから予備タンクに切り替えて、残りの1ℓでガソリンスタンドを探すというスタイルでした。

ええ~!たった1ℓ!とは言っても、カブの燃費は素晴らしく、
1ℓで40㎞以上は走ってくれる優秀なコです。

スタンドまで100㎞以上を要する北海道じゃない限り、まあまあの所でガソリンスタンドはあるものです。
しかし、意外と盲点がありました(笑)。

朝早いのに強い僕はかなり早朝から動くのです(#^.^#)
野宿明けの時はだいたい朝4時くらいから行動開始します。

一応、1ℓのガソリン携行缶を予備として準備はしていましたが、
仙台~秋田へ向かう道中にガス欠を起こしました。
大体150㎞に1回くらいの給油サイクルなのです。

田舎の方のスタンドがこんなにも24時間がないとは知りませんでした(#^.^#)

仙台と秋田の中間地点ら辺の長めのいい所で昼寝(朝寝かもw)して、
スタンドの開く7時まで待っている時間もなかなかいい時間でした☆

結局、1ℓの携行缶を使ったのは仙台~秋田のみで、
携行缶を使っても足りなかった事態には至りませんでした♡


【他ライダーたちとの出逢い】
■想定外をハプニングとするならば、
他ライダーさんとの出逢いも嬉しいハプニングの連続でした(#^.^#)

前回の記事にも書きましたが、
ライダー同士のすれ違いの挨拶、ヤエー!ももちろん最高なのですが、
青森の津軽半島の蟹田から下北半島の脇野沢に渡る時、
ライダーさんが数人乗船していて、色々とお話できたのがまた最高でした♪

たった1時間の船旅ですが、今この瞬間を楽しむバイク旅をしているという共通項は、
あっという間に人と人との距離を縮めてくれます。

ライダーさん以外でも、元旅人の人が色々と話しかけてくれて、
色んな話を聞くことが出来たのも醍醐味の一つです(#^.^#)

ここで会ったよしさんとは、
その後も大間で再開し一緒にマグロ丼に舌鼓を打ちました♪

ルートの話やおすすめのお店や温泉など、
ライダーならではの情報満載で最高でした☆


【小笠原ナンバー】
■最後に紹介するハプニングは「小笠原ナンバー」です。
90ccのカブは黄色い小笠原ナンバーです。

最初は何も考えてなかったのですが、
旅を続けていると、滅茶苦茶声をかけられました。

物凄く珍しいナンバーだったみたいです。

確かに考えてみると、バイクでも排気量が大きくなると、小笠原でも車同様品川ナンバーになってしまいます。
小さい排気量ならではの市町村が管轄のご当地ナンバー。

これがトラブルの時、
ふとコンビニや宿の駐車場に停めている時、
色んな人が興味を持って話しかけてくれるキッカケとなったのです。

各地のガソリンスタンドでもいっぱい驚かれました。
「ええ!!あの島の!?」
「どうやってこのカブを運んだの?」
「凄い距離を移動しているね!」
自分が想像している以上に、
小笠原のネームバリューというものは凄いのだな、と体感しました。

今では、色んな話のきっかけにもなったこのナンバーが誇らしいです(#^.^#)

そして、7/3の葉山のカヌーレースで頂いた、レイ。
バイクでずっと一緒に旅してきました。

時には友人に「何で乾燥ワカメぶら下げてんの?」と言われたりもしましたが(笑)、
無事に竹芝でカブを船に載せた時に、すごくホッとしたのを覚えています。

このレイを作るティーリーフは小笠原から葉山へ渡り、レイとなり、ずっとお守りとして一緒に来ていたのです。
家族や友人の祈りのお陰で、
こんなあって良かった様なハプニングだけで済んで、
無事に旅を終えれたことは本当に有難いことです。

そして、圧倒的な燃費の良さ、
車載の懐の大きさ、
素晴らしい種類のカスタムパーツ、
全国どこでもパーツのある強さ、
都会でも田舎でもマッチする洗練されたデザイン、
カブの凄さを再確認するハプニングと旅でした♪

また近いうちに、こんな旅が出来ればと思っています(#^.^#)

そして今回のハプニングはどれも辛いものではなく、
旅にスパイスを聞かせてくれる極上のエッセンスばかりで、
今思い出しても楽しいネタばかりです(#^.^#)

やはり旅にハプニングは必要で、
命に別条がない限り、そのハプニングはすべて旅の醍醐味になるものだなと
今更ながらに再確認をしました☆

こんなハプニングの最中にも色んなサポートをしてくれた
シモムラさん、つよちゃん、那須自動車学校で出逢った皆さん、各地のみなさん、本当に有難うございました!

まだまだここに書ききれないエピソードは沢山あるのですが、
次回は東北出身のくせに初めての東北旅をテーマに書いてみようかと思います。

お楽しみに!