→①の続き
■「今まで、どこに行っても一番母島がいいと思っていたけど、
今は母島と青ヶ島が同じくらい一番と思えたんだ~♪
早くまた青ヶ島に行きたいなぁ~!」
1か月の青ヶ島滞在を終えて母島に帰って来た、次女の言葉です。
母島小学校の青ヶ島発表の時間でも言っていました。
※次女が母島小学校で青ヶ島の説明をする場面。
驚きました。
そんな言葉を聞けるなんて、なんていい時間を過ごしたのだろうと思います♪
母島のみんなの前でも言えるなんて…
本当にみんなに大事にしてもらったと思うし、
共に過ごした家族、友達や学校、青ヶ島の皆さんがとても優しく、素晴らしかったのでしょう♪
■そんな言葉に集約されるような青ヶ島滞在。
多くの人に支えられて、次女にとって初めて降り立つ青ヶ島の生活が始まりました。
ホームステイを受け入れてくれたお宅にお邪魔し、
慣れない土地での生活。
なんと青ヶ島に着いた翌日は、
青ヶ島小中学校のロードレース大会。
次女は前日夜に初めてコースを車で回って見ただけでの出場。
多くの島の人に応援されながらのロードレースだったようです。
※僕が青ヶ島で密かに好きな島唯一の商店「十一屋」に続く景色。ここを走っていたようです。
50時間以上も船で揺られ続けた次女さん。
母島では同学年7人中、1番でしたが、青ヶ島では3人いる中での最下位。
とても悔しがっていたそうです☆
レース後に先生の「満足できた人!」にひとりだけ手を挙げなかったそうです。
大人や先生から見ると、
ほぼコースも分からない、ぶっつけ本番で臨んだ割に、いいタイムだったと思うのですが、
本人は納得いかなかったようです(*^_^*)
いい経験ですね~
青ヶ島小学校から母島小学校へ次女の走る写真が送られてきました(*^_^*)
本当に有難いです☆
そんなこんなで青ヶ島生活のスタートを切りました。
青ヶ島が大好きな妻も、次女のチャレンジを応援するために敢えて2泊で島を離れました。
それから迎えに行く1ヶ月間、一切次女の声を聞くことはなく、
ホームステイ先から時々送ってもらえる写真やメッセージで様子を知る程度でした。
時々聞く様子からは、本当に貴重な体験を沢山してもらっているなぁと感じました。
母島に帰って来てから教えてもらったことですが、
実は親と離れて2晩くらいは寂しくて泣いていたそうです。
10歳で親元を離れてのチャレンジ。
ほんとよく頑張っていたのだなぁと思います。
そんな次女を暖かく受け入れてくれた
青ヶ島の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
※尾山展望台から集落を望む。
■有難いことに、ホームステイでお世話になったファミリーに
沢山の青ヶ島の場所に連れて行ってもらったようです。
世界的にも貴重な2重カルデラが見える絶景の尾山展望台や大凸部。
地熱を利用したサウナや、
地熱を使って調理できるひんぎゃあ釜。
※僕も行ったときは肉まんとソーセージを蒸して、超おいしく頂きました♡
色んな観光スポットもですが、
何よりも青ヶ島の日常にお邪魔させてもらっている事が、
言葉にできない、何よりの経験だと思います。
保育園の先の道路の上を渡り廊下が橋渡す、すごく素敵な青ヶ島小中学校。
母島の小中学校より大きいですね(#^.^#)
すべての教室から海が見えて、とても気持ちのいい教室ばかりです♪
滞在の終盤には小学校の自然体験学習として、
島の方の案内で、幻の大杉に連れて行ってもらったそうです。
そこの御神木までの道のりは、
たどり着くまでの過程のすべてに、
青ヶ島が重ねてきた年月と培ってきた風土文化が眠っているそうです。
青ヶ島の焼酎「あおちゅう」の麹に使われるオオタニワタリの群生地を抜けて大杉に向かいます。
大杉に行くまでのプロセス、学習、姿勢にとても大事な意味があり、
ただ大杉を見に行くだけでは全然、意味がないと案内の方が言うほど神聖な場所に連れて行って、
学習させてもらった事、本当に有難いことです。
次女がひとり増えた事で、みんなが楽に手を繋いで大杉を取り囲むことができたと、喜んでいました♪
本当にありがとうございました!!
■次女が入って小学生6人、中学生5人の青ヶ島小中学校。
次女が着いてさっそく、みんな一緒に遊んでいたそうです。
たった11人の子どもの世界。
次女ひとりが増えることはとても色んな影響があったと思います。
その中で、みんなに暖かく迎えてもらった事は
私たちにとって、ずっと忘れられない宝物になっていると思います。
本当に感謝してもしきれません。
1ヶ月後にお迎えとして初めて僕も青ヶ島にお邪魔した訳ですが、
道行く人、出逢う人みんなからその暖かい気持ちを感じました♪
「もう、あんたとお子さん、ずっと島にいることになってるから(笑)」
と何度声をかけてもらったことか(笑)。
嬉しい限りです(*^_^*)
※青ヶ島には色んな所に神社があり、祀られています。
僕は次女のお迎えで2泊するつもりでしたが、
熾烈(しれつ)なヘリのチケット争いで手に入れたのは、
たった1泊の滞在(行きと帰りの両方のチケットを取れないと成り立たない)でした。
しかし、そのたった1泊でも溢れんばかりの島の人の愛を沢山感じることができました(*^_^*)
次女はなんて素晴らしい時間を過ごさせてもらったのだろうと思います。
次女を送るときに同行し、青ヶ島に2泊した妻から、
青ヶ島の学校の先生方の熱意や素晴らしい姿勢を聞いていたので、
僕自身、この初めての青ヶ島訪問をとても楽しみにしていました。
■生まれて初めて親元から離れた1ヶ月を過ごした次女。
1ヶ月ぶりの再会は招待を頂いた小学校の5時間目。
次女のお別れ会の授業でした。
会ってすぐに彼女の成長が分かりました♪
濃密な日々を過ごしたのが伝わってきます。
その③に続く→
■「今まで、どこに行っても一番母島がいいと思っていたけど、
今は母島と青ヶ島が同じくらい一番と思えたんだ~♪
早くまた青ヶ島に行きたいなぁ~!」
1か月の青ヶ島滞在を終えて母島に帰って来た、次女の言葉です。
母島小学校の青ヶ島発表の時間でも言っていました。
※次女が母島小学校で青ヶ島の説明をする場面。
驚きました。
そんな言葉を聞けるなんて、なんていい時間を過ごしたのだろうと思います♪
母島のみんなの前でも言えるなんて…
本当にみんなに大事にしてもらったと思うし、
共に過ごした家族、友達や学校、青ヶ島の皆さんがとても優しく、素晴らしかったのでしょう♪
■そんな言葉に集約されるような青ヶ島滞在。
多くの人に支えられて、次女にとって初めて降り立つ青ヶ島の生活が始まりました。
ホームステイを受け入れてくれたお宅にお邪魔し、
慣れない土地での生活。
なんと青ヶ島に着いた翌日は、
青ヶ島小中学校のロードレース大会。
次女は前日夜に初めてコースを車で回って見ただけでの出場。
多くの島の人に応援されながらのロードレースだったようです。
※僕が青ヶ島で密かに好きな島唯一の商店「十一屋」に続く景色。ここを走っていたようです。
50時間以上も船で揺られ続けた次女さん。
母島では同学年7人中、1番でしたが、青ヶ島では3人いる中での最下位。
とても悔しがっていたそうです☆
レース後に先生の「満足できた人!」にひとりだけ手を挙げなかったそうです。
大人や先生から見ると、
ほぼコースも分からない、ぶっつけ本番で臨んだ割に、いいタイムだったと思うのですが、
本人は納得いかなかったようです(*^_^*)
いい経験ですね~
青ヶ島小学校から母島小学校へ次女の走る写真が送られてきました(*^_^*)
本当に有難いです☆
そんなこんなで青ヶ島生活のスタートを切りました。
青ヶ島が大好きな妻も、次女のチャレンジを応援するために敢えて2泊で島を離れました。
それから迎えに行く1ヶ月間、一切次女の声を聞くことはなく、
ホームステイ先から時々送ってもらえる写真やメッセージで様子を知る程度でした。
時々聞く様子からは、本当に貴重な体験を沢山してもらっているなぁと感じました。
母島に帰って来てから教えてもらったことですが、
実は親と離れて2晩くらいは寂しくて泣いていたそうです。
10歳で親元を離れてのチャレンジ。
ほんとよく頑張っていたのだなぁと思います。
そんな次女を暖かく受け入れてくれた
青ヶ島の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
※尾山展望台から集落を望む。
■有難いことに、ホームステイでお世話になったファミリーに
沢山の青ヶ島の場所に連れて行ってもらったようです。
世界的にも貴重な2重カルデラが見える絶景の尾山展望台や大凸部。
地熱を利用したサウナや、
地熱を使って調理できるひんぎゃあ釜。
※僕も行ったときは肉まんとソーセージを蒸して、超おいしく頂きました♡
色んな観光スポットもですが、
何よりも青ヶ島の日常にお邪魔させてもらっている事が、
言葉にできない、何よりの経験だと思います。
保育園の先の道路の上を渡り廊下が橋渡す、すごく素敵な青ヶ島小中学校。
母島の小中学校より大きいですね(#^.^#)
すべての教室から海が見えて、とても気持ちのいい教室ばかりです♪
滞在の終盤には小学校の自然体験学習として、
島の方の案内で、幻の大杉に連れて行ってもらったそうです。
そこの御神木までの道のりは、
たどり着くまでの過程のすべてに、
青ヶ島が重ねてきた年月と培ってきた風土文化が眠っているそうです。
青ヶ島の焼酎「あおちゅう」の麹に使われるオオタニワタリの群生地を抜けて大杉に向かいます。
大杉に行くまでのプロセス、学習、姿勢にとても大事な意味があり、
ただ大杉を見に行くだけでは全然、意味がないと案内の方が言うほど神聖な場所に連れて行って、
学習させてもらった事、本当に有難いことです。
次女がひとり増えた事で、みんなが楽に手を繋いで大杉を取り囲むことができたと、喜んでいました♪
本当にありがとうございました!!
■次女が入って小学生6人、中学生5人の青ヶ島小中学校。
次女が着いてさっそく、みんな一緒に遊んでいたそうです。
たった11人の子どもの世界。
次女ひとりが増えることはとても色んな影響があったと思います。
その中で、みんなに暖かく迎えてもらった事は
私たちにとって、ずっと忘れられない宝物になっていると思います。
本当に感謝してもしきれません。
1ヶ月後にお迎えとして初めて僕も青ヶ島にお邪魔した訳ですが、
道行く人、出逢う人みんなからその暖かい気持ちを感じました♪
「もう、あんたとお子さん、ずっと島にいることになってるから(笑)」
と何度声をかけてもらったことか(笑)。
嬉しい限りです(*^_^*)
※青ヶ島には色んな所に神社があり、祀られています。
僕は次女のお迎えで2泊するつもりでしたが、
熾烈(しれつ)なヘリのチケット争いで手に入れたのは、
たった1泊の滞在(行きと帰りの両方のチケットを取れないと成り立たない)でした。
しかし、そのたった1泊でも溢れんばかりの島の人の愛を沢山感じることができました(*^_^*)
次女はなんて素晴らしい時間を過ごさせてもらったのだろうと思います。
次女を送るときに同行し、青ヶ島に2泊した妻から、
青ヶ島の学校の先生方の熱意や素晴らしい姿勢を聞いていたので、
僕自身、この初めての青ヶ島訪問をとても楽しみにしていました。
■生まれて初めて親元から離れた1ヶ月を過ごした次女。
1ヶ月ぶりの再会は招待を頂いた小学校の5時間目。
次女のお別れ会の授業でした。
会ってすぐに彼女の成長が分かりました♪
濃密な日々を過ごしたのが伝わってきます。
その③に続く→