2006年12月に国連総会は「障害者権利条約」を採択した。この条約は2008年04月03日に20ヵ国が批准して、その1ヶ月後の2008年05月03日に効力を発揮するにいたった。日本国政府は署名をしたが、旧来の施設収容の福祉やとくに分離教育をさだめた文部科学省の方針に忠実に、これまでの国内法に合致するように翻訳に手を加えたともいう。一方で、不充分ながらも千葉県では「障害者差別禁止条例」(これは略称で、正式名称は「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」)を2006年10月11日の本会議で成立させた。こうした条約によって法律の変革を生み出したい、あるいは障害者差別禁止条例を豊中でも実現したいという障害者の心意気が高まった。この文章は「国際障害者年を機に「障害」者の自立と完全参加をめざす豊中市民会議」(略称「国障年豊中」事務局は〒561-0881 豊中市中桜塚3―2―2「障害者の自立を支えるサポートネットワーク」内 FAX06-6846-7782))が編集・発行している『夢のひきだし』(第10号、2008年08月)に寄稿したものである。
■ 世界人権宣言をより効果あるものにする
2006年の12月に開かれた第81回国連総会で「障害者権利条約」が採択されたことは、読者の皆さんには周知の出来事であろう。2006年における国連加盟国は192カ国であり、世界中に障害者が6億5千万人ほど存在しているという。世界各国・各地域に活動している障害者たちが待ち望んでいた国際条約である。
今年(2008年)から60年前の1948年の第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されたことを思い出す。また、こうした条約を有効に機能するために、女性差別禁止条約や子どもの権利条約(正式名称とは異なる)などが制定された。しかし、既存の人権関係の条約では障害者の人権を確立するには不充分であった。そこで、障害者についての権利条約の制定が必要とされたのである。障害者への差別について、明確な基準がなかったといわれる。
■ 保護される存在から権利の主体としての存在への転換
障害者の権利確立が不充分であったのは、なぜか。これまでは、障害者はその人自身が「弱い」人という考え方が中心であった。その考え方にしたがって「保護される存在」と扱われてきていた。でも、そうではないのだ。障害者の「障害」を生み出しているのは、社会の現在の仕組みである。
社会の一員として「権利の主体」であり、人間の各種の権利を持っているとする価値観の転換を伴うものであったことを、社会のほうが受け止められなかったためだと思う。もちろん、世界人権宣言やそれに続く各種の国際条約をよく読んでみると、それぞれの属性を持つ人が権利主体であることが分かる。
しかし、今の社会においては、あるいは社会を構成する人々(とくにリーダーたち)の意識の中で「障害者=出来ないところがある・欠けているところがある存在」だから「保護すべきだ」というイメージが、どこかに残っているのではないだろうか。
■ 社会モデルへの価値転換の採用
それを一般には「医学的モデル」と言うらしい。医療の世界だけではなく、福祉の世界や教育の世界でも社会の中でも、やはり障害者=保護すべき対象というイメージが広く存在しているように思う。障害者に対して、多く使われる表現が「障害を克服して」とか「障害に負けないで」である。あるいは「人一倍努力をした結果」ともいう。
なぜわざわざ「障害を克服」しなければならなかったのだろう。なぜ「人一倍努力をしなければならなかった」のだろう。今の社会やその中心にいる人たちが作った仕組みに問題があるから、障害者は「人一倍努力を強いられた」のだろう。こうした価値観を転換することは、今の社会の中心を作った人たちには、理解できないことのようだ。あるいは、理解はできてもそれを実際に受け入れるには、困難が伴ったのであろう。
■ 障害者自身の政策づくりへの参加
やはり、本人たちの運動がそこには動力として必要だった。国連の場でも各国のさまざまな障害者組織(個人でも重要だが、多くはどの政府からも独立しているグループ、非営利の組織NPOやNGOという形態)が働きかけた。
障害者自身が国際的に連携をつくり、国際条約の制定に効力を発揮した。多分、各国政府の間でのやり取りだけでは、国際条約は成功しなかったとも思う。あるいは、例え国際条約が作成されてもかなり姿は変わっていたと想像する。
この障害者権利条約に日本の政府も署名はした。しかし、政府の仮訳というものを読んだが、国際条約の基本の理念を見事に骨抜きにしている。それはそうだろう。これまで、日本政府は、障害者を別に閉じ込めてきた政策(保護という名目での施設中心の福祉や別枠での教育や特別扱いでの雇用など)やその背景になっていた価値観を転換する必要に迫られている。これまでの施策を大きく見直す必要がある。今の政策を続けることに固執すれば、国際条約をすんなりと受け入れることはできないだろう。
■ 自分たちの行動に自信をもつ
ここでも、国際条約を日本に受け入れるようにするために、障害者たちが働きかける必要がある。出発点は今の社会の仕組みのもとで、あるいは多くの人々の価値観に縛られていて、困ったことや悔しい思いをしたという現実である。この事実をくりかえし社会に提出することだろう。多くの人たちが困っている多くの現実を示すことが、多分転換を促す動力になるだろう。
同時に、もし改善されたら、こんなすばらしい効果があると自分でも納得し、他人を説得することも、大切だ。自分たちが働きかけた成果である。目標が明確に示されると、それを確信に変えることもできる。そのとき、自分たちももちろん、勇気づけられるはずだ。自分たちと現状について同じような不満を抱いていた人たち、さらには周りの人々、あるいは見知らぬ人たちも、元気がでるだろう。
■ 世界人権宣言をより効果あるものにする
2006年の12月に開かれた第81回国連総会で「障害者権利条約」が採択されたことは、読者の皆さんには周知の出来事であろう。2006年における国連加盟国は192カ国であり、世界中に障害者が6億5千万人ほど存在しているという。世界各国・各地域に活動している障害者たちが待ち望んでいた国際条約である。
今年(2008年)から60年前の1948年の第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されたことを思い出す。また、こうした条約を有効に機能するために、女性差別禁止条約や子どもの権利条約(正式名称とは異なる)などが制定された。しかし、既存の人権関係の条約では障害者の人権を確立するには不充分であった。そこで、障害者についての権利条約の制定が必要とされたのである。障害者への差別について、明確な基準がなかったといわれる。
■ 保護される存在から権利の主体としての存在への転換
障害者の権利確立が不充分であったのは、なぜか。これまでは、障害者はその人自身が「弱い」人という考え方が中心であった。その考え方にしたがって「保護される存在」と扱われてきていた。でも、そうではないのだ。障害者の「障害」を生み出しているのは、社会の現在の仕組みである。
社会の一員として「権利の主体」であり、人間の各種の権利を持っているとする価値観の転換を伴うものであったことを、社会のほうが受け止められなかったためだと思う。もちろん、世界人権宣言やそれに続く各種の国際条約をよく読んでみると、それぞれの属性を持つ人が権利主体であることが分かる。
しかし、今の社会においては、あるいは社会を構成する人々(とくにリーダーたち)の意識の中で「障害者=出来ないところがある・欠けているところがある存在」だから「保護すべきだ」というイメージが、どこかに残っているのではないだろうか。
■ 社会モデルへの価値転換の採用
それを一般には「医学的モデル」と言うらしい。医療の世界だけではなく、福祉の世界や教育の世界でも社会の中でも、やはり障害者=保護すべき対象というイメージが広く存在しているように思う。障害者に対して、多く使われる表現が「障害を克服して」とか「障害に負けないで」である。あるいは「人一倍努力をした結果」ともいう。
なぜわざわざ「障害を克服」しなければならなかったのだろう。なぜ「人一倍努力をしなければならなかった」のだろう。今の社会やその中心にいる人たちが作った仕組みに問題があるから、障害者は「人一倍努力を強いられた」のだろう。こうした価値観を転換することは、今の社会の中心を作った人たちには、理解できないことのようだ。あるいは、理解はできてもそれを実際に受け入れるには、困難が伴ったのであろう。
■ 障害者自身の政策づくりへの参加
やはり、本人たちの運動がそこには動力として必要だった。国連の場でも各国のさまざまな障害者組織(個人でも重要だが、多くはどの政府からも独立しているグループ、非営利の組織NPOやNGOという形態)が働きかけた。
障害者自身が国際的に連携をつくり、国際条約の制定に効力を発揮した。多分、各国政府の間でのやり取りだけでは、国際条約は成功しなかったとも思う。あるいは、例え国際条約が作成されてもかなり姿は変わっていたと想像する。
この障害者権利条約に日本の政府も署名はした。しかし、政府の仮訳というものを読んだが、国際条約の基本の理念を見事に骨抜きにしている。それはそうだろう。これまで、日本政府は、障害者を別に閉じ込めてきた政策(保護という名目での施設中心の福祉や別枠での教育や特別扱いでの雇用など)やその背景になっていた価値観を転換する必要に迫られている。これまでの施策を大きく見直す必要がある。今の政策を続けることに固執すれば、国際条約をすんなりと受け入れることはできないだろう。
■ 自分たちの行動に自信をもつ
ここでも、国際条約を日本に受け入れるようにするために、障害者たちが働きかける必要がある。出発点は今の社会の仕組みのもとで、あるいは多くの人々の価値観に縛られていて、困ったことや悔しい思いをしたという現実である。この事実をくりかえし社会に提出することだろう。多くの人たちが困っている多くの現実を示すことが、多分転換を促す動力になるだろう。
同時に、もし改善されたら、こんなすばらしい効果があると自分でも納得し、他人を説得することも、大切だ。自分たちが働きかけた成果である。目標が明確に示されると、それを確信に変えることもできる。そのとき、自分たちももちろん、勇気づけられるはずだ。自分たちと現状について同じような不満を抱いていた人たち、さらには周りの人々、あるいは見知らぬ人たちも、元気がでるだろう。