小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

“Kwa'layu” コワラユ

2022年08月09日 | カナダ留学 長女
■母島にはPTA広報誌「万年青(おもと)」というものがあります。

これはPTA万年青編集部が企画して、各保護者や教員、その他ご縁のある人に原稿を依頼して、
年3回発行の活動をしています。

僕は色んな保護者の普段見れない目線や優しさ、
その家庭でしか分からないドラマを知ることが出来るこの万年青が大好きなのです。

7年ほど前だっただろうか、
その時も万年青編集部になったばかりだった僕は、
時々真っ白な空ページがあることに気付いて、
巻末に特設ページを作ることを提案しました。

題して「先輩からの手紙」。

その時の第1号が、当時初めて小笠原高校から次世代リーダーシッププログラムに参加となり、
オーストラリアに留学している高校生にEメールで原稿依頼をして、
素晴らしい原稿を仕上げてもらった記憶があるのです。


■今回、なんと編集部でそんな話をしていたら、「じゃあジャイアンの長女がカナダ留学してるんだからピッタリじゃん!」と
逆に言われ、親としては全くの想定外でした(笑)。

例によって締め切りを守るのがあまり得意でないことは分かっていたので、
実際の締め切りより3週間早めに設定し、ようやく仕上げてきた長女の文をここに紹介します。


【“Kwa'layu” コワラユ】

母島のオハナは元気にしているだろうかと、ふと思うときがある。
私はカナダに来てもう三年が経ち、つい二週間前に高校を卒業したばかりだ。
帰ったら話したい楽しい思い出は旧ヘリで望める星の数ほどできたし、辛い思いをすることも勿論あった。
それでもこうして今の私がいるのは、大切な家族はもちろん、ふるさとの島のみなさんのおかげに他ならない。
こんなに遠く離れていても、いつも気にかけてくれている人たちがいると思うと、それだけで胸がいっぱいになる。

私の住んでいる小さな港町は、主にKwakiutl(クワギワ)という先住民族の伝統的な領土だ。
彼らの使う言葉はKwak’wala(クワクワラ)と呼ばれ、今では流暢に話せる人はおよそ200人ほどしかいない、いわば絶滅危惧言語。
先住民族の言葉は英語とは異なり、少し複雑でとても興味深い。
私が学んだKwak’walaの中でもひとつ、この言葉を。Kwa'layu(コワラユ)。
その意味は”You are the reason for every breath that I take”、 訳すると、
あなたは私のつく呼吸ひとつひとつの理由、つまりあなたは私の生きる原動力となる。
これは自分にとって大切な大切な人たちを指すパワフルな言葉で、ネイティブにとっても簡単に口にするような言葉ではない。
でも、私にとってのKwa'layuとは、他の誰でもなく、太平洋の端の小さな島で今これを読んでくれているオハナたちなのだ。
あなたは私の生きる原動力。いつもありがとう、love youずっと!
※オハナ=ハワイ語で血縁を超えた家族を含む、大いなる家族のこと


カナダ、バンクーバー島ポートハーディーにて

■長女の文章となると、親としてはこっ恥ずかしいのですが、
自分が大好きで触れたかったネイティヴの世界にどっぷり浸かれてると思うととても羨ましいです。

バンクバー島のポートハーディーという人口2000人の小さな村に彼女は住んでいます。
人口の60%以上がネイティヴという環境の中で、
先住民の長い歴史は素晴らしい哲学や美しいだけでなく、
アイデンティティを奪われた葛藤や苦悩が今も続いていると
長女から少しだけ聞いていましたし、
それ以上の現実があるのだろうと思います。

そんな最中で3年も過させてもらった長女の紡ぎ出した言葉は、
色んな意味でリアリティを伝えてくれました。

なんという思慮深い目線かと思います。

直接会っていない僕には、なかなか使わっていないであろうニュアンスを
長女は3年という月日で獲得している、そんな気にさせられました。

卒業の年に、
海岸インディアンの象徴ともいえる、
トーテムポールの建設に関わらせてもらったのは、
本当に貴重な経験だったと思います。

そんなPTA広報誌の万年青は島の皆さんの愛の詰まった素晴らしい文集です。

第1号からロース記念館や船客待合所に大切に保管されていますので、
もし興味のある方はぜひ手に取ってご覧になってみてください(^^♪


■コロナに感染して、
10日間の自宅療養を経て、
久しぶりに海に入りました。

「精神と時の部屋」から出てくると、世界はまるで別世界(#^.^#)

まだ全快とは言い難い体調ですが、
それでも海に入っていると、
身体が少しずつ元の調子に戻ってきたのが分かります。

北港では、凄く久しぶりに島に帰って来た顔も見れて、
なんだか時の流れってすごく早いなと思わされました。
あんなに小さかった子供が、もうすっかり立派な大人になっているんだもの!!

そして、夕方には久しぶりの夕陽を見にサンセットシアターへ行きました。

約2週間振りに見る夕陽は、
心の底から「ありがとう!」と思えるような夕陽でした。

当たり前の景色と思っていたけれど、
やっぱりそれは当たり前なんかではなく、
有難いものであるということを再確認しました。

故郷の仙台はきっと今頃七夕で賑わっている事だろうな。
コロナ禍の前みたくはいかないだろうけど。

毎日少しずつ母島でも感染が拡がる新型コロナ。
ワクチンを打たない僕のコロナ感染は、
インフルよりは軽かったけれど、
社会的にはとても影響が大きく、
沢山の分野にご迷惑をおかけしました。

今度はその恩返しをする番です。
できる限りのフォローをしていきます!

感染した時に言われた一言、
「困った時はお互い様ですよ!」
ほんと嬉しかったその一言を、
今度は行動でお返ししていきます!

長女がカナダの高校を卒業しました(^^♪

2022年06月16日 | カナダ留学 長女

■6月10日(日本時間では6/11)、カナダの高校に留学中の長女が卒業しました!

Facebookやインスタなどで多くのお祝いの言葉を贈って頂き、

本当に感謝の気持ちでいっぱいです!

どうも有難うございました(^^♪

卒業式のクライマックス、帽子投げの瞬間です!

カナダではコロナ禍が比較的明けていて、保護者の来場が認められているので、

今回はオンライン配信の予定はなかったそうですが、

当日に粋な学校側、素敵な保護者家族がオンライン配信をしてくれたので、

7000km離れている私達家族もリアルタイムで長女の卒業式、

翌日のウォーキングセレモニー、パレードと同じ時間を過ごすことが出来ました♪

 

元々は家族でカナダに行ってお祝いするつもりだったのですが、

日本のコロナ禍の事を鑑みて、渡航を断念していただけに、
オンライン配信はとても有難かったです☆

 

 

■長女がカナダ留学をスタートさせたのが2019年の秋からでした。

そしてその翌春から、世界的なパンデミックが吹き荒れ、

長女も急遽、1度だけ帰国しました。

 

多くの留学生が留学を諦め、長女も一時は留学中止が頭をよぎっていましたが、

数ある留学生が学生ビザの発行が停止されて、留学を断念した中、

長女は持っているビザが有効だったので、何とかカナダに渡航し、

留学を継続できるラッキーな状況でした。

 

2000年のコロナ禍による緊急帰国の際にも、

1か月東北でコロナの感染のリスクを背負いながらも、

長女のホームステイを受け入れてくれた従妹家族のサポートを忘れません。

 

コロナ禍にカナダに戻る時も、

カナダについてから2週間の自己隔離計画を提出し、

外に出たり、外部の人と接触しないで過ごすときも、

サポートしてくれる家族がいてくれました。

 

それどころか、2019年に15歳で単身でカナダへ渡航するとき、

ポートハーディーという遠い土地までの2泊3日の事を心配して、

バンクーバーで自宅に泊めてくれた人も現れたりしました。

 

それ以外にも、

長女は色んな人達に支えられて無事に3年間の高校留学を終えることが出来たのです。

本当に心よりお礼を申し上げます!!

 

 

■そして亡き母のパートナーであったケビン。

現地での長女の保護者として、これ以上ないほどのサポートをしてくれました。

 

2018年で家族でカナダを訪れた時も、

沢山の場所を案内してくれ、

終の棲家として選んだバンクーバー島北部の小さな港町「ポートハーディー」も最高でした♪

 

3年間、50歳以上も年の離れた長女と過ごすのは、

色んな意味で有意義だったと思います。

時にはぶつかり、時には助け合って過ごしていたようです。

 

大したお金のない私たちにとっても、

ケビンの存在とサポートは大きく、

実際に僕自身も子供のころから知っている人柄だったので、

安心して長女をお願いすることが出来ました。

最高のステップファーザーです!

本当にありがとうございます!!

 

 

■ポートハーディーという、人口2000人程度の小さな村で3年間を過ごした長女。

気になる今後についてですが、詳しくはまだ何も決まっていません。

現時点では進学をするつもりもないようです。

 

もう18歳。

日本でも成人扱いの年齢です。

国際線の飛行機を手配するのも自分でできる年齢になりました。

 

あとの長女の人生は、自分自身で選んで決めていくでしょう。

親としては応援はするけど、金銭的なサポートも含めて、あまり手を出さない(出せないw)つもりです。

 

親から支援してもらわない代わりに、

自分の行動に自分で責任を持つ、

その代わりに圧倒的な自由を手に入れることが出来るのです♪

 

少し前までは、まずは故郷の小笠原に帰って過ごしたいと言っていましたが、

小笠原に戻るにはあまりにコストがかかりすぎます。

今自分がいる状況、

そして今自分が何をしたいのか、

何に興味があるのかにフォーカスし、

存分に挑戦してほしいと思います。

 

親として、

ああだこうだ言う気は微塵もありません。

 

長女は長女の人生。

存分に自分の判断で楽しく生きて行ってもらえたらと思います☆

 

まさに一言「幸運を祈る!」です♪

 

 

 

■自分が18歳の時、僕はまだ夜間の工業高校の3年生であと1年在学がある状況でした。

19歳で卒業した春に、同級生たちは就職、進学を選ぶ中、

ひとり小笠原へ旅する事をしていました。

 

トラック運転手の知人に乗せてもらい、

たった一人で深夜の川崎に降り立った時、

寒い夜にホームレスのおじさんに段ボールを分けてもらった時、

初めてのおがさわら丸に乗って、船の上で沢山の人と話した時、

小笠原で出逢った、今までにあった事もないような自由な人達との時間、

高校を卒業した瞬間に、

東北という狭い社会から、一気に世界が拡がったのを今でも覚えています。

 

一方、長女の場合は小学5年生から信州高遠に山村留学、

中1でニュー二ランドにホームステイ、

中2でバリのグリーンスクール

中3でカナダ旅行ハワイ研修

高校の3年間カナダで過ごすなど、

僕の時代には考えられないようなグローバルな世界に生きています。

 

僕にとっての初めての海外が母親の危篤で急遽向かった26歳のカナダ渡航時と比べると、

雲泥の差ですね(笑)。

 

ですが、長女ならではの時代の選択として、

これからを遠く温かい目で見守っていければと思います。

 

■このままカナダに残るもアリだし、

世界を働きながら旅するもいいでしょう。

 

日本に帰ってきて、色んな事に挑戦するもいいでしょう。

 

お金はないけれども、

圧倒的な自由と時間はあるのです。

 

将来の夢という名目で、

未来の職業を決めさせたり、

いい学校に入ったり、

一流企業に勤める進路だけに価値観を持っている訳ではないので、

己の能力を存分に発揮しながら、

時には失敗し、苦悩しながらも、

存分に楽しい人生を味わってもらえたらと思います。

 

親からすれば、

決して器用でも、抜群に頭がいいとも思っていませんが(#^.^#)、

人に恵まれ、人に愛され、真心と優しさだけは存分に持ち合わせていると思っている長女です。

 

オンラインで観ただけの卒業式での雰囲気でも、

それは十分に伝わってきました。

 

おかげであまり心配していません♪

 

近くに住んでほしいとも思ってないし、

いつもよく会いたいとも思っていません(笑)。

 

ただこの世界のどこかで元気に過ごしてくれていて、

人に対する感謝の気持ちを忘れないでいてほしいなと願うばかりです。

 

深刻に困った時だけは、ちゃんと親を頼ってください(^^♪

 

とにかく、卒業おめでとう!!

今後が楽しみです☆

グッドラック!!

 

 

 

 

 

 

 

 





7,000㎞先の新聞でみる娘の様子~長女がカナダ地方紙に

2021年11月23日 | カナダ留学 長女
■カナダのバンクーバー島最北端の小さな村に高校留学している長女。
なんと、北バンクーバー島のローカル新聞「EAGLE」に載ったと連絡が入りました。

事前の取材ですら知らなかったので、ビックリしました(#^.^#)
聞くところによると、新聞に長女が撮った写真を提供しようと連絡をしたところ、
彼女のルーツやこの町に来た経緯などに関心を持たれ、ストーリーで記事を作ってもらう事になったそうです。

せっかくなので紹介したいと思います。
(掲載文+勝手な和訳は記事の最後に載せてあります)

どういう観点から見ても、親ばかなのは間違いないのですが(笑)、
長女は写真や絵が上手いです。
カナダでもそれが健在なのはさすがですね(#^.^#)

僕と長女で同じ被写体を撮ってみて、島の人に評価してもらった時も、
歴然と差がありました。
く、悔しいけど認めます!!

撮る前から、どういう写真を撮りたいかが明確にイメージできているらしく、
スマホだろうが、コンデジだろうが1眼レフだろうが、
関係なく見事に風景を切り取ります(人物は苦手と言っていました)。


■例年だと12月の上旬の父島母島スポーツ交流大会があり、
島の多くのみんなが日々スポーツに明け暮れるこの季節、
母島の南崎にも営巣するオナガミズナギドリの巣立ちのシーズンです。

夏に生まれて、親がずっとお世話をして、
最後には親が来なくなってお腹を空かして飛び立つ海鳥の子育て。

3年前、長女は母島の中学を卒業し、
数か月の父島にある小笠原高校生活を経て、
一気に7000km彼方のカナダの公立高校に巣立っていきました。

「異文化の中にどっぷり浸かりたい」
ミズナギドリのヒナが陸から一気に大海原に飛び立つように、
長女は当時日本人が一人しかいないカナダの島の最北の小さな村に巣立っていきました。

もちろん、慣れない土地で大変だったこともあったでしょうが、
優しくて、ちょっぴり頑固な義祖父の元での海外生活はとてもエンジョイしているみたいで安心しました。

留学して1年後に小笠原高校に戻る選択肢もあったのですが、
コロナ禍でもカナダに戻ることを選択した長女。
記事にも書かれていますが、
母島とはまるで正反対の気候の中、
まあそれなりにエンジョイしているようです。

親から見て、
中学生の段階で英語はペラペラだったし(親は片言w)、
人が好きでいい意味で単純なところもあるので、
親としてはあまり心配はしていないのですが、
こうして元気そうに過ごしていそうな記事を見ると、なんだか嬉しくなります♪


■先日、母島ではコロナ禍で中止になった島嶼の子供サッカー大会「愛らんどリーグ」関係のイベントがあり、
内地からコーチが来てみんなと島嶼リフティング大会を開催してくれ、
母島の小学生も100回近くリフティングをこなして、見事入賞していました!!

こんな景色の中育った長女が、
シャチやラッコのいるカナダの北の島で暮らしているなんて、
なんだか不思議です。

今年はコロナ禍で帰国を断念しましたが、
去年帰国した時に「この日差し!!紫外線が恋しかった!!」と言って、
真っ白くなった肌を焼いていて、
とても可笑しかったのを覚えています。


■先日は近畿のほうから母島によく来ているヨットマンが来島していました。
もう20年くらい通い続けていて、
うちの夫婦が島に来た頃と時期が同じなので、
ヨットに載せてある島の人との写真アルバムが知った懐かしい顔が多くて、嬉しくなりました(#^.^#)
20代の僕も写っていました☆

台風を島でやり過ごしつつ、
また地元へ帰っていきました♪

母島を出港するときにみんなで見送ったのですが、
母島の北端の鬼岩ら辺でエンジントラブルを発見し、
ひょっこり戻って来ていて、またまた宴会が続いていたのが素敵でした☆

出港日時を決める時も、
戻ってくる時も、
ヨットマンの時間の流れは風と天候任せ。

島暮らしののんびりした時間軸ともまた違う彼の雰囲気に魅せられていました(#^.^#)
まるでスナフキンの様な、現代の枠とは違う目線、そんな感じです。



■さてさて、
去年の9月にSUPを購入してから、
可能な限り時間があれば海に出ている日が1年経過しても続いています(^_-)-☆
まだまだ飽きません(笑)。

先日は妻とカヤック&SUPで沖に出て二人で楽しんできました♪
(次女はソフトボール。みんなバラバラが我が家らしいw)

もうすぐザトウクジラが来る島の冬の季節。

その圧倒的な存在感は、SUPをしているとより顕著です。
クジラからしてみればSUPなんて木の葉みたいなもの。
こちらもその時期はライフジャケットを着て沖に出ます。
潜るとクジラのどこか哀しげな歌声が聴けるのも冬ならではです。


今期は脇浜にネムリブカ達が冬なのに集まってきています。
普段は春時期に見られるこの光景。
ネムリブカ(英名:ホワイトチップ)は繁殖ために集まってくると聞いています。

今年は何かせっかちさんでも多いのでしょうか?
SUPで上を通ると、凄い速さで波を起こしながら逃げていきます(ごめんね~!)


そして近所にはオオベニゴウカンの木が美しい花を咲かせていました。
僕はこのレッドパウダーパフとも言われる、
ネムの木系のブラシのような花系が大好きです(#^.^#)

ハワイの花でもあるオヒアレフアの仲間でしょうね。

線が細い花なので、あっという間にしなびてしまいますが、
咲いてすぐの時の姿は圧巻です♪

花言葉は「高潔・澄んだ心」だそうです。
花は色んな場面で心を癒してくれます。

小さな素朴な野の花も素敵ですし、
こうした園芸品種の花も見事で感動します♪

そんな11月の母島でした(#^.^#)


■掲載記事を転載しました☆
2021.11.26までWeb版にも掲載されているそうです。
「EAGLE 2021.11.19」

Youth swaps Japan for Port Hardy to learn English

By Kathy O'Reilly, North Island Eagle, November 19 2021


When most people want to learn a new language, they sign up for a course.
Nagiho Miyagi hopped on an airplane from Japan to Port Hardy.
Nagiho, who is attending Port Hardy Secondary School, is from Tokyo, Japan, but not from the big city that immediately comes to mind.
“I was born in Tokyo, but I’ve grown up on islands. There are about 11 isolated islands south of Tokyo including the Ogasawara Islands, and all of those belong to Tokyo,” Nagiho explains.

She is from the southernmost island of Tokyo called Hahajima which belongs to the Ogasawara Islands.
The Ogasawara Islands are a World Heritage Site. They are located 1,000 kilometres south of Tokyo and are structured by two main islands and another 30 small uninhabited islands. The two islands, where people live are Chichijima: meaning father island and Hahajima: meaning mother island. Chichijima has a population of 2,000 and Hahajima has a population of 450.

“I used to live on Chichijima up ‘til I was five and then I moved to Hahajima and then grew up there ‘til I was 15,” Nagiho said.

Nagiho moved to Port Hardy in 2019, to improve her English skills and learn about different cultures.
The Ogasawara Islands are a tourist site, visited by many people from around the world.
“I have always liked to make friends with tourists and especially enjoyed talking people from abroad since I could use my English and get to know the stories of travellers from all over the world.”

By the time she graduated from junior high school (Grade 7 to Grade 9), Nagiho aspired to live abroad where she could immerse herself in an English-only environment.
As it would happen, Nagiho’s step-grandfather Kevin Lynch has been living in Port Hardy since 2016.
“He gave me an opportunity to stay in an English-speaking country by being my legal guardian. So, I started attending PHSS when my 10th grade started and now my last year of high school has just started.”

Moving to a smaller, isolated community on the tip of Vancouver Island, from a small island, was not a huge change and it is hard to draw comparisons between the two places.
“However, if I were to compare this town to my island, I would say some (things) are in common and some are not. Since both are island communities, we have very close relationships with people in the community. It makes our bond tight, and we help each other in need,” she said.
“On the other hand, we have completely opposite types of climates and nature.” Her island was warm, and she could swim year-round. The island had palm trees and all other tropical plants, and dolphins and sea turtles in the ocean.

Nagiho Miyagi moved to Port Hardy from Japan to immerse herself in the English language.

“Here, Port Hardy is a bit colder, rainy town with beautiful tree-beard-covered evergreens. I’ve had this fantasy about evergreens, and I am extremely happy that I can see evergreens every day." She finds Port Hardy small but likes towns and finds it “nice to see people greet and hug each other everywhere.”

Nagiho also appreciates the natural world presents on the North Island.
“The scenery here is just breathtakingly beautiful every day. It rains a lot here, but I realized that it also means we can see rainbows just as often as it rains,” she said.

“The beauty of North Island is in the humidity, not just rain but also mist and fog that covers this island just like veils, I think. The sunsets among the mountain ranges are one of my favourite scenes on the North Island, especially when the sunshine comes through the foggy mountains,"
Wildlife is another thing she treasures.

"Every different species of life is living so serenely,and they are shining in Mother Nature.Since I like photography,I have taken lots of beautiful North Island photos. It makes me feel like exploring more of the North Island.
I will keep capturing the special and normal moments and scenery of the North-Island.""
In addition to become anavid photographer since moving to the North Island,Nagiho enjoys singing,drawing and painting.
There are "lots of canvasses"on the wall in her room.



【親父による不完全な和訳】
英語を学ぶために日本からポートハーディーへ

ほとんどの人が新しい言語を学びたいとき、講座に申し込みます。
彼女は日本からカナダのポートハーディに向かう飛行機に飛び乗りました。
ポートハーディ高校に通っている彼女は、日本の東京出身ですが、みなさんがすぐに頭に浮かべる大都市ではありません。
「私は東京で生まれましたが、島で育ちました。小笠原諸島を含め、東京には約11の島があり、それらもすべて東京なのです」と説明します。

彼女は小笠原諸島に属する母島と呼ばれる東京最南端の島から来ました。
小笠原諸島は世界遺産に登録されています。

小笠原諸島は東京の南1,000kmに位置し、2つの主要な島と30の小さな無人島で構成されています。

人々が住む2つの島は、
お父さんを意味する父島と
お母さんを意味する母島です。
父島の人口は2,000人、母島の人口は450人です。

「父島に住んでいたのは5歳まででしたが、
母島に引っ越してから15歳まで育ちました」

彼女は2019年にポートハーディに引っ越し、
英語を上達させ、さまざまな文化について学んできました。

小笠原諸島は、世界中から多くの人が訪れる観光地です。
「私はいつも観光客と友達になるのが大好きで、
英語を使って世界中からの旅行者の話を聞くことができたので、
特に海外からの人々と話すのが好きでした。」

彼女が中学を卒業する頃には、英語だけの環境に浸れる海外生活を目指していました。
たまたま、彼女の継祖父ケビン・リンチは2016年からポートハーディに住んでいます。
「彼は私の保護者になってくれて、英語圏の国に滞在する機会を与えてくれました。
それで、私は10年生(高校1年生)が始まったときにポートハーディー高校に入学しました。
今は高校3年の最後の年が始まったばかりです。」

小さな母島からバンクーバー島の先端にある小さな孤立したコミュニティに移動したことは大きな変化ではなく、
2つの場所を比較することは難しいでしょう。
「しかし、この町と私の島と比較すると、
共通しているものとそうでないものがあります。
どちらも島コミュニティであるため、
地域の人々と非常に緊密な関係を築いています。
それは私たちの絆を強くして、
困っている時はお互いを助けることをします」
と彼女は言いました。
「その一方で、完全に真逆の気候と自然です」
彼女の島は暖かく、一年中泳ぐことができます。
島にはヤシの木やの熱帯植物があり、
海にはイルカやウミガメがいました。

「ポートハーディは少し寒くて雨の多い町で、
木の髭で覆われた美しい常緑樹があります。
私は常緑樹について夢を抱いてきました。
毎日常緑樹を見ることができてとても嬉しいです。」
彼女はポートハーディを小さいと思いますが、町が好きで、
「人々がどこでも挨拶し、抱き合うのを眺めるのが大好き」
と感じています。

また彼女はここの自然も素晴らしいと思っています。
「ここの景色は毎日息を呑むほど美しいです。
ここは雨が多いですが、
雨が降ると同じくらい頻繁に虹が見えることに気づきました」

「ここの美しさは、雨だけでなく、
ベールのようにこの島を覆う霧や雲にあると思います。
山脈に沈む夕日は、北島での私のお気に入りの風景の1つです。
特に、霧の深い山々から太陽が降り注ぐ時は格別です。」

野生生物は彼女が大切にしているもう一つのことです。
「色んな種類の生物がとても穏やかに暮らしており、
母なる自然の中で輝いています。
私は写真が好きなので、たくさんの美しい景色の写真を撮ります。
ここをもっと探索したい気分になります。
特別な瞬間だけでなく、普通の瞬間や風景も撮っていこうと思っています」
ここに来てからは写真を撮るだけでなく、歌、絵、絵を描くことも楽しんでいます。
私の部屋の壁には「たくさんの作品」があります。


長女が日本出発!!~コロナ渦でのカナダ留学継続という選択

2020年08月08日 | カナダ留学 長女
■8月8日、長女が成田空港からカナダに向けて出発しました。
去年の9月から留学していたカナダの高校に戻る為です。

この記事を書いている時は彼女は空の上です。

世界が新型コロナのパンデミックが広がる中、
長女は3月末に日本に緊急帰国しました。

それから4か月、内地、父島、母島と転々として、
今、このタイミングでカナダに戻る事を選択しました。

東京で連日400人以上の新規陽性者が出ている中で、
カナダに戻る選択をすることはとても悩みました。

長女にとっては父島の小笠原高校に入るという選択肢もありました。
しかし、本人も悩みに悩み、カナダの田舎の、日本人が長女しかいない方田舎の高校に戻る決心をしたのです。

親としてはその決断に精一杯フォローするつもりで、関わってきました。

※追記 日本時間の2:30無事にカナダに着き、入国審査もパスしたと連絡が入りました☆

■長女がカナダに戻るに向けて、小5の妹が描いたメッセージです。
このコロナ渦では出国することすらできるか、当日まで分からない状況でした。

今日、成田空港で出国できることが分かったと連絡を受けた時、
「カナダに行けなければ、おねぇちゃんは残念だと思うけど、
 私は少し嬉しい〜」って言っていました。
 しかし、乗れるって言ったら、少し寂しそうでした。

妹にとって超優しい6歳上の大好きな姉。
自宅出産で産まれた瞬間から、へその緒を切るのまでやってきた姉です。
次女が赤ちゃん頃は本当に良く抱っこしてくれました♡

そんな妹の為に6年間、ランドセルをすごく丁寧に扱ってきた姉です。
どんなに高いランドセルよりも価値のある、とびっきりのランドセル。
そりゃ、寂しくないわけはありませんね。

でも、外に羽ばたいて行く姉を応援したい気持ちもあり、
小学生ながらに色々葛藤しているようです。


■長女が母島を離れたのは8/1出港のおがさわら丸でした。
カナダに新型コロナを絶対に運び込むわけにはいかないので、
滞在先の神奈川まで、感染症対策を入念に考えて臨みました。
「公共交通はコロナが心配だから」と車で神奈川まで送ってもらったりしていました。

それには母島診療所が開催してくれているコロナ相談室も大いに役立ちました。

3月末に帰国、
4月にお世話になった東北から、小笠原に帰って来るときも、
今までにない緊張感の中、旅をしてきました。

今回も感染者が日々増加している東京を通過するので、
感染拡大防止に最大限の努力をしたはずです。

移動や滞在にもフォローしてくれる方がいて、
本当に助かりました♪
毎度毎度、多くの人に支えられています。

このお返しは目の前の困った人をフォローして返していければと思います。

よく聞かれることなのですが、
現在、カナダ政府には3/18以降の新規ビザ申請は通らず、
簡単には入国できない状態なのです。

しかし、去年から留学していた長女は、
今回のカナダ渡航に問題のない期限の学生ビザを持っていたので、
渡航することができたのです。
もうこれは、時の運としか言えない状況と思います。

長女はいつも何か強運にいつも恵まれている気がします♪

そして、カナダの高校、学区長にも日本の状況を説明したうえで、
長女のカナダ復学を受け入れてもらえることになりました♪

カナダ側が受け入れOKであり、
長女本人もカナダ留学の継続を望んでいるのなら、
いつまで続くか分からないこのコロナの状況を待つよりも、
渡航することを決めました。

彼女たちの世代にとって、
このコロナ渦は前例のない中を進むという、
困難ですが沢山のギフトともなる中を生き抜いていくのです。

幸いにもカナダ政府は、
日本よりも経済よりも人命を尊重する政策を打ち出しています。

長女が行くブリティッシュ・コロンビア州は1日の感染者が50人を切っています。

オリンピック延期が決まるまで、
緊急事態宣言が出来なかった、
当初は休業補償どころか布マスク2枚の配布、
経済の為に緊急事態宣言の解除を急いで、再度感染拡大が広がり、
更にはGo toトラベルキャンペーンをするような頓珍漢な日本とは違い、
学生やフリーランスまでも休業補償をしている、まさに先進国のカナダ政府です。

色んな意味で長女が日本にいるよりも、
本人が望むならばカナダに行く事を選んでいいと僕は思いました。

カナダの学校は州やコロナの状況で場所場所で違うようですが、
基本的には9月からの学校再開(感染症対策の上)が決まっています。


■今回、カナダに入国した後は2週間の自己隔離生活を義務付けられています。
それを守れない場合は、なんと4000万円に匹敵する罰則を支払わなければいけません。

長女がホームステイしている先の義祖父はなんと60歳以上。
自己隔離生活をするには60歳以下でなければいけません。

これは大きな問題でした。

今回、有難いことに長女と一緒に渡航する予定の同世代の子がいて、
その子の親がなんと同じエリアの方という事で、
2週間の自己隔離生活をしてもらえることになりました♪

本当に有難いご縁です☆

バンクーバー空港に着いたら、
自家用車で迎えてもらい、そのままBCフェリーでバンクーバー島へ、
ナナイモ経由でポートハーディーへ向かいます。


当時15歳の長女が去年たったひとりでカナダに渡航する時も、
色んなご縁で関わった人たちに、沢山のフォローをして頂きました。

今回はこうして素晴らしい出逢いがあり、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです♪
どうもありがとうございます!!



■長女の渡航が決まったので、最後にみんなで母島の楽園「蓬莱根」に行く事にしました。

蓬莱根はとても大好きだったのに、
ここ数年は随分とご無沙汰になっていた場所です。

先日、久々に行って、最高!と確信できたので、
今度は長女を誘って、最後のファミリーピクニックを開催しました♪

やはり、蓬莱根の海はとても透明で美しく、
長女が出発するまでの限られた時間のフィナーレに相応しい場所でした。

圧倒的な透明度。
美しすぎるサンゴ礁。
歓迎してくれる魚たち。

次、いつ日本に、母島に帰って来れるか分からない状況なので、
最高の母島の景色を堪能して、出発させてあげたい、そんな気持ちでいっぱいでした。

幸いにも、最後に工面できる日程のギリギリで最高のコンディションでした♪

90代の島のレジェンドが「母島で一番美しい場所」と言うほどの秘境です。

山道を歩いて行かなければ行けない、ビーチなのですが、その道のりですら楽しめる♡

長女が蓬莱根に来るのは恐らく、就学前以来くらいなのではないかと思います。
実際にとても喜んでくれて、親としても大満足でした(*^_^*)

本当に行く機会を作れて、本当に良かった(*^_^*)

■今日は長女が無事に搭乗できると分かってから、
長女が残していった天然酵母の種を使って、妻がパンを焼いてくれました。

妻と長女のコラボのパンを食べながら、大空を飛ぶ長女を想います。

本当にこの渡航が認められるかが当日まで分からず、
そこに賭けて動いていたので、無事にチェックインが済んだ連絡は心底ホッとしました。

いつも26時間の船旅がスタンダードな彼女にとって、
8時間半の直行便のフライトは、あまりにあっという間の印象でしょう(笑)。

これからの時代は、今までの常識はおそらく通用しないでしょう。

次に日本に帰って来れるのはいつになるか分かりません。

長女が持っているセンスは、
これからの時代には必要なセンスと思います(勉学、生活力のセンスではないw)。

カナダの学校は、通っている長女から見ても、
「日本の画一化を目指す教育とは違い、
 個人の素質を延ばす教育方法だし、
 先生がとても熱心でプロフェッショナルだと思う」と言っていました。

長女のこれからの人生にとって、素晴らしい糧となる留学になればいいなと思います。


■まずはこのコロナ渦で「出国する」という第一関門を突破できました。
これからも色んな難題がやって来るでしょう。
それこそに学びが多くあると思うのです♪

これからの入国で何かあるかも知れないし、
ホームであるバンクーバー島のポートハーディに関わるトラブルがあるかも知れません。

でもそれは、すべて彼女にとっての学びなのです。

予定されたレールの上での道ほどつまらないものはありません。
結果よりもそこに向けての過程に意味があると僕は思っています。

そこが旅の醍醐味だと僕は思うのです。

トライ&エラーを繰り返しながら、どんな人生が待っているのか楽しみで仕方ありません♡
死なない程度に、色んな経験をして、沢山の糧を得て欲しいと思います。


長女の写真はとても独特でインスタなどにも固定ファンがいます。

空間の気持ちを切り取るのが上手い気がします。

母島を離れる最後の夕陽をみんなで過ごしました。

姉妹でじゃれ合っている光景がとても嬉しかったです(*^_^*)



■去年の巣立ちとは違う意味の出発の日。

普段、ぶつかってばかりの母親も渾身のお別れを告げたそうです。


次女は思いっきり見送りダイブで気持ちを表現していました♪


飛び込んだ気持ち良さとほのかに離れて行く実感を、彼女は感じていました。

気をつけていってらっしゃい!!

飛び込むことで、その寂しさを吹っ切る効果がある気がします。




長女、母島へ帰島しました(4/23便)

2020年05月08日 | カナダ留学 長女
■「最後の東京を通過する日が一番緊張した。生きた心地がしなかったよ」
16歳の長女がカナダの公立高校留学をしていて、
たったひとりで日本とカナダを往復し、一番緊張した移動の時はいつだった?
という質問からの言葉でした。

色々ご心配をかけておりました。
カナダの高校に留学していた長女ですが、
4/22東京発のおがさわら丸で島に帰島しました。

本日、5/7に母島に帰島して2週間が経ちます。
これで新型コロナの感染が疑われる期間を脱した状態となりました。
とても人恋しがる長女。
約2mソーシャルディスダンスを維持しなければいけません。
まだまだ島においても新型コロナウイルスの脅威はなくなっていません。

母島に帰って来るまでの日本国内での1ヶ月は、
東北の高齢者が同居していない親族が長女を受け入れてくれました。
自分たちの感染リスクなどを理解した上での受け入れの申し入れ、
本当に有難かったです。

往復の新幹線は驚くほど乗客が数人しかいなかったそうです。

この歴史に残る出来事の最中、
長女にとっても貴重な1か月になったと思います。

そして、帰国~帰島に関しても多くの人のフォローがあって、
長女は無事に帰島する事ができました。

どんなに感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。


■16歳の未成年がたった一人でカナダ~東京~東北~東京~小笠原と、
新型コロナの感染の恐怖に怯えながら、移動をする。

本来であれば、不要不急の移動を避けるべきなのですが、
未成年が外国で高齢の義父と二人暮らしを続けるにはあまりに酷な状況でした。

カナダでは彼女は一人で運転もできないし、
宿泊も法律では認められていないのです。

仮に日本国内だとしても、感染リスクがある未成年を預ける所は本当に限られます。

僕の場合はこれが成人して暮らしているなら、
動かずに自粛生活を続けていくようにしたでしょうが、
やはり未成年というのは責任も行動もまだままならない立場なので、
不要不急ではなく、急を要すると判断し、母島に帰島することを決めました。


■カナダ留学している16歳の長女を帰国させると
決意したのは3月26日頃だったと思います。

アメリカでも爆発的に感染者が拡大し、
各飛行機の運休が増えていく中、
長女のカナダの公立高校も休校となりました。

帰国を決めて、飛行機を手配しようとしていたら、
なんとカナダの国内線がどんどん運休になってくるではありませんか!
ギリギリ3/28の昼過ぎにバンクーバーに飛ぶ飛行機を取る事ができました。
しかし前日になって、その便はコロナで運休となり、早朝の便に変更となりました。

まさに本当にギリギリな状態でした。

長女が住んでいるポートハーディーから最寄りのコモックス空港まで車で片道4時間。
深夜の出発になってしまったのです。
運転してくれたケヴィンに大感謝です!!

コモックスからバンクーバーに飛び、飛行機を乗り換えて成田へ。
バンクーバー→成田の機内はほぼ満席で、そのほとんどが日本人で、
留学生がとても多かったそうです。

この時点でのカナダからの帰国は特に厳密に隔離する状況ではありませんでした。
しかし、そのまま小笠原に帰島するのはあまりに高リスクでした。
島にコロナウイルスを入れる可能性は出来る限り排除しなければいけません。

週に一度の船のアクセスしかない小笠原。
保護者である私たちは帰国を決めた段階で迎えに行く日数が無く、
内地に迎えに行くタイミングを逃していたという背景もありました。

成田に着くと成田空港は普段からは考えられないほどにガラガラ。
空港で働く友人が迎えてくれました♪
ほんと感謝です(*^。^*)

すぐに電車に乗り換えて一路、東北へ。
電車の中もガラガラ。

そこで東北の親戚のお宅が温かく迎え入れてくれて、ありがたい1か月を過ごします。
本当にありがとう!


■そして長女が乗ってきた4/22東京発のおがさわら丸は、乗船客が36名の便。
信じられないことに観光自粛が宣言されても、
乗ってきている観光客らしき人達が数人いたと言っていました。

長女は通過する東京では一切店にも寄らず、
船内でも自販機を触るなどのことは極力控えてもらい、
食べもの飲み物はすべて感染者の少ない東北で購入しての移動でした。

長女曰く、この1年間の島~内地~カナダのたった一人の長距離移動の中で「一番緊張した時」という東京通過。

東京の友人や宿に相談しつつ、一番公共交通で人がいないと思われる時間帯を狙って移動しました。
意外にも平日午後の東京はそれなりに人との距離を置きつつも、
マスクもしないで駅を歩く大人は東北よりははるかに多かったそうです。

東京で初めての一人宿泊。
宿の部屋に着いた瞬間、色んな備品を消毒しつつも、とてもホッとしたようです。
そりゃそうですよね。
中身は16歳の女の子。
精一杯頑張ったと思います。

本来であれば友達に会ったり、外食を楽しむ絶好の機会ですが、
今回は完全にお預けです。
逆に滅多に経験できない体験をしていますね。


■母島に帰って来てからは、
2週間は完全に食事もトイレも風呂も部屋も家族とは徹底的に別で過ごしました。


人恋しい彼女にとっては人に会えないのがとても辛いようでしたが、
その現代生活とは一線を期したサバイバル生活は、
彼女のスキルを飛躍的に向上させました♪

日々畑で、薪を拾い、煮炊きを繰り返します。
まきストーブ暮らしのカナダとは、薪のテクニックが違います。
こちらは野外、しかも雨季。

雨が続く気配なら、薪は多めに拾わなけれな行けません。
「これが昔話の“しばかり”なんだね~」
など言いながら、日々生活力を身に付ける2週間。


元々、炊飯器も電子レンジも使えない長女(笑)。

長時間暖を取る薪ストーブと、調理の薪の扱いは違います。
これは素晴らしい経験になったと思います。
基本的に僕はコツを伝えて見守るだけ。
彼女が手間取れば手間取るほど、食事の時間は遅れて行きます。

薪でご飯を炊くのも、汁物を作るのも、炒めものもするのも習得しました♪
これで人として一皮むけましたね(*^。^*)

そして、ヤギや烏骨鶏と戯れつつ、畑仕事に勤しむ日々。


人のいない海にもよく泳ぎに行きました。

梅雨近くなり、内地では考えられないほどの湿気の母島。
汗ばむ体はじっとりと不快な状態。
それを払拭する美しい島の海の気持ち良さ♪

人の少ない暗い時間での山域方面への長距離散歩。
星や月、時にはコウモリを眺めながら
娘と色んな話をしました。

カナダでの日々。
はじめてのカナダの登校。
小笠原高校とカナダのPHSS高校の比較。
同級生の話。
自分のやりたいことが分からない話。

とても貴重な時間だったと思います。

カメラが大好きな彼女。
色んなカメラの技術についても幾つかは伝える事ができました。
自分の持っているカメラで星空を撮れた時に本当に嬉しそうでした♪


焚火をしながら、炎に目を向け、
今日一日に感謝し、語り合う日々。
きっと石器時代の小笠原の民の親子もも同じような炎を見て、話していたのだろうなぁ。
いつも火は古代の記憶と繋がっている気がします。

朝日を全身に浴びながら、ヨガをする。

美しい夕陽を見に行く。

大自然に包まれ、人混みとは皆無な母島の暮らしはなんと有難いことかと思いました♪
自然に感謝の念が沸いてきます。

やはりピンチはチャンスなんだなと思わされます。

沢山の命が奪われているので、
こういうと語弊があるかも知れませんが、
新コロナのお蔭で気付かされたことがいっぱいあります。


■カナダの高校は、少なくとも新学期が始まる9月までは休みだと考えられています。
素晴らしいことに、3月の休校の段階で彼女の10Grade(高校1年生)はもう1日も学校に行かなくても進級は認められています。

学校が再開すればカナダに戻るつもりはあります。
学校はオンライン授業を進めてくれています。

正直、現段階で小笠原高校が再開すれば、カナダの学校が再開するまで通う選択肢があります。

それは自宅隔離期間でもある2週間を終えたので、
これからじっくり考えていく事でしょう。


■子どもの日には妻と次女が美味しいちまきを作って届けてくれました?
妻はいつも季節の行事というものをとても大切にしてくれています。


我が家のローゼルゼリーを使ったフルーツポンチも美しく、とても美味しかったです(#^.^#)

あの美しい紅色が化学反応でエレガントな紫に変わっているのも良かったです。


畑でこうして距離を置いて、食べます。
去年の夏以来、家族4人で揃って食べれる有難み♪

舞台は外だし、距離は置いていますが、やっぱり嬉しいです。
次女のお姉ちゃんに久々に会えた興奮ぶりは、
その嬉しさを物語っていました?

家族全員、体調を崩すことなく、この日を迎えれたことに感謝です(*^。^*)


■この2週間、超楽しみながらも人と会う機会を我慢に我慢を重ねた時間でした。
この会えない時間が、さらに人と人の距離を近づけます。

GWを終えた今、島でもどんどん新型コロナに対する緊張は緩んでいくでしょう。
しかし、観光客が完全にゼロになっておらず、
帰島した島民、来島した仕事の人達が2週間の外出自粛、共同生活者との隔離を実施できなければ、
島が安全と言い切るには判断が厳しいと思います。

長女が散歩などで集落などに行く際にも、
ソーシャルディスダンスを守って行動してもらいます。

僕は島のような田舎で、自然が溢れる場所では、
室外にまったく出ないのは良くないと思っています。

人との距離を置いて、公共交通を使わず、人混みを避け、その中で、
身体を動かし、お日様の光を浴びて、大自然を味わうのは、
長期化するであろうコロナの影響で健康を損なわないためにも重要だと思います。

最後に事態が深刻化したニューヨークの現状の発信。
ニューヨークも日に日に状況が変わり、ロックダウンして1か月以上経過しています。
ピークは過ぎた状態のようです。

詳しい情報を元に発信しているニューヨーク在住のゆかこさんの動画がとても参考になります。

ぜひご覧ください!

ご縁~つながりを感じる長女のカナダ留学

2019年08月16日 | カナダ留学 長女
■8月15日、終戦記念日。
母島では戦没者追悼式典が挙行され、僕も青年会会長として出席しました。

奇しくも同じその日、長女がカナダ留学のために日本を発ち、
2泊3日の旅程をこなし、無事にバンクーバー島に着いた日でもあったのです。

※写真は2018年夏に行った時のカナダ、ロッキー山脈のロブソン山に登った長女です。

超大型の台風10号が迫る直前の8/13の昼過ぎに彼女は日本を発ちました。
安チケットの都合上、まずは台湾の台北を目指します。

そして、台北で7時間過ごし、深夜にバンクーバーに向けて飛びます。
バンクーバーには夜の8時過ぎに着きました。

ここから入国審査、彼女の場合は学生ビザの受け取りに2時間半。

そしてようやく迎えに来てくれたSさんに出会えて、バンクーバーに1泊。
翌日は自力でバスに乗り、バンクーバー島ナナイモ行きの港ホースシューベイへ。

そこで自分で船に乗り、ナナイモへ。
そこでようやくホームステイ先のケヴィンが車で迎えに来てくれています。
そこから留学先のポートハーディーまで約350km。(仙台~東京間位!)

15歳の高校1年生の女子がひとりでこなすには十分過ぎるほどの旅程でした。

日本はカナダの西部にくらべ+16時間の時差。

当初は大して心配しないだろうと思っていましたが、
空港で全財産をトランクに入れて預けてしまい、見送りに来ていた知人にお金を借りた段階で、
一気に心配が現実のものになりました(笑)。

おかげで、この数日寝不足です(笑)。
ああ、自分が19歳で小笠原に行った時に一切親に連絡した記憶はありません。
親側の気持ちをこうしてようやく理解できました(笑)。

もっと、ちゃんと報告せんかいっ!!!


■長女が今回、カナダ留学するにあたり、
本当に多くの人の繋がりを感じました。

去年家族でカナダに行ったのは、10年前カナダで亡くなった母が葬られた湖に参る為でした。
それに便乗して、観たかったシャチを見たり、学校を見学したり…

今、ホームステイを受け入れてくれているケヴィンは、
亡き母の20年に及ぶパートナーです。

そして、今回の留学の手続きは去年のカナダ旅行の際、
帰りの便がまさかのフライトキャンセルという事態になり、
そこで出逢った方がご縁でした。

最初は相談だけしていて、
自力で留学手続きを進めていたのですが、
一度、学生ビザ申請で書類不備で落とされてからは、
留学エージェントとして申請作業を委託しました。

本当に低価格でやって頂き、有難い限りでした!!

そして、今回の娘一人のカナダ渡航に関して。

成田空港には島で仲良くしていて、引き揚げた友人のみんなが見送りに来てくれていました♪
皆さんの心意気が本当に嬉しかったです。
本当に有難いことです(#^.^#)

そして、バンクーバー空港で迎えて、泊めて下さったSさん。
これは今年の春のハワイ研修プログラム主催のたろちゃんの紹介の友人さんでした。

高校1年生ひとりの渡航をとても心配してサポートしてくれて、
どんなに心強かったことか。

翌日はバス停まで見送ってくれて、
ケヴィンの待つバンクーバー島ナナイモのフェリー行きまで電話などでフォローして頂きました。
本当にありがとうございました。

娘が留学するにあたり、
ひとりで渡航はしたものの、
本当に多くの人に関わってもらい、無事に目的地にたどり着くことができました。

素晴らしい人達のご縁は心底有難いなぁ思いました。
本当に有難うございます!!

※これも2018年カナダのレイクルイーズにて

■成田空港でも電話やSNSで、逐一色んな情報が入って来ました。
カナダ到着時でもそうでした。

飛行機の運航状況、
今この瞬間にそのフライト便が世界のどこを飛んでいるかが分かる時代。

母島にいても、こんなに離れた先の事が
リアルタイムで伝わるってすごいと思いました。

親としては安心だし、
とても有難いけど、
圧倒的な外への解放感とかは失われて来ているのかなとも思いました。

※こちらも2018年夏のポートハーディーにて

こんなにネットや携帯が復旧していなかった20年前は、
高い国際電話、
時間のかかる手紙しかなかったですからね。

まさにほぼ音信不通で、
それと引き換えに圧倒的な自由を手に入れられた気もするのです。

僕が高校生の頃は、こうした高校生での留学ですら考えつかなかったので、
時代は変わったのだなぁと思いました。

世界はより身近になった気がします。

それがもっと戦争ではない平和な方に進んでほしい。
切にそう思います。


■長女は目的地に着いてホッとしたのか、軽く風邪を引いたようです。

ゆっくり休んでほしいです。
よく頑張ったね!

ポートハーディーはバンクーバー島の最北端にある、
人口2000人の小さな港町。

人口規模的には父島と同じくらいです。

自然が豊かで、干潟もあります。
林業が盛んな地域のようです。


これでようやくカナダ留学の現地でのスタートラインに立ったばかり。
南国から極寒の気候の変化、
日照時間の違い、
食生活、
文化、
歴史、
人間性、
全てが違う環境で沢山の刺激を得て欲しいです。

ポートハーディーには日本人は長女を含めてたったの二人という世界(#^.^#)

どんどん色んな挑戦をして、
失敗を沢山して、
多感な時期だからこそ感じれる、
貴重な異国の地での生活を楽しんでほしい。

どうしても無理な時は帰って来れる場所もある。

受け入れてくれたステップファーザーのケヴィンに深い感謝です♪