9月になりました。まだまだ暑さが続きそうですが、お休みは終って普段の生活が戻って来ました。
昨日は私たちのエスペラント学習会でした。と言っても本を読んで、自分の受け持ち部分について要約したり、補足したりし、他の者たちは質問したり、異見を述べたりとまるでおしゃべり会のような集まりです。
一人が言いました。
『私はこのごろ、電車で若い人が話しているを聞いていると腹がたつのよ!乱暴なんだから・・・。日本伝統のおんな言葉はどうなってしまうの!綺麗な言葉が亡くなってしまうのは残念よ!』
私は僕とか俺とかおとこ言葉を意識したことがあったがおんな言葉を意識したことありませんでした。
『方言にはおんな言葉なんてないのよ。私の地方では男も女も《んだ、んだ》。丁寧な言い回しと普段の言い方はあるけれど。』
議論の結果大勢の意見は言葉は変わって行くだろうと言うことでした。
私自信も時にはもう少し綺麗な言葉で話したいと思うことがあります。しかし、綺麗な言葉とはどんな言葉かと言われると少々困ります。
話し言葉はどうあるべきでしょうか。
タイなどでは男女で語尾が違っていると聞いたことがありますが、東京の山の手で育った彼女が言うようなおんな言葉が存在する地方はあるのでしょうか。そして女言葉の歴史的背景など知りたいと思いました。
昨日は私たちのエスペラント学習会でした。と言っても本を読んで、自分の受け持ち部分について要約したり、補足したりし、他の者たちは質問したり、異見を述べたりとまるでおしゃべり会のような集まりです。
一人が言いました。
『私はこのごろ、電車で若い人が話しているを聞いていると腹がたつのよ!乱暴なんだから・・・。日本伝統のおんな言葉はどうなってしまうの!綺麗な言葉が亡くなってしまうのは残念よ!』
私は僕とか俺とかおとこ言葉を意識したことがあったがおんな言葉を意識したことありませんでした。
『方言にはおんな言葉なんてないのよ。私の地方では男も女も《んだ、んだ》。丁寧な言い回しと普段の言い方はあるけれど。』
議論の結果大勢の意見は言葉は変わって行くだろうと言うことでした。
私自信も時にはもう少し綺麗な言葉で話したいと思うことがあります。しかし、綺麗な言葉とはどんな言葉かと言われると少々困ります。
話し言葉はどうあるべきでしょうか。
タイなどでは男女で語尾が違っていると聞いたことがありますが、東京の山の手で育った彼女が言うようなおんな言葉が存在する地方はあるのでしょうか。そして女言葉の歴史的背景など知りたいと思いました。
案山子さん、
Natsumi さん
外国人の言葉習得の問題はともかくとして、言葉は丁寧であれば良いということではないようですね。
私は自分言葉がとても素っ気無いと思おうことがあります。話す相手が子どもとか、知的障害がある人とか、あるいは思考が混乱しているその母親達とかでした。こちらの意志を伝えるには修飾語はいりません。単純な短い言葉でこちらの意志をどう表現するかがいつも課題でした。
ですから、自分の話し方はわかりやすいが、美しいといえないという思いがあります。
友人は<仕事で使う言葉は別よ>と言っていましたが、習慣は場に応じて変えることはできません。
案山子さんの話される電話の相手も、普段話していない話し方を強要されているので、うまく表現できないのかもしれないと感じました。
ジェンダーフリーの要求は確かに言葉の問題にも押し寄せています。
エスペラントでも、女性語尾を使うなと言う人達もいます。ですから女性に対しての表現が変わってきています。
使いやすければよいですが、ちょっとさみしい気もします。
きれいな言葉とは、言葉そのものより、その人に備わった「品」のような気がします。
男も女も、「品」のある人は「~してんじゃねえよっ!」などと言葉を荒げたりすることはそもそもないですしね。
「丁寧言葉であればそれでいい」では、本当の丁寧とはならないのにと、近頃感じた話です。
合理化、人件費削減だから仕方ないのかもしれませんが。
彼女の知人で米国人と結婚した女性がいて、その人は夫に日本語を教えたのですが女言葉なので彼が話す日本語を聞くと笑ってしまうと。
つまり「あら、嫌ねェ」とか「美味しいわ」とか。
男がこんな言葉遣いをしたらやはり笑っちゃうでしょう?女言葉ってこれだけのことではないのですか?
大人になった男が「僕」という使い方をするのも、ちょっと格が下がるような気がします。
私の友人でとても綺麗な日本語を話す人が居るのです。でも、何処がどうで綺麗なのか判りません。だから、真似したくても真似出来ないのです。
早速の返事有難うございます。
私も、おんな言葉の無い地方で育ちました。乱暴な言い方をした時は、女の子がとたしなめられたように思います。
25年前ぐらいでしょうか、学童保育の指導員をしていた時に、1年生の女の子たちが(6人位いたでしょう)僕とを言う言葉を使い出したのです。
おかしいと言うとどうしておかしいの?と真剣に問われました。考えてみれば、女が使うのがなぜおかしいのか私にもわかりませんでした。
大人の男性も私生活以外で(僕)とは言わず私と言います。成長の中で言葉変わってゆくだろうとそのままにしましたが、ふと、彼女達に会いたくなりました。もう30才、妙齢のご婦人(?)でしょう。どう変化しているでしょうね。
暗闇で犯人の話し言葉だけが書かれてるんです。最後まで犯人は男やと思てたら、どんでん返しで女やったんです。
でもこれが日本の小説やと登場人物が男か女かすぐに判断できますやん。「そうだな」とか「やれよ」なんて、ちょっと乱暴な言葉は男に決まってますやろ。
と、大阪弁の少し丁寧な言葉で書きました。
上の大阪弁の文章だけ読めば女が話しているように受け取られるかもしれませんが、大阪では男女ともに使います。
ただ、女が「めし食いに行けへんか」なんて言うと「女がなんちゅう言い方すんねん」とたしなめられます。
女言葉は存在しないけど男言葉は存在するようです。
これは大阪弁に限らず一般的なものだと思っていますがどうでしょうか。
東京山の手の言葉が基本になって標準語が作られたと聞いています。
山の手には最初から女言葉が存在していたのでしょうか。
私は男女共に使う言葉と、乱暴な男言葉が存在するだけで、そもそも女言葉はなかったんじゃないかと思っているんですが。
こう思うのは男女差のない方言を使っている大阪人だからでしょうか。
あっそうそう、私の書き方、よく男に間違えられるらしいです。
女言葉を知らないせいかなぁ・・・