小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

道具を愛でるということ

2023年08月31日 | 母島 日常 日記
■先日、母島の暮らしで日常にめっちゃ利用している愛車カブ90DXのメンテナンスを行いました。
やったとことは大きく3つなのですが、
それで一気にバイクは生まれ変わり、
さらに軽快に島の道を走ってくれるようになりました♪

日々使っている時は、
特に不自由なく思っていたのですが、
メンテナンスをしてみて、
「ああ、こんなに頑張ってくれていたんだ!」
「本来はこんな力があったんだ!!」
と思わせてくれるほどの効果があります。

ギターの弦の交換後もそう思ったりするのですが、
やはり道具の日頃のメンテナンスの大事さを思い出させてもらいました。

今回はそんな道具を愛でるお話です☆


■さて、僕の愛車HONDAスーパーカブ90DXは今年で27歳を迎えるベテラン選手。
去年は東北一周を見事に走り切り、まだまだ現役であることをしっかりと教えてくれました。
来年は九州を行ければなぁと企んでいます(#^.^#)

今年の春にハンドル交換
2月には後輪のスプロケットを交換しました。

今回はタイヤの前輪と後輪の交換、
フロントのスプロケットの交換を行いました。

まずは少し手間のかかる後輪の交換です。
まるでF1のスリックタイヤの様にツルツルになってるタイヤでした(#^.^#)
これじゃあ雨の時にスリップするので、流石に限界でした☆

島のベテラン農家さんに聞いたら「3か月に一回交換するよw」と言われ、
めっちゃビックリしました!!
母島は小さな島ですが、畑と畑、出荷と行き来する上に、
道路はアスファルトではなくコンクリートなので、
減りが尋常じゃないみたいです( ;∀;)

うちの畑もオクラやモロヘイヤが安定して採れるようになってきました♡


■後輪外すついでに、ずっとやろうと思っていたフロントのスプロケット交換!
スプロケットというのはエンジンの回転をタイヤに伝えるチェーンにかかるギア部分の部品で、
1万km毎に交換する部分です。

2月にリアのスプロケットを交換していたら、
島の先輩に「ちゃんとフロントの減りも確認しなよ~、多分減ってるから」と言われていました。

カブの場合、カバーに隠れて見えない部分なのですが、
今回はようやく拝見することになりました(^^♪

ど~ですか!この新品(手前)との違いわ!!

今回はギア比も変えてみて、15個から16個のギア数に変えてみました。
いわゆる加速よりもスピードの伸びや最高速を伸ばす変更です。

作業中は手が油まみれで撮影できないのですが、
見事な仕上がりです(#^.^#)


結果、島の走りに見事にマッチしていて、
3速だけのカブ90がさらに最高になりました(#^.^#)
こりゃ楽しい♡

島に整備工場があるので、お金を払ってお願いするのも勿論アリなのですが、
僕の場合は、
やはり自分で愛でた道具というのは、
愛着も付き合い方も変わります。

子供の頃に自転車屋さんで、
かぶりつくように眺めていた時から、
自分でやるようになって、
やっぱりとても楽しいのです。

機械油の匂いと汚れた手が、
なんとも愛おしく感じてしまいます。


■リアのタイヤとスプロケットを交換したら、
今度はフロント側です。

こちらも見事にF1タイヤ状態。

こちらも交換して、見事に元のグリップを取り戻しました。

人生で、色んなバイクをいじって来ましたが、
この世界で一番売れているカブというバイクは、
メンテナンスがとてもしやすい工夫、
日常に使いやすい工夫が随所に見られていて、
開発の方たちの想いがヒシヒシと伝わって来ました♪

道具を愛でる時に、
その道具は勿論ですが、
その道具を作ってきた人たちの事に想いを馳せると、
尊敬の念に溢れ、感謝の気持ちでいっぱいになります。

だから、道具を愛でる事って好きなんです♪

ついつい、日常の忙しさや、暑さのせいにして、
道具のメンテを怠りがちなのですが、
やはりメンテするたびに楽しく、感動を頂きます。
本当にありがとうございます!!


■そんなある日の夕方。
そんなカブのカゴからはみ出し、
ご家庭のまな板に乗らないサイズの
お魚を漁師さんに頂きました。

キハダマグロ1本!!

高速で泳ぐ、
その美しい流線型の身体。
いつも魚の機能美にもうっとりしちゃいます☆


夕方ドタバタと捌いて、
寝る前に晩酌と共に
美味しく頂くという幸せ♡

キハダマグロ、
本当にありがとうございました♪

母島に遊びに来ていた、
友人家族にもお裾分けできました(^^♪

大変な事もあるだろうけど、
これだから島暮らしは最高なんです(#^.^#)

魚を捌く時も、
出刃包丁、刺身包丁の素晴らしさに、毎度感動します。
まな板もやっぱり素晴らしいです。

包丁もまた研いで、愛でていきたいです(#^.^#)


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戦没者追悼式と大好きな先輩の旅立ち

2023年08月26日 | 戦争と貧困
■今年も8月15日がやって来ました。
終戦記念日です。

毎年、この時期になると、広島、長崎の原爆被害、戦争を考え、
命について考えさせられます。

太平洋戦争の激戦の地となった硫黄島がある小笠原。
21,900人が戦死し、まだ1万柱以上のご遺骨が眠ったままの硫黄島。
毎年、遺骨収集は行われていますが、ご遺族の高齢化も進んでいると聞いています。
戦後78年を迎える今も、硫黄島の戦後は終わっていないのです。

小笠原に移住してから、この8月15日はずっと戦没者追悼式に出れる限り出席してきました。

僕は小笠原に移住するまで、
戦争を経験していない、戦争の話を直接聞くことの経験があまりありませんでした。

この追悼式に出席する事、それから島の戦跡や歴史に触れる事、
介護や硫黄島訪島事業でご遺族の話を聞くこと、
沖縄に行って様々な戦争を知る機会などで
少しずつ戦争というものが、どれほど悲惨な事かという事が少しずつ分かって来ました。

今も、ロシアとウクライナの戦争は1年半以上も続いているし、
様々な小さな紛争はこの今も起こっています。
軍事費が増やされ、核抑止論などもよく語られるようになってきています。

凄く悲しいことです。
戦争を決定するのも、動かすのも国の上層部ですが、
いつも被害を被るのは一般市民です。
世界平和を実現しなければなりません。

日々、島のレジェンドと関わると、
戦争当時の話を聞くことがあります。
親戚や、優しかったあの兵隊さんが硫黄島へ向かい、
帰らぬ人となった話など幾つも聞くのです。

小剣先山の麓で、米軍に機銃掃射を受けた時、
パイロットと目が合って、相手は笑っていたという話も聞きました。

今お話を聞かせてくれる80,90代のレジェンドは
多感な十代を、島の暮らしを戦争に翻弄され、
強制疎開で慣れない本土での生活を強いられたのです。

その度に胸が締め付けられます。

戦争が無ければ、あのまま楽園だったと思える硫黄島。
今回の8月15日は本当に色んな事が起きて、
沢山の学びとなりました。

■母島の戦没者追悼式はお昼少し前に始まります。
12時ちょうどの防災無線による黙祷に合わせる為です。

今まで、一般島民や青年会、PTA会長など、
色んな立場で出席してきましたが、
今回は村議会議員としての参加でした。

今回は準備から関わらせて頂きました。


そして、この日をずっと緊張して準備を進めていた人がいました。
次女です。
追悼式の「平和の誓い」として、
子供代表で出席していました。

次女はこの時、中学2年生。
丁度硫黄島の勉強をするタイミングでした。

夏休み前の硫黄島訪島事業(上陸無しの3島クルーズ)は、
なんとコロナに感染してしまい、残念ながら次女はお休みになってしまいましたが、
夏休みに母親と広島の平和記念公園に行き、
原爆の被爆者の話を直接聞いて、
戦争への理解、そして自分たちの今後の行動についてもよく考えているようでした。

そして、8/15に母島にいる中学生は次女だけということが判明し(夏休みでみんな留守!)、
彼女が平和の誓いをスピーチすることになりました。

前日の夜は日付を跨ぐほど、文章を考える程、
ずっと話す言葉を選んでいました。

当日、ドキドキのリハーサルを経て、
しっかりと本番では平和の誓いを話していて、とても素晴らしかったです!


次女がスピーチする前ですが、
みんなで黙祷する1分間、平和の鐘が鳴らされます。
その瞬間、いつもみんなの祈りの波動を強く感じるのです。
とてもとても大切な時間だと思います。

平和への祈りが力を感じさせてくれました。

1日もはやく、世界が平和になるように、
1日もはやく、ご遺骨が見つかって本土、ご遺族の元に帰れることを願ってやみません。


■そして、今回の8月15日は別の意味でもとても大きな1日でした。
その日の朝に大好きな母島の先輩が亡くなったのです。

50代という若さで、天へと旅立って行きました。
あまりにはやいお別れでした。

大好きな小笠原太鼓を叩き、
優しく教えてくれて、
カヌーも一緒に漕ぎ、
男フラの時のパーカッション(一斗缶と便所スリッパw)をしてくれた、
大好きな大好きな先輩でした。


その3日後の8/18に火葬式を行うことになりました。
内地から急遽、ご親族も来島し、
大好きな先輩のお別れとなりました。

みんなの太鼓が鳴り響き、
先輩が大好きなレゲエが流れる、
厳かで温かい雰囲気の火葬式でした。


父島からも村長や課長さん、
友人が駆けつけてくれました。

僕は去年から母島の火葬場のオペレーターとして仕事をしていて、
すでに数回経験をしています。
誰一人知らない人を火葬したことはありません。
みんな生前、話したことがあるし、
仲良くさせてもらっていた方たちばかりでした。

年齢も100歳を超えるレジェンドもいらっしゃって、
本当に心からお疲れ様と思える火葬をしてきました。

でも、今回は、
僕は骨を拾いながら、
急に寂しい気持ちがこみ上げてきて、
目から涙が溢れました。
ただただ、寂しい気持ちが溢れてきました。

前日まで、思い出コーナーとして準備する写真の取り込みや、
遺影の写真を選ぶ作業をしたりして、
ああだこうだ言いながら、
でも家族の先輩を想う気持ちがすごく優しくて、
骨を拾うまで、こんな気持ちにならなかったのに…
この文章を書いている今も寂しい気持ちが溢れて止まりません。

きっと天国で先に待っているお師匠と、
笑顔で飲みながら太鼓を叩いていると思います。

大好きだった先輩、
心からご冥福をお祈りします。



■この1年間、
こんなに命の事を考える事はないのでは?と思うほど、
色んな魂を見送って来ました。

誰にでも平等に死は訪れるものだけれど、
こんなタイミングってないでしょ⁉って思うような別れがあります。

当時は疑問にも思いませんでしたが、
39歳で亡くなった父も、55歳で亡くなった母も、
今思えば早すぎるのです。

あまりの現実に心が追い付いてこないのです。

僕自身もいつ死ぬか分からないので、
後悔のないように生きようと強く思わされます。

戦争をなくすことはもちろん、
みんなが笑って過ごして、
みんなが笑って最期を迎えれるような、
そんな世の中にしていきたいと思える、そんな夏の日でした。

どうもありがとうございました。








僕が好きな【島でのイルカ・クジラとの関わり方】

2023年08月13日 | 小笠原 野生動物
■僕は今、母島で暮らしています。
そして、SUPやアウトリガーカヌーを漕いでよく沖に出ます。

有難い事にその暮らしの中で冬は特にザトウクジラ、
夏はイルカ達(ミナミハンドウイルカ、ハシナガイルカ)に出逢うことがよくあります。


先日もSUPで御幸ノ浜沖でハシナガイルカの大群に逢うことが出来ました。
船だと船の引き波に乗って、いやっほう!と遊んでくれるハシナガイルカですが、
SUPやカヌーは速度が足りないないらしく(涙)
大体、スルーされることが多いのですが、
今回はSUPの下に寄って来てくれました♡
たまにあるんです(#^.^#)

手漕ぎのSUPやカヌー、
もちろんエンジンのボートなどは
イルカやクジラにとってはどんな存在に映っているのでしょうか?

カヌーを漕いでいて、親子連れのザトウクジラに出逢った時、
母親やエスコートと呼ばれるオスのクジラが子クジラを守る様な動きをすることがあり、
明らかにこちらを意識していると感じました。

漕いでいる僕や仲間たちにとって、
このイルカやクジラとの遭遇はとても嬉しくて、興奮して、つい近寄りがちです。
だけど、相手が警戒していると感じる時は特に最新の注意を払います。
それは僕たちが相手の世界にお邪魔している立場で、楽しませてもらっているからと考えています。

ザトウクジラにいたってはとても大きくて、
メスだと15m(大型バス1台分)くらいになるので、
仮に接触、ヒレに当たる、ブリーチ(ジャンプ)して当たったら命の危険をはらんでいます。

漁船などエンジンのボートで接近する時はあまり気にならないのですが、
カヌーで接近する時、SUPやカヤックで接近する時は間違いなく怖さを明確に感じます。

その怖さ、そして畏敬の念がとても大切な気がするのです。


■僕は仙台の生まれ育ち、何故か子供の頃から鯨類が好きで、
よく図鑑やNHK「生き物地球紀行」でクジラ特集を食い入るようによく見ていました。

震災前まで女川にあった捕鯨の博物館(現ホエールランド)にも子供の頃、父親に連れて行ってもらい、
図鑑やTVでは分からないその迫力に感動した記憶があります。

19歳の頃、初めて観光で小笠原にやって来て、
当時カナヅチだった僕がイルカと泳ぎたい一心で泳ぎを習得したという経緯があります(#^.^#)
ほんとに水が怖かったんです(笑)。

その頃、父島にサザンクロスⅤというガイド船があって、
船長の東城さんのイルカやクジラに対する優しい考えやアプローチが素敵だなと思っていました。

21歳の頃に父島にやって来た時は、宿で仕事をしていました。
もう東城さんは残念なことに亡くなっていて、
僕は休日に色んなボートでホエールウォッチングやドルフィンスイムに通っていました。

何度も何度もツアーに出ているうちに、
ふと違和感のようなものが僕の中に感じられるようになりました。

自分たちは楽しむ為にイルカやクジラに接近している。
でも気付けば複数のボートで入れ代わり立ち代わり人を入れて、
群れに対して追いかけまわしている印象を持ち始めたのです。

ノビノビと遥か彼方(中央奥)で跳ねるハシナガちゃん。

■小笠原は小笠原ホエールウォッチング協会(OWA)があります。
捕鯨が国際的な流れで中止になり、その翌年の
1988年4月から日本で初めてのホエールウォッチングが母島で始まっています。
小笠原は最後の捕鯨の重要エリアとして基地があったのです。

当時、捕鯨が出来なくなったタイミングで、
すぐに獲るものから見るものへと転換したその柔軟性が凄いと思います。
島の先人たちは、この先を見越し、模索して
ハワイなどにウォッチングの視察に行き、
ルールや在り方について学びに行っていたそうです。

そして、小笠原ではOWAがクジラの接近に関して自主ルールを設けて、
イルカに関しては小笠原観光協会が運用して、
現在も近付き方、距離、回数などの制限を設けています。

これは大事な観光資源でもある、イルカやクジラと、それで商売をしている人たちのバランスを考えた、
国内でも先鋭的なルール設定だと思います。

僕はそのルールに関して、違うとかどうとか思っているわけではないですし、
それでガイドをしている皆さんに対して不満を持っているわけでなくて、
僕自身がそのツアーに参加してエンジンボートでアプローチすることに違和感を持ち始めたという事です。

丁度その頃、父島の宮之浜での素潜りが盛り上がっていて、
「チーム宮ノ浜」なんてのもあった頃、
宮之浜でミナミハンドウイルカと遊んできたという話が飛び込んできました。

僕はそこでピン!ときました。

僕はボートで会いに行くスタイルよりも、
海で遊んでいて、ふと偶然にイルカとコミュニケーションを取る、
遊ぶの方が好きだなぁ、と。

SUPで自然に出逢うハシナガイルカ達

■気付けば小笠原に移住していて、
今ではイルカやクジラが暮らしの身近な場所にいて、
年間通してよく海に出ている僕には日常の存在になってきました。

もうあの違和感を持ってからは、ほとんどガイド船に乗ることはないのですが、
海岸清掃やPTA行事、仕事などで沖に出て遭遇することはあります。
その時はやっぱり嬉しいし、思わず写真も撮っちゃいますが、
僕はSUPやカヌーを漕いでいて、偶然に出逢う方が好きなようです。

エンジンの付いたボートでは味わえない、
沖の静寂な中にかすかに聞こえるイルカの呼吸の音、
ザトウクジラの歌声が海面の上にいても直接聞こえる感覚、
どんなに一生懸命漕いでも、野生のイルカやクジラの速さや存在感に叶わないという、
圧倒的な無力感、
そのどれもが僕にとっては大好きな在り方でした♪

母島はガイド船というものがあまりないので、
SUPやカヌーで静かに眺めていても、
急にボートが集まってくるという事はまずありません。

実際にカナダに行った時、
テレグラフコーブ、アラートベイで感じた、
シャチなどの鯨類に関するアプローチ、そしてレクチャーの仕方や、
ガイド同士の連携、船の操船やエンジンと音まで配慮するその姿勢は
とても素晴らしく、感動を覚えました。
当時の感動はブログ記事に書いています。

近年、奄美のホールスイム等が話題となり、
SNSでもよく見かけます。
実際に経験した友人、知人の話、
実際に現地でガイドしている友人、
クジライルカ会議でのホエールスイムでの論議、
今、日本においては、ヒトと鯨類の距離感について
とてもホットな話題だと思います。


■そんな中、子供の頃から大好きで食いつくように見ていた図鑑の作者でもある人の言葉が飛び込んできました。
写真家でジャーナリストである著者の水口博也さんが、
とても興味深い記事をOWAの機関紙メガプテラVol.93号に書いていました。

これは本来OWA会員に配布される機関紙ですが、
年に一度程度、島内全戸配布を行っています。
今回はそこに載せられた記事で、
OWAの気持ちのこもったスタンスが感じられました。
勿論、賛否両論があると思います。

人が鯨類に近づき過ぎる事、ハラスメントの影響を警告し、
ずっと関わってきた水口さんならではの考察、
最後の一説にはさすがの一言に思えました。

「化石燃料を燃やし続けて鯨類の親子を追い回しながら、
感動の出逢いを謳うという欺瞞(ぎまん)からは動物福祉の観点からも、
気候変動を最小限にする地球人の義務としても、そろそろ決別すべきときだ」
と。

そして巻末のOWAからの一言にも、
「野生動物観光の持つ負の側面をみんなで一緒になって考え、
解決していく事が大切だと思っています」
と書かれています。

僕はこのタイミングでこの発信はすごい勇気のいる事だと思うし、
常に時代と、生き物と自然を考えて、柔軟に考えていこうというスタンスは
とても素晴らしい事だと思います。

そしてここではごく一部を切り取って紹介しているだけにすぎないので、
ぜひ機関紙メガプテラVol.93をしっかり読んで、
理解を深めてほしいと思います。


■この小さな小笠原においても幾つもの自主ルール、条例があります。
それは何も自然系だけでなく、人の暮らしにも様々なルールがあります。

それは先人の皆さんがその時のベストを考え、
最善を尽くして考えた結果だと思います。
本当にリスペクトの気持ちでいっぱいです。

しかし、時間の流れ、時代、価値観、自然は刻一刻と状況が変わっていきます。
常に過去に設定したルールが、
現状に合っているか?を見直す柔軟な姿勢は今後、とても大事な事だと思います。

そして、僕個人の考えになりますが、
一つのルールがあるのも大事ですが、
白黒のどちらかではなく、グレーを含む多様性が大事な時代になっているとも思うのです。

黒が白を塗りつぶすのではなく、
白一色にするわけでもなく、
どんな色も在っていい、大事なのは決め事よりもバランス、
そして常に見直して変える柔軟性が重要、そんな気がしています。

価値観の多様性を認める事。
言葉にすれば簡単ですが、
それはとても難しい事だと思います。

そして、その全体をみんなで漕ぐ一つのカヌーであるという意識。
イチ分野、イチ視点だけでなく、全体を見ることの大切さ。
価値観が違ってても、共に生きて、漕ぎ続けようというスタンスが重要になっていると思うのです。


■そして、それを生業としている人だけが考え、
実行するのではなく、
それらを利用する側、消費する側も、
考えてセレクトすることが求められます。

それがそのまま投票になります。
利用する側、消費する側も選ぶという意識を持っていることが大事と思うのです。

ルールで決まっているから、とか、
今までこうだから、ではなく、
自分自身の責任で以て考え、判断し、それを選んでいくこと。

それが今混沌と化している、
どこに向かえばいいか見えにくい時代において、
健全な世界を作って行く方法な気がするのです。

今でも追いかけまくっても、
どうせ毎年小笠原に来るんだから、
自主ルールなんて気にしなくていいという人もいるし、
大事な資源なのだから、
大事に気を遣って接していくべきという人もいます。

どっちが正しい悪い、ではなく、
よく考えてどっちを選んでいくのか、だと思うのです。
そしてどっちも存在できる社会がこれからの時代な気がしています。

日々、大好きな鯨類に関わる中、
この人と野生動物の関りの事をずっと書こうと思っていたら、
OWAの機関紙が配布されて、一気に記事にしちゃいました。

あくまで僕個人の考察ですが、
皆さんが地球に住む一つの命として考えて、
これからの未来に向けてカヌーを漕ぐ一員として、
考えるきっかけになれば幸いです。

長文を最後までありがとうございました!!

強い台風7号「ラン」通過!!母島

2023年08月11日 | 母島 台風
■台風7号「ラン」が母島、小笠原諸島を通過しました。
今年初の台風の直撃でした。
ゆっくり目の台風なので、まだ強風域です。

当初の予想では、
割と島の東を通過するし、
勢力も970hPaとそこまで強くないし、大丈夫だろうと思っていました。

しかし、最接近2日前になると予報がどんどんと変わり、
速度が遅く、勢力は940hPa、最大瞬間風速は60m/sと侮れない数字に。
僕も含め、最初は舐めていた島民も慌てて台風養生をしっかりする展開になりました。


結論から言うと、今回は弱った木の倒木が見られるくらいで、
停電もなく、家屋の損傷などはあまり見られていない気がします。

当初の予想では2019年の未曾有の大被害をもたらした台風21号に匹敵するかもと、
ドキドキしていましたが、
フタを開けてみれば、割と大きな被害のない穏やかな台風通過となり、ホッとしています。

毎度、台風の度に思います。
「養生しただけ損したね、が一番だよね」と。

最接近の前日の夕方に、
内地から帰って来たばかりの妻と次女が外の様子が見たい!と言うので、
安全な範囲で見廻ってみました。


気象庁の予報では940hPaでしたが、
実際の手元の気圧計では975hPaでしたし、
Windyでも977hPaだったので、
そこまで危険な気圧にはなってない気がします。

それでも、間違いなく風速30m/s以上は出てるし、
沖に出たらアウトな海況ですので、
やっぱり台風はヤバいです。

現在の母島は吹き返しのピークも過ぎて、ホッとしています。
避難所は8/10の17時から、今の段階も続いているので、明日の朝まで続くでしょう。

何度か避難所にも顔を出しました。
避難している方もそうですし、
避難所を運営管理してくれている役場の方も本当にお疲れ様とお伝えしました。

避難している高齢の方の自宅の倒木は、
簡単ですが片付けして、通れるようにしてきました。

これから台風7号は伊豆諸島、そして本土に向かって行ってます。

最近は小笠原を過ぎてから台風が発達するケースも多く、
その後がとても心配です。

無事の通過を祈るばかりです。

■母島の養生はまず、漁師の船の丘揚げから始まる気がします。

今回は若手の漁師がみんな夏休みで家族で内地に長期休暇に行っているので、
割と年上の漁師さん達ばかりで、すんごく大変だったと言ってました。
本当にお疲れ様です!!


ははじま丸も9日に入出港の接続を行い、
その後は数日間欠航となっています。

内地に行っていた妻と次女も、ギリギリこの便で帰ってきました♡
1か月振りに自宅に着いた次女も、
怒涛の内地を駆け巡って、ようやく自宅に辿り着き、
ゆっくり休めているようです(#^.^#)

母島に帰ってきた時に、
じんわりと嬉しそうな表情をしていたのが印象的です。
やっぱりホームっていいですよね♪


売店も接近前の最後の営業で長蛇の列が!!
みんなお菓子やお酒、カップラーメンに普段買わない食材など、
なんだか楽しそうにも見えます(^^♪

■畑の作物も、台風をなんとか乗り切って欲しいですね。

夏の主食のモロヘイヤも、一度潮枯れするでしょう。

100本のローゼルも倒れるでしょうが、
また起こします。

硬さよりも、柔らかくしなやかの方が実はたくましいのです。
人間も一緒かな(#^.^#)

島オクラはごっそり実を落としました。

重いとそれだけ風の影響を受けるので、
実を軽くするためです。

正直、母島も父島も思ったよりも穏やかに台風が通過していったので、
今はホッとしています。

しかし、これからのコースが心配です。
洋上や停電の備えをして、無事を祈るばかりです。

自然界において台風は間違いなく脅威ですが、
冬というリセットのない亜熱帯の小笠原にとっては、
なくてはならない存在です。

台風がもたらす雨水、
海から山に戻すミネラルと塩、
徒長した枝を整理する強風、
高温で白化しそうなサンゴの復活など、
ちっぽけな僕の目と頭ですら幾つも存在意義を感じられる台風です。

大自然の中では人なんて、
本当にちっぽけなんだと思い知らされるのも、
大事な気がするのです。
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■父島の友人が歌手のUAの記事をシェアしてくれて、
大事な気持ちを思い出させてくれたので、
ここに記しておこうと思います。

大好きなUAが13回目のフジロックを終えて、
感じている事。
「実は先週まで、ホテル住まいだったのね。
高層ビルの迫る窓から見下ろす景色は、猛スピードで行き交う車、
夜中も騒音は絶えることなく、照りつける日差しの下、
行き交う人々はいまだマスクをして、うつむきがちに歩いてる。
街路樹まで息苦しそう。

先に、五月の真夏日、なんて書いたけ ど、その比じゃない今夏、鉄板焼きの上を歩くかのよう。
この焼け付く暑さは、自然を破壊し続けた私たちへの直球のメッセージじゃないのかなって。

コロナ禍に強いられた規制は耐え難かったとは言え、
世界的に経済活動が緩やかになったことで、自然環境が健やかに変化したことは、
これからやってくる気候変動と社会のあり方を予見するものだったと思い出されるよ。」


3年前、初めてのコロナ禍の行動制限でインドや中国の空気が綺麗になって、
今まで見えなかった山々が見えたという話を思い出しました。

内地から帰って来た妻子も、
内地の夏の暑さは尋常ではなく、
島の涼しい風と海に救われたと言っていました。

あまりの暑さにクーラーを設置して、
さらにその室外機からは熱風を吐き出して、
さらにヒートアイランド化が進む。

ゼロカーボンを宣言した小笠原村。
しきりに父島の良さんが議会でも訴えているけど、
もっともっと自分たちにできる事を模索して、
それぞれが考えて動かなければと思います。


終末期をどう生きるか?

2023年08月06日 | 母島 日常 日記
■便利屋を開業してから、
人が亡くなった後の片付けや、居抜きの部屋を片付ける事があります。
そこで人の終末期というものについて考えさせられることがあります。

誰にでも平等に死は訪れるし、
人は最後はひとりだと思うのだけれど、
人の終末期の形は様々だと思います。

僕の父は母と離婚して、別に暮らして8年後に病死しました。(享年39歳)
尊厳死を望んでいた母はカナダで脳死状態となり、
最愛のパートナーに見守れながら、最後を迎えました。(享年55歳)
※2014年に尊厳死というテーマで記事を書いています。

人はどれくらい、
自分が望んだような死に方ができるのか?
人が死ぬとき、どんな想いになるのか?

野生動物は、
自分で生きていけなくなったら(食べ物を採れなくなったら?)、そのまま死んでいくのが多いと思います。
写真の元気に跳ねてるイルカだって、最後は死にます。
丁度、島のレジェンドを散骨した帰りのジャンプでした。

僕も子供を授かってから、
ネイティヴ・スピリットに興味が出て、
その最後の死に方に憧れもしました。
「今日が死ぬにはもってこいの日だ」
そんな想いで最期を迎えたいと今でも思っています。

僕も42歳になってみて、
若い頃とは違う身体を感じています。
もう夜更かしはできないし、体力も衰えてくるでしょう。

最近はリアルに人の終末期を感じる機会が多くなりましたが、
今自分が一番最初にしようと思った事は、
家族を、仲間を、人のご縁を大切にしようという事でした♪

■議員になってみて、
人の終末期の希望に寄り添える仕組みが作れないかと思っています。

父島にはあるけれど、
母島にない老人ホームみたいな施設なのか、
それとももっと安心して、
自宅で最後まで住み続けることをサポートする仕組みなのか、
どれが正解なのかは分かりませんが、
実現できればと思います。

島の大先輩達からも切望されている問題です。
母島では小笠原空港よりも、
よっぽど住宅問題と終末期の問題の方が切実な気がしています。

そして、自分自身の人生の終末期も、
議員としての仕事も、
みんなの知恵と力を借りて、
住みよい島に出来ればと願ってやみません。


■今日は77年前、広島に原爆が落とされた日です。
僕はまだ広島や長崎に行った事はありませんが、
近いうちに必ず訪れるつもりです。
世界が早く平和になって欲しいと祈り続けています。
そして、核のない世界の実現を願っています。

そんな本日、
西と南の海が悪くてカヌー練習が中止となったので、
北港に行って来ました!

久々にロングフィンを出してきてシュノーケルをしたのだけれど(最近はほとんどギョサンにゴーグルばかりでした)、
うねりもなく、透明度が抜群で、
凄く気持ちのいい海でした♡

何千という黄色い魚(名前わからず)の大群に囲まれ、
なんだかすんごく心がリフレッシュする海でした♪

そのあとは約束していた大好きな家族に
ファミリーポートレートを撮らせてもらい、
SUPで沖合へ。

東北出身で、19歳で初めて父島に来るまでカナヅチだった僕ですが(笑)、
今はこうして毎日のように海に行っては充電させてもらっています。

僕にとって海って、確かに体力は奪われるのですが、
確実に色んなエネルギーを充電できて、
リフレッシュできる場所になっています。

自営業がメインだし、畑もやっているので、
100%休日という日はない(作ればできるけどw)のですが、
日曜日はやっぱりどこか肩の力が抜けて、
ゆっくりしようかなぁと思って、
北港で読書もしました。

発売されたばかりの「硫黄島上陸/酒井聡平」。

祖父が硫黄島が戦場になっていた頃に
父島で無線の通信の仕事をされていた方のお孫さんにあたり、
滑走路下の遺骨収取にも関わった方の本です。

まだ全部は読めていませんが、
生々しい描写で、圧巻です。

1日も早く、世界が平和になりますように。