glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

田舎訪問

2014-05-09 06:37:20 | ラオス人を家族に持つと
 いなかへの訪問はとても忙しく帰宅翌日がエスペラントの集まりの日であることも忘れていました。出かけるのは気も進まなかったのですが、夫にNが会いたがっているから行ってやった方が良いと促されて出かけたのでした。結果的には行ってやって良かったのですが。

 盛岡で12時過ぎに落ち合いました。息子は改札で待っていましたがMは母親と駅近くの県の施設にある子どものための遊び場で待っていました。秋田に向けてすぐに出発。盛岡・秋田間の46号線は秋田に向かう車でひどく渋滞していました。途中トイレを探しわき道にそれ、キャンプ場で昼食を取りました。バーべキューを楽しんでいる人もいました。
 再度出発し角館が見えてきました。桧内川の桜並木は桜はすっかり散っていました。しかし人の波と交通規制で街の中には入れません。道路も変わっていて自分の居所さえ分からなくなりそうでしたがようやく自分の卒業した高校を見つけ位置確認できました。高校のしだれ桜も花は散っていました。と言う事は武家屋敷の桜も散った事でしょう。いたるところに駐車場ありますという紙が貼ってあります。細い路地の一台しか停まれない家の前にすら貸し駐車場の表示があるのです。それで助かる人もいるかもしれませんが、なかなかの商魂です。
 さて町はずれにあるスーパーに行くにはどう行くべきか分からず、タクシー会社を見つけそこに立っていた人に教えてもらいました。そのタクシー会社も私の記憶と全く違う場所にありました。
 翌日は午前中Nが家の掃除をしその後またスーパーへ行き保育園で必要なもの、お手拭きと紐をを買い家に帰ってつりさげられるように紐を縫いつけたりしました。私自身子どもを初めて幼稚園にやる時いろいろ準備するのに不安だったことを思い出しました。彼女もきっとそうだったのでしょう。
 そうそ、前日のことですがMに通園バックを手渡した時のことです、顔を輝かせてという表現はこんな時に使うのだと思ったほど嬉しそな表情で受け取りました。2歳の子がこんなに嬉しそうにバックを受け取るとは想像もしていなかった、息子たちの喜びようとは全く違っていたと昨日友人に話したら、息子さんたちはあたりまえのことだと思っていたのでしょうと言われました。

 兄は昨年より顔の艶もあり元気に見えました。週に一回ヘルパーさんが見えます。人との触れ合いが活力を与えているようです。29日はスーパーで花見団子を買い、8キロほど離れた妻の実家に届けてきたそうです。腰はくの字ではなく、90度も曲がってるように見えます。車は作業用の軽三輪です。年齢はもうすぐ88歳。我が兄姉の健康と気力には驚かされます。テーブルの上には昔の古文の教科書があり、数学の方程式を解いた紙があり、手の届くところに英和辞典がありました。いまでも知的好奇心が衰えていないのでしょう。耳は少々遠いですが記憶力はまだ大丈夫。夕方には外に出て、手入れが悪いからあまりならないがと言いながらぶどうの木の剪定をしていました。

 6日は兄に別れを告げて小岩井農場に行きました。寒かったですね。農場に続く桜並木の花はすかっり散っていましたが周辺の花はまだ残っていました。Nは馬に乗りたいと乗馬。浅田真央ちゃんが好きだそうで、スケートもしてみたいそうです。この日は鶯宿温泉に泊まり私は岩盤浴を堪能しました。Nとはラオスの家族のこととか今住んでいる町のことなどたわいのない会話をしました。しかし心の安定のためにはそう言う話し手が必要だと思うのですが男性には理解できないかもしれません。

 7日朝、ビザ延長のために入国管理局の盛岡出張所に行きました。ところがネットで調べたことと違って色々書類が必要だそうでビザ申請はできませんでした。
 イオンに入りMの上履きなどを購入しました。昨日までは自分から私と手をつなぎに来たMは私を避け、ときには聞きわけもなく泣き喚いたりもしました。別れの時が来たのを悟ったようでした。昼食を取った後駅付近で別れました。

 昨日は9時直前に区役所へ行き、ビザ申請に必要な戸籍謄本を取り郵便局へ。その足でエスペラントの集まりへ。目まぐるしく動き回った1週間間でした。今日から普通の生活に戻れるでしょう!
コメント (2)
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