ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

権利主体としての障害者市民

2008年11月20日 00時55分27秒 | 障害者の自立
 2006年12月に国連総会は「障害者権利条約」を採択した。この条約は2008年04月03日に20ヵ国が批准して、その1ヶ月後の2008年05月03日に効力を発揮するにいたった。日本国政府は署名をしたが、旧来の施設収容の福祉やとくに分離教育をさだめた文部科学省の方針に忠実に、これまでの国内法に合致するように翻訳に手を加えたともいう。一方で、不充分ながらも千葉県では「障害者差別禁止条例」(これは略称で、正式名称は「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」)を2006年10月11日の本会議で成立させた。こうした条約によって法律の変革を生み出したい、あるいは障害者差別禁止条例を豊中でも実現したいという障害者の心意気が高まった。この文章は「国際障害者年を機に「障害」者の自立と完全参加をめざす豊中市民会議」(略称「国障年豊中」事務局は〒561-0881 豊中市中桜塚3―2―2「障害者の自立を支えるサポートネットワーク」内 FAX06-6846-7782))が編集・発行している『夢のひきだし』(第10号、2008年08月)に寄稿したものである。

■ 世界人権宣言をより効果あるものにする
 2006年の12月に開かれた第81回国連総会で「障害者権利条約」が採択されたことは、読者の皆さんには周知の出来事であろう。2006年における国連加盟国は192カ国であり、世界中に障害者が6億5千万人ほど存在しているという。世界各国・各地域に活動している障害者たちが待ち望んでいた国際条約である。

 今年(2008年)から60年前の1948年の第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されたことを思い出す。また、こうした条約を有効に機能するために、女性差別禁止条約や子どもの権利条約(正式名称とは異なる)などが制定された。しかし、既存の人権関係の条約では障害者の人権を確立するには不充分であった。そこで、障害者についての権利条約の制定が必要とされたのである。障害者への差別について、明確な基準がなかったといわれる。

■ 保護される存在から権利の主体としての存在への転換
 障害者の権利確立が不充分であったのは、なぜか。これまでは、障害者はその人自身が「弱い」人という考え方が中心であった。その考え方にしたがって「保護される存在」と扱われてきていた。でも、そうではないのだ。障害者の「障害」を生み出しているのは、社会の現在の仕組みである。

 社会の一員として「権利の主体」であり、人間の各種の権利を持っているとする価値観の転換を伴うものであったことを、社会のほうが受け止められなかったためだと思う。もちろん、世界人権宣言やそれに続く各種の国際条約をよく読んでみると、それぞれの属性を持つ人が権利主体であることが分かる。

 しかし、今の社会においては、あるいは社会を構成する人々(とくにリーダーたち)の意識の中で「障害者=出来ないところがある・欠けているところがある存在」だから「保護すべきだ」というイメージが、どこかに残っているのではないだろうか。

■ 社会モデルへの価値転換の採用
 それを一般には「医学的モデル」と言うらしい。医療の世界だけではなく、福祉の世界や教育の世界でも社会の中でも、やはり障害者=保護すべき対象というイメージが広く存在しているように思う。障害者に対して、多く使われる表現が「障害を克服して」とか「障害に負けないで」である。あるいは「人一倍努力をした結果」ともいう。

 なぜわざわざ「障害を克服」しなければならなかったのだろう。なぜ「人一倍努力をしなければならなかった」のだろう。今の社会やその中心にいる人たちが作った仕組みに問題があるから、障害者は「人一倍努力を強いられた」のだろう。こうした価値観を転換することは、今の社会の中心を作った人たちには、理解できないことのようだ。あるいは、理解はできてもそれを実際に受け入れるには、困難が伴ったのであろう。

■ 障害者自身の政策づくりへの参加
 やはり、本人たちの運動がそこには動力として必要だった。国連の場でも各国のさまざまな障害者組織(個人でも重要だが、多くはどの政府からも独立しているグループ、非営利の組織NPOやNGOという形態)が働きかけた。

 障害者自身が国際的に連携をつくり、国際条約の制定に効力を発揮した。多分、各国政府の間でのやり取りだけでは、国際条約は成功しなかったとも思う。あるいは、例え国際条約が作成されてもかなり姿は変わっていたと想像する。

 この障害者権利条約に日本の政府も署名はした。しかし、政府の仮訳というものを読んだが、国際条約の基本の理念を見事に骨抜きにしている。それはそうだろう。これまで、日本政府は、障害者を別に閉じ込めてきた政策(保護という名目での施設中心の福祉や別枠での教育や特別扱いでの雇用など)やその背景になっていた価値観を転換する必要に迫られている。これまでの施策を大きく見直す必要がある。今の政策を続けることに固執すれば、国際条約をすんなりと受け入れることはできないだろう。

■ 自分たちの行動に自信をもつ
 ここでも、国際条約を日本に受け入れるようにするために、障害者たちが働きかける必要がある。出発点は今の社会の仕組みのもとで、あるいは多くの人々の価値観に縛られていて、困ったことや悔しい思いをしたという現実である。この事実をくりかえし社会に提出することだろう。多くの人たちが困っている多くの現実を示すことが、多分転換を促す動力になるだろう。

 同時に、もし改善されたら、こんなすばらしい効果があると自分でも納得し、他人を説得することも、大切だ。自分たちが働きかけた成果である。目標が明確に示されると、それを確信に変えることもできる。そのとき、自分たちももちろん、勇気づけられるはずだ。自分たちと現状について同じような不満を抱いていた人たち、さらには周りの人々、あるいは見知らぬ人たちも、元気がでるだろう。


だいあろ~ぐ:東京彩人記 視聴覚障害者に山の自然を紹介・大作栄一郎さん /東京

2008年11月20日 00時48分26秒 | 障害者の自立
◆視聴覚障害者に山の自然を紹介するガイド・大作栄一郎さん

 ◇楽しめるようお手伝い
 八王子市の大作栄一郎さん(65)が、目や耳の不自由な人たちに自然を紹介するガイド活動を続けている。「たくさんの人に自然と親しんでほしい」と12年前から始めた。美しい花々や野鳥は、目や耳だけで楽しむものではない。自然に魅せられた、この道37年のベテランガイドには、さまざまな工夫があった。

 --手話歴は16年になりますね。

 はい。山梨県の八ケ岳山麓(さんろく)に暮らし、自然観察会の講師をしていた時に聴覚障害の夫婦と出会ってからです。筆談で会話しましたが、大自然の魅力をうまく伝えられず、手話を始めようと決意しました。手話通訳の入門編は修了しました。手話による自然ガイドは珍しいと思いますよ。

 --試しにやってみてください。

 鳥の鳴き声の場合、まずは、50音を指の動きで表現する「指文字」を使います。ウグイスなら「ホーホケキョ」と文字で知らせた後、鳴き声を口笛で吹きます。その時、私のほおに指を当ててもらい、指に伝わる震動を感じてもらうんです。聴覚障害者が太鼓を演奏する時、太鼓の震動を体で感じるという話から思いつきました。

 --他にどんな工夫をしていますか。

 ジェスチャーも使います。キジが縄張りを宣言する時、鳴きながら羽ばたきますが、これを顔や指を使ってまねるんです。手話辞典片手に日々勉強です。

 --視覚障害者のガイドは?

 10年前に始めました。視覚障害者は耳がよく、鳥の鳴き声にすぐ気付きますよ。あとは鳥の生態、色や形を話します。花はにおいと手触りを感じてもらいます。ヤマユリは香りが強くて楽しめますね。野鳥でも山野草でも、障害者の人たちは自然の深さが分かったと感激してくれます。

 --自然環境は変わりましたか。

 ガイドを始めた37年前と比べ、里山は荒廃しました。野鳥は数、種類とも減りましたが、特にタカやフクロウは見かけなくなりました。ヨタカもいませんね。昔は夏の夕暮れに「キョキョキョキョ……」と鳴いていたのですが。大きな釣り鐘の花を咲かせるホタルブクロも減りました。

 --06年に八王子へ転居しました。

 もっぱら自宅近くの湯殿川流域と高尾山を訪ねています。湯殿川ではカワセミが美しい。高尾山ではヒヨドリ、ウグイス、イカル、アカゲラなど、さまざまな野鳥が見られます。自然を楽しむのに障害は関係ありません。少しでも興味があれば、お手伝いしますよ。<聞き手/社会部・内橋寿明記者>

 ◇記者の一言
 鳥の鳴き声を口笛でまねる大作さんのほおに指を当てた。ウグイス、イカル、トビ。それぞれの鳴き声は振動となって、指から腕、体まで伝わってきた。

 自宅には、撮りためた野鳥の写真が部屋一面に飾ってあった。カワセミの鮮やかな水色が目に焼き付いて離れない。「山頂でのビールが最高だよ」と大作さん。紅葉の季節、山へ出かけたくなった。

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 ■人物略歴

 ◇おおさく・えいいちろう
 1943年、浅草生まれの江戸っ子。都会育ちの反動から、自然の魅力にとりつかれた。28歳の時、日本野鳥の会に入会。野鳥や山野草の写真を撮り始め、本格的にガイド業の道へ。環境省の環境カウンセラーを務めるかたわら、アフリカ・タンザニアでの植林活動にも携わる。


課外授業:嬉野高、障害者の日常学ぶ 車椅子など実体験 /佐賀

2008年11月20日 00時45分33秒 | 障害者の自立
県立嬉野高校(北村喜久次校長)で18日、全校生徒462人を対象にした「課外授業~障害者理解啓発キャラバン隊とともに~」があった。障害者月間にちなんだ行事で、生徒たちは学校を訪れたキャラバン隊と共に車椅子を実体験するなどして、障害者が日常で感じている不便さや不安感を学んだ。

 キャラバン隊は障害児者を持つ親の教育相談や支援をしているNPO法人「それいゆ相談センター」や県障害福祉課職員、県教育政策課職員などで構成。 生徒たちは県が作ったDVD「みんなちがって みんないい」を見た後、感じ方や考え方が一人一人違っていることを認め合う大切さを学んだほか、車椅子を使って障害を持つ人とサポートする側の双方を体験した。石永孝暁さん(2年)は「街で困っている人がいれば手伝いたい」と話した