OsterodeはHerzbergに近い小さな町です。ドイツ固有の木組みの家で知られています。
木組みの家は壁は昔の日本と同様捏ねた粘土にパイルを刻んで入れたのを使い表面に漆喰が塗ってあります。壁は古くなったら取り替えますが、自然素材なので地球にも優しいのです。ただ火に弱く火災には細心の注意を払っているようでした。各家の前には消火栓がありそれを使うとどの家が燃えているか町中に知らせるような防災体制をとっているということでした。十数年前火災があり数件焼けたそうです。そのような歴史も町の博物館にはきちんと展示されており、子ども達の防災教育に役立てているようでした。
この博物館には化石時代から現代にいたる様々な歴史や生活器具が展示されていました。
入場料は2ユーロですがソフィアの交渉で各自自分の国語でサインするという条件で子供料金の1ユーロで入りました。多分私たちの文字も子ども達の教育に役立つのでしょう。
Osterode駅を下りた時は野の真ん中に立ったような気分でした。でも、すぐ近くに広場があり市役所、広場を隔てた反対側に大学がありました。Herzbergのエスペラントセンターは管理費が少なく経営は大変なので、ソフィアはこの大学で英語を教え経営を支えているということです。
緩やかな坂道の商店街を通り昔の城壁に沿ってOsterodeの丘に登りました。丘の上には古い井戸がありました昔、修道院があったそうです。歩きながら、ここを歩いた記憶があると感じました。
なぜ?どうして?
それは20年ほど前に読んだ物語の記憶でした。
Lasta infanoj de Oldrovalo(オルドロ谷の最後の子ども達)。日本語訳では『最後の子ども達』という題名でどこかの出版社から出ていたような気がします。
核爆発があり、その混乱の中で成長してゆく子ども達の話です。帰国してから読み返しました。美しいOsterodeの記憶とと悲惨な物語の世界。平和ボケしている自分を強く感じました。
つい最近のニュースでアメリカは核非拡散条約に参加していないインドに対し核関連物資の輸出を許可しました。北朝鮮は核施設の建設をまた始めました。ロシアは南オセチアの紛争(戦争というべきでしょうか?)でクラスター爆弾を使いました。私たちが気付かないうちに世界は虫食われ状態になっていて、崩壊の最中であることもありえるのです。
(また話がそれました。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/fa/8e8adbe04d88e32872780b9687d00e90.jpg)
商店街入り口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/8f/5f24f91e77c64e510343d8b20c1fc8c8.jpg)
商店街
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/4e/6c3bd09b0fbeb05e6eea7318969418b6.jpg)
木組みの家
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/eb/0a63d2563fe556366df675fbb72c2986.jpg)
右の戸口が博物館入口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/00/59f78603967ad8dfd405fd9836317648.jpg)
車止めに乗る少年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fuki_osusume.gif)
一つ場所に滞在しあちこち訪ねたいと思う方にドイツの滞在地としてHerzbergをお勧めします。とにかく宿泊費が安いです。私たちが止まったのは民宿で食事も自分で用意しますが、4つベットがあり、台所も広く食堂居間付きで1泊42ユーロでした。友人、あるは家族で滞在できます。大抵、週末にはエスペラントセンターは行事を組んでいるそうです。のんびりとこれに参加するのもよいと思います。何より、言葉が通じし、いざという時に力を貸してくれそうな人が近くにいるのは海外では子との安心感があります。
木組みの家は壁は昔の日本と同様捏ねた粘土にパイルを刻んで入れたのを使い表面に漆喰が塗ってあります。壁は古くなったら取り替えますが、自然素材なので地球にも優しいのです。ただ火に弱く火災には細心の注意を払っているようでした。各家の前には消火栓がありそれを使うとどの家が燃えているか町中に知らせるような防災体制をとっているということでした。十数年前火災があり数件焼けたそうです。そのような歴史も町の博物館にはきちんと展示されており、子ども達の防災教育に役立てているようでした。
この博物館には化石時代から現代にいたる様々な歴史や生活器具が展示されていました。
入場料は2ユーロですがソフィアの交渉で各自自分の国語でサインするという条件で子供料金の1ユーロで入りました。多分私たちの文字も子ども達の教育に役立つのでしょう。
Osterode駅を下りた時は野の真ん中に立ったような気分でした。でも、すぐ近くに広場があり市役所、広場を隔てた反対側に大学がありました。Herzbergのエスペラントセンターは管理費が少なく経営は大変なので、ソフィアはこの大学で英語を教え経営を支えているということです。
緩やかな坂道の商店街を通り昔の城壁に沿ってOsterodeの丘に登りました。丘の上には古い井戸がありました昔、修道院があったそうです。歩きながら、ここを歩いた記憶があると感じました。
なぜ?どうして?
それは20年ほど前に読んだ物語の記憶でした。
Lasta infanoj de Oldrovalo(オルドロ谷の最後の子ども達)。日本語訳では『最後の子ども達』という題名でどこかの出版社から出ていたような気がします。
核爆発があり、その混乱の中で成長してゆく子ども達の話です。帰国してから読み返しました。美しいOsterodeの記憶とと悲惨な物語の世界。平和ボケしている自分を強く感じました。
つい最近のニュースでアメリカは核非拡散条約に参加していないインドに対し核関連物資の輸出を許可しました。北朝鮮は核施設の建設をまた始めました。ロシアは南オセチアの紛争(戦争というべきでしょうか?)でクラスター爆弾を使いました。私たちが気付かないうちに世界は虫食われ状態になっていて、崩壊の最中であることもありえるのです。
(また話がそれました。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/fa/8e8adbe04d88e32872780b9687d00e90.jpg)
商店街入り口
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商店街
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木組みの家
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右の戸口が博物館入口
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車止めに乗る少年
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一つ場所に滞在しあちこち訪ねたいと思う方にドイツの滞在地としてHerzbergをお勧めします。とにかく宿泊費が安いです。私たちが止まったのは民宿で食事も自分で用意しますが、4つベットがあり、台所も広く食堂居間付きで1泊42ユーロでした。友人、あるは家族で滞在できます。大抵、週末にはエスペラントセンターは行事を組んでいるそうです。のんびりとこれに参加するのもよいと思います。何より、言葉が通じし、いざという時に力を貸してくれそうな人が近くにいるのは海外では子との安心感があります。