支援という用語がしきりに、厚生労働省や行政から使われるようになった。要介護高齢者・障害者を支える仕事に従事している人々の間でも、こうした言葉がでてくる。旧来の措置行政に合致した「指導」という言葉は、どうも使い勝手が悪いと思ってきた。本人の主体的な自立した決定にもとづく行動(一般には「自己決定」ともいう)を尊重しているという意味で、私も使ってきた。支援という言葉はどうもなぁ、と思ったいくつかの組織は、むしろ「応援」という表現を好むようだ。いろいろな見方がある用語だと思ってきた。私の手元に送られてきたNPO法人「拓人こうべ」が編集している「拓人」(第91号、2007年10月03日)に、「小さな喜び」と題した「ながた障害者地域生活支援センター」の柴田愛さんの記事を見つけた。編集者たちの了承をえたので、全体の文章を転載する。多様な情報が詰まっているので、ぜひ機関誌全体を読んで欲しい。なお、websiteに掲載するために、ヒラカナのルビを外し私流に見出しもつけた。
■ 手探りでの支援
私たち(柴田さんたち「ながた障害者地域生活支援センター」のスタッフたち・大谷注)が彼と出会った時、彼は気力を無くしていたのか、ほとんど寝たきりですごしていました。周囲に頼ってばかりの彼に担当コーディネーターは「どのように対応していったらいいのか」と悩みながら、手探りで支援をしていきました。
支援センターの中でも何度も話し合いを持ち、本人が出来るところは本人にしてもらう。ちょっとしたことでも出来たら認め、それを本人に伝える。コーディネーター皆が本人に対し同じ対応をする。という事で支援していくことになりました。
当たり前の支援方針ではありますが、人に頼ることに慣れきってしまった人に、「自分でやってもらう」というのは大変なことで、時にはコーディネーターの方が弱気になることもありましたが、コーディネーターは忍耐強く、本人に対応していました。
■ 自分から生活の工夫を始めたとの報告
そんなある日、彼から担当に電話がありました。おむつ一本槍だったのに、今日は自分からポータブルトイレを使ったというのです。その報告を聞いたコーディネーター一同は「すごいねー」「やったねー」と歓声をあげました。
それからの彼は外にも頻繁に出かけるようになり、「お風呂のある処に引っ越し、したい」と自分で引越し先を探すまでになりました。
支援、というと何か手を貸すことのように思いがちですが、「本人の持っている力を引き出すこと」。それも支援の大きな柱であるという事を改めて感じた出来事でした。以上が、柴田愛さんの記事の全文である。
■ 分かっていても、実際には難しいこと――大谷のコメント(その1)
ここに書かれていることは、すでに、他の人も実施しているであろう。本文でも柴田さんが書いているとおり「当たり前」の方針ともいえる。でも、コーディネーターたちが「気力を無くした人」に対して行うことは、実際には難しい。本文には「忍耐強く」と書かれているが、もう、待ちきれないとばかりに、イライラして焦ることも多かったであろう。他の施設などでは、家族や周囲の人などから「もっと関ってほしい」と、スタッフは手抜きをしているといわんばかりの声も出た場合もあったという。
これまでのいわゆる「医療や福祉」の場面では、あるいは教育の場面でもパターナリズム(私は「おせっかい」な介入と称している)が多く見られた。利用者も、お任せしますという。最近になって、自分で選らび、自立して決定することが強調されるように変わってきた。
でも、何度も言うようだが、実際に対応するには、スタッフ側に困難が多い。まぁ、おおらかな気持ちで、ゆとりをもって仕事をすれば良いのだろう。それが出来にくくなっている経済的状況がある。もっぱら、スタッフたちの個人的な資質や忍耐力に委ねられているともいえる。
■ はずみがつくと、自分で動き出す――大谷のコメント(その2)
柴田さんの文章の後半は、よく納得できる。ある特別養護老人ホームでオムツを装着していた要介護高齢者がオムツを外した。明るい笑顔が戻ってきた。活発な行動も行うようになったという。そのホームの施設長は「やはりオムツは拘束・抑制だったのですね」と、しみじみと発言していた。
自発的な行為ができるようになると、次々と生活場面は広がる。きっかけは、どんなことでもかまわないようだ。電動車イスを使っている人が、行動範囲が広がったよと、話してくれたことがある。手動車イスだと、踏み切りの途中で電車が接近してしまうことが何度もあったという。この危険性に怯えていたその人は、踏み切りを渡ったところにある商店街に買物に行かなくなった。電動車イスに変えたら「電動だと自分の好きなものを選んで買うことができるんですよね」と、踏み切りをどんどん渡っていく。その後、踏みきりを高い壁や深い溝と意識することもなくなり、ますます遠出を楽しむようになった。
やはり施設に入っていた認知症の女性が、落ち込んでいたという。介護の職員は、その高齢者が現役時代に着物の着付けを仕事としていたことを聞きつけた。女性の介護職員が結婚式に出席するために、その認知症の女性に着付けを教えてもらった。皆が盛り上がって楽しい催しになったという(小宮英美著『痴呆症高齢者ケア』中公新書、1999。なお、小宮さんはNHKのテレビ番組でもこの話題を取り上げていたと思う)。
私も障害者ケアマネジメントの話をするときに、ちょっとしたきっかけを見つけて、その人の意欲や力などを引き出すことが大切だといってきた。この柴田さんの記事が、そうした話を思い出させてくれた。しかも、現場の経験に基づいて。
■ コーディネーターたちの仕事振りが良かった――大谷のコメント(その3)
この文章を転載しようと思ったきっかけは、柴田さんの文章の最後のほうにある。支援というと手を貸すことと思う場合が一般には多いが、むしろ力を引き出すことだという部分だ。こうした発見ができるスタッフたちが活動している事例を見ると楽しみになる。
はじめから分かっていたことを実際にやることは大切だ。でも、要介護高齢者や障害者たちとの付き合いのなかから、自分たちで発見し、気づくことも重要だ。
結果はもちろん大切だ。障害者本人がなにより生活の幅が拡大したことや豊かになったことを感じているだろう。と同時に、過程を振り返ってみる余裕も、スタッフたちも本人たちにも、大きな力になると思う。スタッフたちはこの場合には、こういうプロセスで対応してきた。でも、ひょっとすると別な人には、違う対応が必要だろうかとも考えてみる力だ。あるいは、本人にとっては、今後もし行き詰まった場合に、このときの過程を振り返ることによって、いろいろな知恵を発揮して再開できる。
多分、スタッフたちの仕事をする力も対応力も、急速に獲得していくだろう。もちろん、障害者本人の生活はもっと大きくなるはずだ。文章から、そういう期待が確実にもてると思った。
■ 手探りでの支援
私たち(柴田さんたち「ながた障害者地域生活支援センター」のスタッフたち・大谷注)が彼と出会った時、彼は気力を無くしていたのか、ほとんど寝たきりですごしていました。周囲に頼ってばかりの彼に担当コーディネーターは「どのように対応していったらいいのか」と悩みながら、手探りで支援をしていきました。
支援センターの中でも何度も話し合いを持ち、本人が出来るところは本人にしてもらう。ちょっとしたことでも出来たら認め、それを本人に伝える。コーディネーター皆が本人に対し同じ対応をする。という事で支援していくことになりました。
当たり前の支援方針ではありますが、人に頼ることに慣れきってしまった人に、「自分でやってもらう」というのは大変なことで、時にはコーディネーターの方が弱気になることもありましたが、コーディネーターは忍耐強く、本人に対応していました。
■ 自分から生活の工夫を始めたとの報告
そんなある日、彼から担当に電話がありました。おむつ一本槍だったのに、今日は自分からポータブルトイレを使ったというのです。その報告を聞いたコーディネーター一同は「すごいねー」「やったねー」と歓声をあげました。
それからの彼は外にも頻繁に出かけるようになり、「お風呂のある処に引っ越し、したい」と自分で引越し先を探すまでになりました。
支援、というと何か手を貸すことのように思いがちですが、「本人の持っている力を引き出すこと」。それも支援の大きな柱であるという事を改めて感じた出来事でした。以上が、柴田愛さんの記事の全文である。
■ 分かっていても、実際には難しいこと――大谷のコメント(その1)
ここに書かれていることは、すでに、他の人も実施しているであろう。本文でも柴田さんが書いているとおり「当たり前」の方針ともいえる。でも、コーディネーターたちが「気力を無くした人」に対して行うことは、実際には難しい。本文には「忍耐強く」と書かれているが、もう、待ちきれないとばかりに、イライラして焦ることも多かったであろう。他の施設などでは、家族や周囲の人などから「もっと関ってほしい」と、スタッフは手抜きをしているといわんばかりの声も出た場合もあったという。
これまでのいわゆる「医療や福祉」の場面では、あるいは教育の場面でもパターナリズム(私は「おせっかい」な介入と称している)が多く見られた。利用者も、お任せしますという。最近になって、自分で選らび、自立して決定することが強調されるように変わってきた。
でも、何度も言うようだが、実際に対応するには、スタッフ側に困難が多い。まぁ、おおらかな気持ちで、ゆとりをもって仕事をすれば良いのだろう。それが出来にくくなっている経済的状況がある。もっぱら、スタッフたちの個人的な資質や忍耐力に委ねられているともいえる。
■ はずみがつくと、自分で動き出す――大谷のコメント(その2)
柴田さんの文章の後半は、よく納得できる。ある特別養護老人ホームでオムツを装着していた要介護高齢者がオムツを外した。明るい笑顔が戻ってきた。活発な行動も行うようになったという。そのホームの施設長は「やはりオムツは拘束・抑制だったのですね」と、しみじみと発言していた。
自発的な行為ができるようになると、次々と生活場面は広がる。きっかけは、どんなことでもかまわないようだ。電動車イスを使っている人が、行動範囲が広がったよと、話してくれたことがある。手動車イスだと、踏み切りの途中で電車が接近してしまうことが何度もあったという。この危険性に怯えていたその人は、踏み切りを渡ったところにある商店街に買物に行かなくなった。電動車イスに変えたら「電動だと自分の好きなものを選んで買うことができるんですよね」と、踏み切りをどんどん渡っていく。その後、踏みきりを高い壁や深い溝と意識することもなくなり、ますます遠出を楽しむようになった。
やはり施設に入っていた認知症の女性が、落ち込んでいたという。介護の職員は、その高齢者が現役時代に着物の着付けを仕事としていたことを聞きつけた。女性の介護職員が結婚式に出席するために、その認知症の女性に着付けを教えてもらった。皆が盛り上がって楽しい催しになったという(小宮英美著『痴呆症高齢者ケア』中公新書、1999。なお、小宮さんはNHKのテレビ番組でもこの話題を取り上げていたと思う)。
私も障害者ケアマネジメントの話をするときに、ちょっとしたきっかけを見つけて、その人の意欲や力などを引き出すことが大切だといってきた。この柴田さんの記事が、そうした話を思い出させてくれた。しかも、現場の経験に基づいて。
■ コーディネーターたちの仕事振りが良かった――大谷のコメント(その3)
この文章を転載しようと思ったきっかけは、柴田さんの文章の最後のほうにある。支援というと手を貸すことと思う場合が一般には多いが、むしろ力を引き出すことだという部分だ。こうした発見ができるスタッフたちが活動している事例を見ると楽しみになる。
はじめから分かっていたことを実際にやることは大切だ。でも、要介護高齢者や障害者たちとの付き合いのなかから、自分たちで発見し、気づくことも重要だ。
結果はもちろん大切だ。障害者本人がなにより生活の幅が拡大したことや豊かになったことを感じているだろう。と同時に、過程を振り返ってみる余裕も、スタッフたちも本人たちにも、大きな力になると思う。スタッフたちはこの場合には、こういうプロセスで対応してきた。でも、ひょっとすると別な人には、違う対応が必要だろうかとも考えてみる力だ。あるいは、本人にとっては、今後もし行き詰まった場合に、このときの過程を振り返ることによって、いろいろな知恵を発揮して再開できる。
多分、スタッフたちの仕事をする力も対応力も、急速に獲得していくだろう。もちろん、障害者本人の生活はもっと大きくなるはずだ。文章から、そういう期待が確実にもてると思った。