『Anne Frank ne estas de hieraux』 作者はオランダの作家 Mies Bouhuys(ミース・バウハウス)です。エスペラントに訳したのは視覚障害のあるノラ・バルテスさんです。エスペラント版に彼女が感謝の言葉を書いたのが1988年です。輸入されてすぐ購入した本ですから読んだのは20年ほど前でしょうか。その時は無我夢中で一気に読み上げました。 ―今回も途中で止めた最後まで読めないと読み続けましたが・・・。
本の表題すがアンネの死が心に深く刻まれていたせいか『昨日からアンネ・フランクはいない』と思っていました。今回読み返してこれは間違いと気づきました。なぜならこの言葉は大人たちが好奇心が強いアンネを子供扱いし、その成長にかがつかないことにアンネが憤慨して日記に書いた言葉だったのです。ですから、『昨日のアンネ・フランクではありません』ということでしょう!
物語はアンネが生まれたフランクフルトから始まります。アンネの目と心を通して迫ってくるナチスへの恐怖とその実態を子ども達に伝えようとしています。偏見や差別がどこから生まれるのか。それは閉鎖的な無知から来るのだと言うことを懸命に説いています。作者はナチ台頭時のオランダ人の行動やナチ支配下のオランダ人についても子どもたちに伝えてようとしています。中学時代に読んだ作者も忘れましたが、岩波少年少女文庫に『あらしの前』『あらしの後』という小説があったのですが突然その本の光景を思い出したりしながら読んでいました。
目を伏せてはいけない。隠れ家で暮らしていも好奇心を失わず自分の目と耳で状況を理解したアンネと同じようにいつも‘なぜ?’という疑問を持ち自分の目と耳で答えを探すようにと子どもたちに訴えています。でも同じことが大人にも言えるのです。
今の世の中、すごい技術力ですね~、こんなときつくづく思います。
「ヒトラーの贋札」も最近の作品ですが、「シンドラーのリスト」的な重い気持ちにさせられます。…こんな作品に出会えるということは、すごいことだと、常々思っています。
実は、「アンネの日記」については、「日記の中身って、戦争のことがそんなにも書かれているわけでもないし、普通の女の子の書くようなことだよね」と、感想をいった子もいたけど、それを聞いて、私もそれなりに同感でした。
確かに、感受性豊かな女の子の毎日のことが書かれているものです。戦後早い時期に、アンネの父親が売り込み上手だったのか、残された日記が世界中を席巻したから、皆がアンネというと、連想を一にするという現象があるのでしょう。
アンネについてはなぜ普通のことしか考えられず、将来を夢見た子どもたちがそのような死を迎えねばならなかったのこということで、アンネはその代表者にしかすぎません。人種差別、ホロコーストを考える一つの材料なのです。
アンネの父親が出版した日記以外にアンネの書いたのもが2個あることはご存知ですか。
はじめ彼女は日記を公開しようとは考えていなかったようです。1944年オランダの亡命政府の教育大臣がラジオで呼びかけます。ドイツ占領下でのオランダ人の生活を戦後記録として残そうというものでした。その中に戦時中の日記も含まれていました。アンネは自分の日記を記録として公表する意思を持って以前書いていた文を自分で添削したそうです。
ですから日記公表は父の売り込みというよりアンネの意思だったのです。ただ父は家族に都合の悪いところは割愛してしまったのです。オットーの死後出版されたものは全訳です。
普通の女の子だったら、それでいいのでは?
日記の削除前と削除後の読み比べはしていませんが、父親による削除の件を取り上げた特集番組などを見たような記憶。また、テレビの録画で「アンネの日記」の映画(製作年失念)も見ています。
19~20世紀にかけて、ヨーロッパに「黄禍論」が流行り、ヒトラーのユダヤ人迫害の発想にもつながっていると考えられる、と司馬遼太郎氏の本で最近読みました。「黄禍論」となると、私たちは被差別人種側です。原爆の投下がドイツやイタリアでなく、日本だったのも、そんな底流に流れるものを感じないでもありません。
まったく、学ぶこと多し、尽きないです。
差別発言はいろんな形を借りて投げかけられます。それに応答できるように、できるだけ正確な知識を持ちたいと心がけています。
30年前原爆の恐ろしさを語ると戦争加害者の日本人が被害者ぶっていると言われたのものです。でも、現在はエスペラント界ではそういう発言は聞けません。これは多くの日本人が事実を正しく伝える努力をした結果なのでしょう。