産経新聞に寄稿された石平氏の主張で「上山下郷(じょうさんかきょう)運動」とういう言葉を知った。
自分は、中国が文革後に行った都市部の紅衛兵や知識人を農村・僻地に移住させて、肉体労働・政治教育を行ったことを「下放」と認識していたが、下放政策を正当化させるための素地として「上山下郷」のスローガンがあったようである。
文化大革命(1966~1976年)では、制御できなくなった都市部紅衛兵を含む約1,600万人の中学卒業生が農村や辺境に下放されたとされ、1970年代後半には下放青年の都市への帰還(回城)が認められるようになったが、それでも結婚などの理由から数十万人が移住地にとどまった(取り残された)とされている。
「上山下郷運動」・「下放政策」は、都市・農村間の労働力地均し以上に都市部の不満分子や知識人を追放・再教育して抵抗・反抗の芽を摘むという目的が大きいことは、クメールルージュを掲げたポル・ポトも毛沢東の下放政策をまねていることから明らかである。
なぜ、今になって石平氏が上山下郷運動を取り上げているかと云えば、人民日報がソフトな表現ながら下放政策と異口同音の論文を掲載したことに依っている。人民日報は《若者は苦労を辞さない積極的な就業感を持って、郷村振興、社会奉仕、国境防備等の領域で尖兵を務めるべきだ》と述べて、暗に「都市部での花形職業への就職をあきらめて地方で何らかの職に就け」と云っていると石平氏は分析されている。
石平氏によると、中国の都市部若年層(16~24歳)の失業率は公式発表では21.3%であるが、週に1時間以上の労働(アルバイト?)があれば有職者とカウントしているので、実際の失業者は公式発表を遥かに超えるようである。
このような状況であれば、政府・共産党に対する不満は既に蓄積されているであろうから、反政府運動に暴発する前に何らかのガス抜きが必要とされることは十分に察せられる。
国民のガス抜きで、最も手っ取り早いのは国民の目を外圧に向けさせることであるのは歴史が証明しているところであるが、そういう目で中国外交を観ると、殊更に「対米危機」、「日米韓の連携強化」・「台湾統一」、「福島の放出水」を言い立てているのは、国民の目を外圧に逸らそうという意図を含んだものと観るべきかも知れない。
子女に高等教育を受けさせる経済的余裕が生まれたバブル期に蔓延した日本のカースト制度(学歴偏重)は、バブル崩壊・働き方改革とともに徐々に姿を変えつつあるものの、未だ第3次産業就労者が突出するという後遺症を残していることを考えると、人民日報の主張する「ソフトな上山下郷」は日本にこそ当て嵌められるべきものかも知れない。
私の読み方が間違っているのかもしれませんが、
「バブル期に蔓延した日本のカースト制度(学歴偏重)」
「〈ソフトな上山下郷」は日本にこそ当て嵌められるべきものかも知れない。〉」
この二つにつきましては、?? です。もし学歴偏重があったとすれば、バブル期でなく、福沢諭吉の『学問のすすめ』以来のような気がいたします。
人間をがんじがらめにした「カースト制度」と重ねて述べるのは、いささか走りすぎのような気がしてなりません。
「〈ソフトな上山下郷」は日本にこそ当て嵌められるべきものかも知れない。〉」
このご意見も日頃の貴方を知る私には、疑問符がつきます。「お花畑の若者」の多さからの嘆きと思いますが、原因は「日本国憲法」の中の自虐史観と利己主張推奨論にあるのですから、優先度は「憲法改正」ではないでしょうか。
私の勘違いでしたら、ご容赦ください。( コメントを表示されなくても結構です。)
コメントを有難うございます。
日本版カースト制度とやや煽情的に書いたのはご理解の通りでありますし、その改善はご指摘のように憲法改正と教育の健全化に依るべきだと思います。
しかしながら、華族制という階層分化が無くなった現在、階層分化がより進んだとされる背景の一つとして、かっての学識重視が単なる学歴尊重に変化したことが挙げられると思います。
田中角栄氏は高等小学校の学歴で宰相となりましたが、学歴最優先の現在では学士でない宰相を生み出す素地、識見を評価する市民・世情の活力は失われたように思えてなりません。