ウクライナの軍民の激しく・勇敢な抵抗が報じられている。
国内ネット上には、「市民に銃器を持たせたり火炎瓶を作らせるなど言語道断」という非戦論も散見されるが、ウクライナ市民の愛郷・愛国の情には頭が下がる思いである。
本日は、海上自衛官の小火器射撃についての思い出あれこれである。
新隊員は、幹部候補生学校や教育隊で「人生初の軍用小火器」の射撃を体験する。使用されるのは幹部候補生は拳銃を、一般隊員は小銃をそれぞれに体験するが、実射撃までには小火器の性能、構造、操作法、分解結合等についての基礎教育を受け、さらに射撃前には、射場における安全管理や手順について繰り返し教育されて射撃訓練に臨む。
一般的に海自では、小銃は200m先/2m四方の標的を伏射で、拳銃は20m先/1m四方の標的を立射で体験するが、射場では初体験の珍事に事欠かない。
自分は射場指揮官になったことはないが、体験・見聞したところでも、安全装置解除を忘れて引金が引けずに銃器故障と申告する者、他の動作に気を取られて装填された銃口をあらぬ方向に向ける者、引金を引けない者、引き金を引く瞬間に目をつぶる者、隣の標的を撃つ者、などが一回の射撃訓練で数名は出現する。
今は死語になったであろうが、自分が入隊した頃は、引き金を引くのは「暗夜に霜の降る如く、秋に木の葉の散る如く」と教えられた。「引金を引くこと」に集中すると不必要な力が加わって銃口がブレることを戒めるものであるが、確かに小銃射撃で銃口1°のブレは200m先の標的では2mを超える誤差となって標的を外してしまうことになる。拳銃射撃では小銃以上に銃の保持が難しいことから、銃口のブレはさらに大きいことになる。そんなこともあって、100名内外の訓練では標的に一発も当たっていない「弾痕不明」者が、確実に複数名は出ることになる。
射撃訓練を重ねるごとに弾痕不明者は減っていくが、海自における小火器射撃は年間1回であるので、複数年在職した隊員の中にも何名かの弾痕不明者がいるのではないかと思っている。
小火器は、必中を期す狙撃銃を除いて多量の弾丸で敵の自由な動きを制約することが主な目的で、いわば「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」武器であることを思えば、それで十分ともいえる。そのため、現在の小火器は、完全自動銃で、口径を小さくして弾倉装弾数と携行弾数を増やすように進化している。
40年も前に読んだ落合信彦氏の本では、小銃弾生産数を敵の戦死者数で除した数値が、第一次世界大戦で500発、二次大戦で5千発であったが、ベトナム戦では5万発と書かれていたように記憶している。
このことと、一夜漬けの体験では命中など覚束ないことを併せ考えると、ウクライナでの一般市民への小火器交付はロシア兵を殺すことを期待しているのではなく、ロシア軍兵の自由な動き(跳梁)をある程度制約することを期待するとともに、正規軍では市民保護まで手が及ばないための自衛手段としての、やむを得ぬ補完手段であろうと思っている。
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