◇「一寸先は光」合言葉に
第10回記念全日本身体障害者野球選手権大会が1~3日、兵庫県豊岡市日高町の県立但馬ドームで開かれ、7年ぶりに出場した中国・四国代表の岡山桃太郎が準優勝、県勢としては過去最高の成績となった。全国から勝ち上がった計8チームがトーナメント方式で対戦。3日の決勝は西近畿代表の神戸コスモスとの間で行われた。桃太郎は守備の乱れから12-0で敗れたが、スタンドからは「よくやった」と温かい拍手が送られた。
◇健闘に惜しみない拍手
岡山桃太郎ナインは中学生から70代までが集う。副松正信監督は「苦しみや喜びを共有してきた家族のようなチーム。2日の準決勝を3対2で勝ち、決勝進出が決まった時は熱いものがこみ上げて泣き崩れた。気を引き締めて優勝を目指す」と意気込んでいた。
登板したのはエースの槙原淳幹投手(18)。右手に障害を抱えながら、片手で白球を自在に操る。スタンドで応援していた母昌枝さん(44)は「力みがあるが、決勝に出るだけで十分」と涙ぐんだ。ピンチを迎えるたびに、選手たちは大きな声で励まし合い、凡打でも全力で一塁まで走った。
しかし健闘むなしく五回でコールド負け。槙原投手は「悔しい。しかし、ここまで来た喜びも、悔しさも一生懸命頑張ったからこそ味わえる。来年は優勝を目指す」と力を込めた。
「一寸先は光」を合言葉に厳しい練習をしてきた岡山桃太郎。たとえ障害を負う事故に遭うなどの挫折を感じても、いつか光は差し込むという意味が込められているという。野球をあきらめない、人生をあきらめない選手の姿は光り輝いて見えた。
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◇「野球があったから今がある」--大森英明一塁手
大森英明一塁手(41)は4年前、大型トラックを運転中、居眠り運転の大型トラックに追突され、反対車線の大型トレーラーと正面衝突。奇跡的に一命を取り留めたが、右足の小指と薬指を切断し、記憶力などが低下する高次脳機能障害で8カ月間入院した。「何だこの足は、と絶望し、死にたいとも思った。生きる希望を完全に失っていた」と当時を振り返る。そんな時、テレビで岡山桃太郎が紹介され、「これなら出来るかも」と練習場に足を運んだ。
「野球があったから今がある」と話す大森さんは、決勝の前夜、これまでを振り返り、「ここにいることが信じられない。とても幸せだ」と生きる実感をかみしめたという。残念ながら試合は敗れたが、表情は晴れやかだった。
第10回記念全日本身体障害者野球選手権大会が1~3日、兵庫県豊岡市日高町の県立但馬ドームで開かれ、7年ぶりに出場した中国・四国代表の岡山桃太郎が準優勝、県勢としては過去最高の成績となった。全国から勝ち上がった計8チームがトーナメント方式で対戦。3日の決勝は西近畿代表の神戸コスモスとの間で行われた。桃太郎は守備の乱れから12-0で敗れたが、スタンドからは「よくやった」と温かい拍手が送られた。
◇健闘に惜しみない拍手
岡山桃太郎ナインは中学生から70代までが集う。副松正信監督は「苦しみや喜びを共有してきた家族のようなチーム。2日の準決勝を3対2で勝ち、決勝進出が決まった時は熱いものがこみ上げて泣き崩れた。気を引き締めて優勝を目指す」と意気込んでいた。
登板したのはエースの槙原淳幹投手(18)。右手に障害を抱えながら、片手で白球を自在に操る。スタンドで応援していた母昌枝さん(44)は「力みがあるが、決勝に出るだけで十分」と涙ぐんだ。ピンチを迎えるたびに、選手たちは大きな声で励まし合い、凡打でも全力で一塁まで走った。
しかし健闘むなしく五回でコールド負け。槙原投手は「悔しい。しかし、ここまで来た喜びも、悔しさも一生懸命頑張ったからこそ味わえる。来年は優勝を目指す」と力を込めた。
「一寸先は光」を合言葉に厳しい練習をしてきた岡山桃太郎。たとえ障害を負う事故に遭うなどの挫折を感じても、いつか光は差し込むという意味が込められているという。野球をあきらめない、人生をあきらめない選手の姿は光り輝いて見えた。
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◇「野球があったから今がある」--大森英明一塁手
大森英明一塁手(41)は4年前、大型トラックを運転中、居眠り運転の大型トラックに追突され、反対車線の大型トレーラーと正面衝突。奇跡的に一命を取り留めたが、右足の小指と薬指を切断し、記憶力などが低下する高次脳機能障害で8カ月間入院した。「何だこの足は、と絶望し、死にたいとも思った。生きる希望を完全に失っていた」と当時を振り返る。そんな時、テレビで岡山桃太郎が紹介され、「これなら出来るかも」と練習場に足を運んだ。
「野球があったから今がある」と話す大森さんは、決勝の前夜、これまでを振り返り、「ここにいることが信じられない。とても幸せだ」と生きる実感をかみしめたという。残念ながら試合は敗れたが、表情は晴れやかだった。