グループ内での立ち位置は、毛色の違った作品を出す役目と自認しているので、次の題材は「人斬り」とした。
「人斬り」と云えば「幕末四大人斬り」が有名であるので、イメージを見つけようとネット上の画像を検査した。結果は、
・田中新兵衛(薩摩)-画像なし。
・河上彦斎(肥後)-譜面姿の写真がWikipediaに
・岡田以蔵(土佐)-確たる画像なし。
・中村半次郎(薩摩)-断髪後の桐野利明時代のみ。 であったため、侍の写真を利用することにした。が
描きかけの「人斬り」
髪型をどうすべきかと考えて、江戸末期の「丁髷(ちょんまげ)」について調べてみた。
明治維新ごの断髪令以前の男性は全て「ちょんまげ」を結っていると思っていたが、一般的に結われた髷は銀杏髷といい、それも士農工商の各階層では大きく異なっていたようである。「ちょんまげ」とは髪の少ない老人などが結っている髷を指しているとされているので、今でいう「侮蔑用語」に近い使われ方をしていたのではないだろうか。
武 士の髪型と云えば暴れん坊将軍や桃太郎侍のよう、高々と月代を剃り上げた髷を想像するが、江戸末期にそのような髷を結えるのは高級官僚以上であったらしく、写真を見つけることができなかった。
映画「たそがれ清兵衛」では君命を受けて上位打ちの大役を命ぜられた男やもめの下級藩士真田清兵衛が旧知の宮沢嬢に月代剃りを依頼する場面があったことから、武士と雖も常に桃太郎侍風の髷を維持することは困難であったのだろうと推測している。真田清兵衛と宮沢嬢
しかしながら、1890年に「ロバート・フレデリック・ブルム」によって描かれた職人像は、月代はヤヤ伸びているものの中村(萬家)錦之助演じる一心多助風に整えられている。現在でも、理髪に美容室を利用する人、QBカットで済ます人と千差万別であることを思えば、当時でも伊達・粋・金銭の多寡によって個人差が大きかったのではないだろうか。
眉唾とされるが西郷隆盛が収まっているとされる志士の集合写真を眺めても、高々と月代を剃っている桃太郎侍は皆無で、多くの人が前頭部や側頭部をわずかに剃っている程度である。
最後に、「ちょんまげ」とはこのようなものかと思える画像を一枚。頼三樹三郎(幕末の儒学者、頼山陽の三男、1825(文政8)~1859(安政6)年)