glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

命をつなぐ

2016-01-31 09:59:24 | 雑感
 毎日パソコンの前で忙しく過ごしました。変でしょうか。自分のエスペラント文の書き直しをしていたのです。日本文には暗示部分が結構あるのでそれを明確に表現すると原文とは違ってしまうし、曖昧に表現すると後で自分が読んでも分からない文になります。などと悩みつつ数日過ごしました。

 少し休憩しようとテレビを付けると『達人』とかいう番組でかの有名な日野原重明氏104歳と篠田桃紅氏103歳の対談でした。もう終る頃だったのでしょうか。司会者が折角だからもう少しお話をと促し対談が続いてゆきました。

 司会者が寿命というものをどうお考えですかと尋ねた時、寿命のない人などいないのです。その時が来るまで自分の命をどうつないで行くかが大切ですと日野原氏。初めはその意味がよく取れませんでした。しかし、それは自分の思いを形や行動で他者に伝えること。それは仏教では輪廻と云うというのだそうです。
 輪廻と言う言葉を私は誤解していたようです。輪廻とは個人の蘇りだと思っていたのですが、思いを次の世代につないで行くことだったですね!
 画家の桃紅氏は命を形にしたものが文化なのですと話していました。

 昔、離島に行った話を書いたことがあると思うのですが、その時知り合った同年代の学生と話した時のことです。彼はある私立大学の政経学部の学生で60年安保の時に自治会の執行委員として戦った人でした。安保条約が批准されたことでひどい挫折感を味あっていました。そして私に言いました。どうして子どもと関わるのかと。私達の未来はどうなるかわからない、だけど子どもたちには私達よりもっと長い未来がある。子どもたちに私達の心や理想を伝える努力をすれば、私達の思いの一万分の一、あるいは百万分の一を受け取ってくれる子どもがいるかもしれないでしょう。今できなかったことを子ども達の未来に託したいと私は答えました。
 彼はそんな風に未来を考えた事はなかった、これは女性と男性の違いだろうか、僕にはそんな風に人間を信じることできないと首をかしげていました。

 彼どうしているでしょうね。彼の人生が知りたくなりましたがその伝手はありません。

 あれから50数年。私の考えは今も変わりません。これが日野原氏の命をつなぐという言葉ともしかして同じかも知れないと嬉しくなりました。
コメント (13)
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