glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

ロシア青年アレクセイに会う

2014-08-19 17:38:44 | アルゼンチン(エスペラント)
 開会式の時アレクセイですと声を掛けてきた青年がいました。現在まで会う事もなかったしこの数年便りは書いていませんが私の文通相手でした。彼の初めての手紙は日本語を教えてくださいと言うものでした。当時、共産圏から4~5通の文通希望の便りをもらいました。この度分かったのですが、『Juna amiko』という雑誌がありなぜか私の住所がそれに載っていたのだそうです。私の断りの返事にもめげず彼が幾度も手紙をよこすのでずるずると始まった文通でした。エスペラント文の他にちゃっかりと日本語の意味のわからない所の質問があり、とうとう彼の日本語の学習につきあう羽目になってしまいました。数年前から彼がスカイプで日本人のエスぺランティストと日本語で会話していると噂に聞きました。
 最近ではフェイスブックで彼が世界のあちこちを歩いているらしいことは知っていました。

 その後会場で会う事もなくInternacia Arta vespero『国際芸術の夕べ』で再び会いました。彼は前列で熱心にカメラをを回していました。

 終了後どこかで話さないかと言われましたが、もう9時近く、私のホテルは大会会場から離れているし、若者相手に話をする体力も残っていないので、来年フランス大会で会おうと約束し、10分ほどの会話で別れました。

 彼の記憶によると私たちの文通は1993年に始まったそうです。私の記憶には彼が24歳の時に手紙をよこした記憶しかありません。と言う事はアレクセイはもう45歳、青年と言える歳ではないかもしれませんが、私の思い出の中ではいつも悩み、何かに挑戦しようとしている青年でした。ソヴィエト崩壊後、希望を失った事もあったようで数年便りがありませんでしたが、私からの定期的な便りに自分は世界から忘れらてはいないと感じ、エスペラントの世界に戻ったとの事でした。その間に結婚、父親となり、離婚。彼の人生は決して平穏ではなかったでしょうが、元気な彼に会えたことは嬉しかったです。閉会式の後、彼はウルグアイに行くと言っていました。 'Kvazaux vagabondo!'(まるで放浪者!)と私が言うと『そうです。いろんなものを見たいのです』と綺麗な日本語で答えていました。


 
コメント
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