これは「国際障害者年を契機に障害者の完全参加と平等をめざす豊中市民会議」(略称・国障年豊中市民会議)が発行している機関誌『夢のひきだし』に掲載したものである。NPOダイバーシティ研究所に書いた文章(「2007.08.10 自治体の総合評価入札制度の採用により地域企業も変化」)もそうだ。同研究所が主催している連続セミナーでも、同じ趣旨からであろうと思う。企業の社会的責任論というのであれば、こうした雇用・人権問題の視点が重要だと考える。この視点が日本では後景に退いている感じがしてならない。社会の人々の取り組みの強さの度合いに違いがあるのだろうか。
■ 企業にとって商品・サービスや環境問題も重要だが・・・
最近、企業の社会的責任(CSR)が頻繁に言われだした。これまでにも、企業活動が生み出す公害や企業の不祥事(なぜ、「犯罪」といわないのだろう)に対して、企業も市民社会の一員であるという「社会的役割」の重視や、積極的に社会貢献・寄付などを行う行為などが、推奨されてきた。21世紀はそれを企業の「社会的責任(CSR)」と命名している。企業が社会的存在であることを、これまでよりも重視しようというのであろう。世界的に広がっているグローバリゼーションとの関係もあるとも言われている。
しかし、日本での社会的責任の取り上げ方には、どうも偏りがあるように思う。商品・サービスに関する問題が大きく扱われている。商品の表示と内容とが違うとか、賞味期限の不当表示などが不祥事として、消費者の反発やマスコミのターゲットにされがちである。たしかに、消費者にとっては、表示を頼りにして代金を払って購入するわけだから、表示が商品の実態を示していないことは、その企業が社会的責任を果たしていないと思う。
つづいて、企業は環境に配慮した経営をしているかどうかが、社会的に関心を集めている。企業が排出する排水や廃液などで、地域の環境を汚染しているとすれば、地球環境に重大な害を及ぼしているといえる。また、製品の素材を集める場合に、それぞれの地域の生態系を崩しているとか、環境破壊をしているとかしている。やはりその限りでは、企業の営利・営業活動のために地球の持続性を解体しているという批判は、もっともだ。
■ 企業は我がこととして雇用・人権関係に取り組んでほしい
同様に、企業の社会的責任のなかには、その企業が、労働条件の社会的基準を守ると共に、多様な人々を適正に雇用をしていることも、重要な項目としてあるはずだ。さらに、企業活動の全てにわたって、多様な人々の人権を重視していることが含まれている。どうも、日本の企業においては、こうした雇用や人権の視点が弱いように思う。企業自身もそうだが、多くの消費者やマスコミも、この面にはあまり関心を持っていないようだ。
とくに、日本の企業は障害者雇用には消極的だ。障害者雇用促進法に定められている法定雇用率さえ、数十年にわたって実現できていない現実が、これを示している。法律という最低基準さえ守られていない。さらに、企業は雇用した人たちに、適正な労働条件や労働環境を整備する責任がある。これらも、社会的責任の一部だろう。
企業が社会で営業するからには、障害のある人や表示してある言葉が明確に読めない人なども、企業の商品やサービスを購入・利用するお客さんという視点が希薄だ。グローバリゼーションと関連する大企業にも、中小・零細企業にも、あるいは行政にも同じ視点が重要である。
多分、企業にとって、多くの消費者にとって、あるいはマスコミにとって、こうした人々は別な存在だという意識が、どうも強いのだろう。これまで地域社会で分け隔ててきた結果を反映していると思う。企業の社会的責任(CSR)を推奨することは素晴らしいことだ。企業も地域に貢献する方向に大きく変わってほしい。その重要な要素として、当たり前だが、障害者市民やさまざまな市民が、他の多くの人たちと同等な権利を持っていることも含まれる。
■ 企業にとって商品・サービスや環境問題も重要だが・・・
最近、企業の社会的責任(CSR)が頻繁に言われだした。これまでにも、企業活動が生み出す公害や企業の不祥事(なぜ、「犯罪」といわないのだろう)に対して、企業も市民社会の一員であるという「社会的役割」の重視や、積極的に社会貢献・寄付などを行う行為などが、推奨されてきた。21世紀はそれを企業の「社会的責任(CSR)」と命名している。企業が社会的存在であることを、これまでよりも重視しようというのであろう。世界的に広がっているグローバリゼーションとの関係もあるとも言われている。
しかし、日本での社会的責任の取り上げ方には、どうも偏りがあるように思う。商品・サービスに関する問題が大きく扱われている。商品の表示と内容とが違うとか、賞味期限の不当表示などが不祥事として、消費者の反発やマスコミのターゲットにされがちである。たしかに、消費者にとっては、表示を頼りにして代金を払って購入するわけだから、表示が商品の実態を示していないことは、その企業が社会的責任を果たしていないと思う。
つづいて、企業は環境に配慮した経営をしているかどうかが、社会的に関心を集めている。企業が排出する排水や廃液などで、地域の環境を汚染しているとすれば、地球環境に重大な害を及ぼしているといえる。また、製品の素材を集める場合に、それぞれの地域の生態系を崩しているとか、環境破壊をしているとかしている。やはりその限りでは、企業の営利・営業活動のために地球の持続性を解体しているという批判は、もっともだ。
■ 企業は我がこととして雇用・人権関係に取り組んでほしい
同様に、企業の社会的責任のなかには、その企業が、労働条件の社会的基準を守ると共に、多様な人々を適正に雇用をしていることも、重要な項目としてあるはずだ。さらに、企業活動の全てにわたって、多様な人々の人権を重視していることが含まれている。どうも、日本の企業においては、こうした雇用や人権の視点が弱いように思う。企業自身もそうだが、多くの消費者やマスコミも、この面にはあまり関心を持っていないようだ。
とくに、日本の企業は障害者雇用には消極的だ。障害者雇用促進法に定められている法定雇用率さえ、数十年にわたって実現できていない現実が、これを示している。法律という最低基準さえ守られていない。さらに、企業は雇用した人たちに、適正な労働条件や労働環境を整備する責任がある。これらも、社会的責任の一部だろう。
企業が社会で営業するからには、障害のある人や表示してある言葉が明確に読めない人なども、企業の商品やサービスを購入・利用するお客さんという視点が希薄だ。グローバリゼーションと関連する大企業にも、中小・零細企業にも、あるいは行政にも同じ視点が重要である。
多分、企業にとって、多くの消費者にとって、あるいはマスコミにとって、こうした人々は別な存在だという意識が、どうも強いのだろう。これまで地域社会で分け隔ててきた結果を反映していると思う。企業の社会的責任(CSR)を推奨することは素晴らしいことだ。企業も地域に貢献する方向に大きく変わってほしい。その重要な要素として、当たり前だが、障害者市民やさまざまな市民が、他の多くの人たちと同等な権利を持っていることも含まれる。