8月15日は終戦記念日。
日本武道館で全国戦没者追悼式が執り行われました。
日本武道館で全国戦没者追悼式が執り行われました。
※映像は最後に貼ってあります。
小笠原村での戦没者追悼式は
母島では台風7号接近に伴い、時間を変更して17時から
父島では予定通り17時半から実施されたそうです。
これは硫黄島の摺鉢山にある特攻隊の慰霊碑です。
僕自身、
今年は戦争の爪痕をこれまで以上に肌で感じられた1年でした。
2月に硫黄島(小笠原村)、
5月に靖国神社(東京都)、
8月にひめゆりの塔(沖縄県)、
を周ってきました。
沖縄ひめゆりの塔。この下のガマ(鍾乳洞)で沢山の若い命が奪われました。
7月の硫黄島訪島事業では妻と娘ふたりが、
初めて激戦の地、硫黄島に行くことができました。
貴重な機会を
本当にありがとうございました。
行ってきた人からの感想や投稿を拝見していると、
やはり現地での学びの深さに改めて意義を感じています。
靖国神社 戦争で亡くなった方々が祀られています。
■本来の予定であれば、
母島に帰って、戦没者追悼式に出席する予定でしたが、
台風でおがさわら丸が欠航となり、
この日を内地本土で迎えることになりました。
母島に帰って、戦没者追悼式に出席する予定でしたが、
台風でおがさわら丸が欠航となり、
この日を内地本土で迎えることになりました。
小笠原、沖縄、本土と
それぞれに色んな見方はあるのだけれど、
平和に暮らしていた人々を戦地に繰り出し、
戦後79年経った今も、
色濃く戦争の影響をあらゆる場面で感じられると、
二度と戦争は起こしてはならないと強く感じます。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑。戦争で亡くなった方々のご遺骨が納められています。
戦争がなければ、
硫黄島は楽園のままで、普通に島民が今も暮らしていたはずだし、
小笠原の在り方、文化も今とは違うものだった気がします。
硫黄島は楽園のままで、普通に島民が今も暮らしていたはずだし、
小笠原の在り方、文化も今とは違うものだった気がします。
沖縄も全く違った、米軍基地のない、
あんなに悲惨なガマでの自決もない今があったはずです。
沖縄ひめゆりの塔に献花をしました。
ただ、もう過去は変えれないので、
あとは今を生きる私達がどうしていくのか、
だと思うのです。
あとは今を生きる私達がどうしていくのか、
だと思うのです。
今は戦争をリアルタイムに語れる方が残る、
最後のタイミングだと思います。
ぜひ、足を運び、現地に行ってまずは知り、学んでほしいです。
靖国神社の横にある遊就館に展示されている人間魚雷「回天」。
ここに人がひとり入って、そのまま敵艦に突撃するのです。
難しい年表や背景、軍の部分よりも、
生々しい戦後遺族の手記、
最後の親への手紙、
弾痕しか残らない激戦の地の爪痕、
若き未来ある若者を強制的に散らせた時代の流れ、
稼ぎ手、働き手を失った家族の苦労、
沢山、沢山学んでほしいです。
生々しい戦後遺族の手記、
最後の親への手紙、
弾痕しか残らない激戦の地の爪痕、
若き未来ある若者を強制的に散らせた時代の流れ、
稼ぎ手、働き手を失った家族の苦労、
沢山、沢山学んでほしいです。
何度も何度も言っていますが、
小笠原には戦跡と平和の鐘はあれど、
戦争の事を学ぶ施設や戦争資料を保管する場所がありません。
靖国神社横の遊就館に展示されている硫黄島の戦跡遺品の数々。
戦後79年経って、遺族に保管を頼まれた方も、
高齢化が進んで自宅に保管する限界に来ています。
小笠原の父島か母島に平和祈念館、
戦跡資料を保管、展示する場所が必要なのではないでしょうか?
このまま失われていいのでしょうか?
ぜひ多くの方に声をあげてもらい、実現したいです。
もう残された時間があまりないのです!
令和6年度 全国戦没者追悼式