瀬戸内寂聴氏の大往生が報じられた。
瀬戸内晴美時代の小説を1冊読んで「自分には合わない」と思った以降、氏の著書を手にすることも無かったが、時折の報道で知る限りでは得度して世俗(愛欲)を棄てた後には多くの女性信者の精神的支えとなっての大往生らしい。
寂聴氏は終生「憲法9条堅持」、「戦争・自衛隊反対」を固持されていたが、その結果・波及については「9条を守り自衛隊を廃止した状態で敵が攻めてきたら、死ぬことがあっても諦めよう」と明快であった。世間一般の護憲派の多くとはかけ離れた主張であろうが、ここまで自分(生命)を投げ出しての主張であれば、反対の論拠は無くなって・ただただ拝聴するしかない。
自分は、晴美氏の中尊寺での得度(1973年、51歳)の動機は一種の師弟関係にあった今東光師との愛憎とばかり思い込んでいたが、相手は作家の井上光晴氏であって今東光師は得度の橋渡しをしただけであることを知った。
思い込み。それも誤った思い込みは度し難いもので、寂聴師や東光師について他人に開陳した記憶は無いものの、万が一にも酒席で蘊蓄ぶって垂れ流していたらと冷汗三斗の記憶違いを反省している。
寂聴師としての全ての主張や事績については不勉強ながら、得度という一事で前半生の奔放な生活の全てを一瞬に断ち切って、世俗を離れた師の生き方と精神力に関しては、敬服・脱帽するしかないようである。
独りよがりに納得するところでは、晴美氏は仏教論・知識の全てを知った上での得度では無かったかも知れないが、寂聴師は帰依の程度や実践と功績では高僧と肩を並べる域にまで到達されていたように思える。
合掌。
いつもは賛成する貴方のご意見ですが、今回はそうなりませんでした。
私はやはり、著名人の評価については、どうしても「憲法問題」を優先させます。寂聴氏が、帰依の程度や実践と功績で、高僧と肩を並べる域にまで到達されていたというのであれば、国論を二分する政治問題にいつまでも関与されたことに、疑問を感じます。
外国が攻めてきたら、死を覚悟するという決意は、個人的なものです。個人の覚悟で完結しない「憲法問題」だと思う私は、子や孫たちのことを思い、外国の軍隊になぶり殺しにされる事態を危惧します。
寂聴さんは、最後まで世俗を解脱せず、反日・左翼の人々と声を合わせて、マスコミで意見を述べていました。
亡くなられた人を、悪く言うのが本意でありませんので、私もこの方のご冥福を祈ります。
「やっと俗世から解放されましたね。」「ゆっくりと、お休みください。」と、私は言葉を送りたいと思います。
不愉快になられたのかもしれませんが、ご容赦ください。心の狭い私です・・・
今回のブログ推敲時に200字ほど削除しました。
自分の生き方や考え方とは異なる人の死去に際しては書かない、若しくは冥福を祈るだけに留めるべきことを痛感しました。