この本はDPI日本会議の編集になる『DPIわれら自身の声』(Vol.24、No.3、2008年10月16日)に掲載されている安積遊歩さんの書評で知ったものである。すでに安積さんによる整った書評がある。ぜひ、現物を手にとってほしい。しかし、私流に勝手に紹介しよう。なお、国連の障害者権利条約については日本で出版されたものも多い(その一つは、私がこのページでも紹介した障害児を普通学校へ・全国連絡会編の『障害者権利条約――わかりやすい全訳でフル活用!!』である)。
■ 完全な2部構成になっている本書
第一部が嶺井雅也さんによる「インクルーシヴ教育を求めて」である。第二部としてシャロン・ラストマイアーさんになる原文の日本語訳があるインクルーシヴ教育の具体的事例である「カースティとインクルージョン」がある。
私が見た限り、第一部と第二部と個々に目次がついている。全体の目次は見当たらない。2つの本が合わさった感じになっているつくりである。
嶺井さんの文章は「サラマンカ宣言」(1994年)と2006年の国連での権利条約制定に始まる2007年に日本政府が署名した動きを丹念に追っている。嶺井さんが恐れているノーマライゼーション理念と同様の「換骨奪胎」がすでに始まっていることを示している。
そこにあるのは、分離・別学体制を前提にする「インクルーシヴ教育」という奇妙なものである。嶺井さんが感じとっていらっしゃる危険性は、現実に姿をあらわしている。
インクルーシヴ教育が今の社会では抵抗を受けやすく、さらに変形されやすい。第二部に置かれているシャロン・ラストマイアーさんの「カースティとインクルージョン」でも見られる。しかも、本人たちは社会生活を思いきり楽しんでいる様子がはっきり見える。
■ 原点に戻って考える
嶺井さんは、1994年にユネスコがサラマンカ宣言を採択した時点に戻って、原則をもういちど確認されている。スペインのサラマンカという地理も含めてである。当時は社会的排除や社会的包摂はもちろん、インクルージョンという言葉自体も日本にはまだ紹介されていない時代であった。この宣言でしきりに使われている「インクルーシヴ教育」も、日本語への訳語から議論になったという。
と同時に、国連の障害者権利条約の制定過程も作業部会の草案から取り上げられている。国連での議論のなかで、分離型の特別教育自体が徹底的に批判されていることがわかる。
こうした過程を辿ると、日本政府の、とりわけ外務省が仮訳したという訳語についても、問題があることが明確になる。訳語に苦労した嶺井さんだから指摘できるのであろう(なお、先に本を紹介した障害児を普通学校へ・全国連絡会が編集している『障害児を普通学校へ』でも機関誌で、日本語訳の問題性についても指摘していたと思う)。
■ 教育面から国連障害者の権利条約の重要性を説いている
これまでにも、障害の定義を巡ってなど、社会的権利については多くの指摘があった。本書では、教育についても国連の障害者権利条約について詳細が明かにされている。しかも、原則にたち戻って、共に学び共に生きる関係が明らかにされている。
まさに副題にあるとおり「サラマンカ宣言」から「障害者権利条約」に向う歩みを、述べている。インクルージョンという社会政策も、教育から大きな動きがあったことも分かる。
障害者たちが動くことによって、日本社会も大きく変わるだろう。インクルージョン社会に変えていきたい。障害者たちが試みるとともに、私たち、その他の人々も力を合わせるときだろう。本書は体裁は小さく重さも軽いが、ぎっしり詰まった内容に圧倒されないように、エネルギーを蓄えたときに読む本だろう。
嶺井 雅也/シャロン・ラストマイアー 著『インクルーシヴ教育に向って――「サラマンカ宣言」から「障害者権利条約」へ――』
2008年、八月書館、110ページ、ISBN978―4―938140―58―8。
■ 完全な2部構成になっている本書
第一部が嶺井雅也さんによる「インクルーシヴ教育を求めて」である。第二部としてシャロン・ラストマイアーさんになる原文の日本語訳があるインクルーシヴ教育の具体的事例である「カースティとインクルージョン」がある。
私が見た限り、第一部と第二部と個々に目次がついている。全体の目次は見当たらない。2つの本が合わさった感じになっているつくりである。
嶺井さんの文章は「サラマンカ宣言」(1994年)と2006年の国連での権利条約制定に始まる2007年に日本政府が署名した動きを丹念に追っている。嶺井さんが恐れているノーマライゼーション理念と同様の「換骨奪胎」がすでに始まっていることを示している。
そこにあるのは、分離・別学体制を前提にする「インクルーシヴ教育」という奇妙なものである。嶺井さんが感じとっていらっしゃる危険性は、現実に姿をあらわしている。
インクルーシヴ教育が今の社会では抵抗を受けやすく、さらに変形されやすい。第二部に置かれているシャロン・ラストマイアーさんの「カースティとインクルージョン」でも見られる。しかも、本人たちは社会生活を思いきり楽しんでいる様子がはっきり見える。
■ 原点に戻って考える
嶺井さんは、1994年にユネスコがサラマンカ宣言を採択した時点に戻って、原則をもういちど確認されている。スペインのサラマンカという地理も含めてである。当時は社会的排除や社会的包摂はもちろん、インクルージョンという言葉自体も日本にはまだ紹介されていない時代であった。この宣言でしきりに使われている「インクルーシヴ教育」も、日本語への訳語から議論になったという。
と同時に、国連の障害者権利条約の制定過程も作業部会の草案から取り上げられている。国連での議論のなかで、分離型の特別教育自体が徹底的に批判されていることがわかる。
こうした過程を辿ると、日本政府の、とりわけ外務省が仮訳したという訳語についても、問題があることが明確になる。訳語に苦労した嶺井さんだから指摘できるのであろう(なお、先に本を紹介した障害児を普通学校へ・全国連絡会が編集している『障害児を普通学校へ』でも機関誌で、日本語訳の問題性についても指摘していたと思う)。
■ 教育面から国連障害者の権利条約の重要性を説いている
これまでにも、障害の定義を巡ってなど、社会的権利については多くの指摘があった。本書では、教育についても国連の障害者権利条約について詳細が明かにされている。しかも、原則にたち戻って、共に学び共に生きる関係が明らかにされている。
まさに副題にあるとおり「サラマンカ宣言」から「障害者権利条約」に向う歩みを、述べている。インクルージョンという社会政策も、教育から大きな動きがあったことも分かる。
障害者たちが動くことによって、日本社会も大きく変わるだろう。インクルージョン社会に変えていきたい。障害者たちが試みるとともに、私たち、その他の人々も力を合わせるときだろう。本書は体裁は小さく重さも軽いが、ぎっしり詰まった内容に圧倒されないように、エネルギーを蓄えたときに読む本だろう。
嶺井 雅也/シャロン・ラストマイアー 著『インクルーシヴ教育に向って――「サラマンカ宣言」から「障害者権利条約」へ――』
2008年、八月書館、110ページ、ISBN978―4―938140―58―8。