2月7日、神奈川県相模原市の障害者団体「障害者の生活を創る会」(以下「創る会」)代表池田まり子さんたちが、相模原市健康福祉局福祉部宮崎部長に、「1月16日 相模原市上鶴間の息子2人殺害事件に関する意見書」を手渡した。福祉部宮崎部長は、
「この意見書を重くとらえ、今後の福祉行政に活かしたい」
と述べた。
「創る会」は、母親が障害を持つ息子を殺すという事件に、大変なショックを受け、多くの障害者団体のメーリングリストや直接手渡すなどして賛同を呼びかけた。その結果、72団体に、個人2名の賛同を得られた。
2度とこのような、悲しい事件を起こさないようにと、多くの市民の人たちが目に触れる市役所のロビー中央で、意見書の受け渡しが行われた。
「創る会」の調べや、新聞各紙の報道から事件の概要が見えてくる。
毎日のように福祉機関を駆け回った吉本容疑者のSOSは届かなかった
2008年1月16日に事件は起きた。神奈川県相模原市上鶴間に住む吉本健一さん(29歳)と隆幸さん(24歳)の兄弟が、母親の吉本やす子容疑者(57歳)によって殺害されるという悲劇だった。
家は、1階に吉本やす子容疑者と、長男の健一さん、重い知的障害を持つ次男の隆幸さんの3人が暮らしていた。そして、2階では難病で車椅子生活の吉本やす子容疑者の夫(58歳)、夫の母(80歳)、吉本やす子容疑者の妹(52歳)が生活していたが、交流は薄かったそうだ。
吉本容疑者は、3年前に東京都内の保育所を退職後、貯金を切り崩しながら生活を切り盛りしていた。ここまでの状況を聞いても、かなり福祉的支援が必要であることが伺える。
この一家に「異変」が起きたのは2007年12月のはじめだった。
10年以上引きこもりで、普段無口な長男が、冗舌になり「俺は悪魔に魂を売った。25日に暴れてやる」などと意味不明な言葉を言いはじめた。
吉本容疑者は、相模原市の保健所「保健予防課」へ初めて電話をし、その日のうちに保健予防課を訪れ相談していた。
長男の変貌の様子を説明し、医師からも「入院が必要」だと言われていると話したという。保健予防課の担当者は、「入院を含めた受診が必要」と2つの病院を紹介した。吉本容疑者は、安堵の色を見せていたらしい。このとき保健予防課も、吉本容疑者の複雑な家庭事情を理解した。
その後、吉本容疑者は、長男を入院させるための準備を進め、入院中のことを考えて、重い知的障害を持つ次男を施設に入所させたいと思い、相模原市南保健福祉センターを訪れている。相談に乗った担当者は、
「入所希望を出して、空きが出れば入所できるが、それまで短期の入所施設を利用してはどうか、施設に連絡する」
と応対したという。吉本容疑者は、
「入所まで、今まで利用していた地域作業所や緊急一時保護事業を利用したい。入所施設を29日に見学に行きたい」
と答えて帰宅している。
その翌日、吉本容疑者は保健予防課で紹介された病院を訪ねた。しかし、
「年が明けたら受診と入院について考えましょう。家族を集めて、病院に本人を連れて来てください」
と言われる。が、吉本容疑者は、もっと早く入院させてもらえないかと頼んだそうだ。
その翌日の12月19日夕方に、吉本容疑者は保健所に「早く入院させたい」と訴え、違う病院を紹介され、その日のうちに、その病院を訪れ相談している。
更に12月21日には、吉本容疑者自身が、不眠などから体調を壊し、精神科にかかると保健所に、電話連絡をしている。
担当者も長男を入院させるには、母親の体調を整えなければと受診を勧めた。保健所から、病院に連絡をするということで吉本容疑者は了解をしたが、その足で、自宅近くの相模原南署東林間交番にも相談をしている。
「12月25日にも暴れる」と言う長男のことを気にしている様子だったらしい。交番では「措置入院もあるので、市に相談してみては……」と吉本容疑者に答えたが、「市とは相談している」と聞き、「もし暴れたら、110番してください」というような会話を15分くらいして、吉本容疑者は帰ったという。
12月25日になって、保健所から吉本容疑者のところに、長男の入院の件で電話があったが、吉本容疑者は精神的にかなり疲労していたらしく、
「病院に長男の様子をうまく伝えられないので、保健所の方から伝えてほしい。交番にも相談している」
と伝えた。そのときは、長男を入院させる気持ちは強くあったようだ。
12月26日には吉本容疑者本人が、精神科に受診してきたと保健所の担当者に電話をしている。そのとき吉本容疑者は、
「長男の入院は必要なのは分かっているが、私1人では決められない」と言ったという。家族会議など、もてるような状態ではなかったのではないかと推測されるのだが、「家族と相談」という言葉を使っている。
年末の12月29日。吉本容疑者は、南保険福祉センターから紹介された次男の入所のための施設「津久井やまゆり園」を見学、年が明けた1月7日に、再び、次男を入所させるための「津久井やまゆり園」を見学している。
1月8日、保健所から、吉本容疑者へ電話を入れている。吉本容疑者は「家庭内でちゃんと話し合いがされていないので、改めて相談をします」と告げ、自分もまた10日に受診の予定だと言った。電話口の担当者は「独りで抱え込まずに、家族や親族に相談してください。いつでも連絡ください」と言って電話を切ったという。
次男の隆幸さんが通っている地域作業所の送り迎えは、吉本容疑者が行っていたが、隆幸さんの体調が悪いと言うことで、作業所を続けて休むようになっていた。
1月16日の朝、吉本容疑者は作業所に「今日も休ませます」という電話をしている。
その後、包丁で長男の首を刺し、就寝中の次男を、ネクタイで首を締めた。
逮捕後、吉本容疑者は、
「長男は意味不明なことばかり話し、いつ人様に危害を加えるか(わからない)と思い殺害した。次男については、長男を殺害したことで、自分が逮捕されたら独りになってしまうと不憫(ふびん)に思い殺害した」
と供述している。
直ぐに動けない福祉行政 不安隠せない障害者
吉本容疑者が、福祉機関を駆け回り、助けを求めているにもかかわらず、福祉機関関係者は誰1人吉本家を訪れていない。
相模原市健康福祉局福祉部宮崎部長は、
「ご本人(吉本容疑者)からの意向がなかったので、訪問や介入は難しかった。精神障害者の場合、本人が自覚していなければ、無理に訪問や介入は出来ないことになっている。連絡なども携帯電話でするよう考慮をした。結果的には、こういう事になってしまったが…」と言っていた。
「創る会」の意見書の1部を紹介したい。
「社会の根底にある『障害者は社会のお荷物』という意識は、あまり変化していないのではないでしょうか。
『共に生きる』とは、『障害者の理解』から始まるのです。障害者が今の社会の流れ(障害のない人のペース)に、合わせることを目標にするのではなく、障害のあるそのままを認め、その人らしく生きていける社会が望ましく、それは障害のない人にとっても『生きやすい社会』につながるのです。
障害を持って生まれたこと(又は、中途で障害をもつこと)は、親のせいでも本人のせいでもありません。そして『生まれたこと(障害をもつこと)が、不幸』ではなく、『人格、人権』を尊重されず『あたりまえに生きられないこと』が『不幸』なのです」
「この意見書を重くとらえ、今後の福祉行政に活かしたい」
と述べた。
「創る会」は、母親が障害を持つ息子を殺すという事件に、大変なショックを受け、多くの障害者団体のメーリングリストや直接手渡すなどして賛同を呼びかけた。その結果、72団体に、個人2名の賛同を得られた。
2度とこのような、悲しい事件を起こさないようにと、多くの市民の人たちが目に触れる市役所のロビー中央で、意見書の受け渡しが行われた。
「創る会」の調べや、新聞各紙の報道から事件の概要が見えてくる。
毎日のように福祉機関を駆け回った吉本容疑者のSOSは届かなかった
2008年1月16日に事件は起きた。神奈川県相模原市上鶴間に住む吉本健一さん(29歳)と隆幸さん(24歳)の兄弟が、母親の吉本やす子容疑者(57歳)によって殺害されるという悲劇だった。
家は、1階に吉本やす子容疑者と、長男の健一さん、重い知的障害を持つ次男の隆幸さんの3人が暮らしていた。そして、2階では難病で車椅子生活の吉本やす子容疑者の夫(58歳)、夫の母(80歳)、吉本やす子容疑者の妹(52歳)が生活していたが、交流は薄かったそうだ。
吉本容疑者は、3年前に東京都内の保育所を退職後、貯金を切り崩しながら生活を切り盛りしていた。ここまでの状況を聞いても、かなり福祉的支援が必要であることが伺える。
この一家に「異変」が起きたのは2007年12月のはじめだった。
10年以上引きこもりで、普段無口な長男が、冗舌になり「俺は悪魔に魂を売った。25日に暴れてやる」などと意味不明な言葉を言いはじめた。
吉本容疑者は、相模原市の保健所「保健予防課」へ初めて電話をし、その日のうちに保健予防課を訪れ相談していた。
長男の変貌の様子を説明し、医師からも「入院が必要」だと言われていると話したという。保健予防課の担当者は、「入院を含めた受診が必要」と2つの病院を紹介した。吉本容疑者は、安堵の色を見せていたらしい。このとき保健予防課も、吉本容疑者の複雑な家庭事情を理解した。
その後、吉本容疑者は、長男を入院させるための準備を進め、入院中のことを考えて、重い知的障害を持つ次男を施設に入所させたいと思い、相模原市南保健福祉センターを訪れている。相談に乗った担当者は、
「入所希望を出して、空きが出れば入所できるが、それまで短期の入所施設を利用してはどうか、施設に連絡する」
と応対したという。吉本容疑者は、
「入所まで、今まで利用していた地域作業所や緊急一時保護事業を利用したい。入所施設を29日に見学に行きたい」
と答えて帰宅している。
その翌日、吉本容疑者は保健予防課で紹介された病院を訪ねた。しかし、
「年が明けたら受診と入院について考えましょう。家族を集めて、病院に本人を連れて来てください」
と言われる。が、吉本容疑者は、もっと早く入院させてもらえないかと頼んだそうだ。
その翌日の12月19日夕方に、吉本容疑者は保健所に「早く入院させたい」と訴え、違う病院を紹介され、その日のうちに、その病院を訪れ相談している。
更に12月21日には、吉本容疑者自身が、不眠などから体調を壊し、精神科にかかると保健所に、電話連絡をしている。
担当者も長男を入院させるには、母親の体調を整えなければと受診を勧めた。保健所から、病院に連絡をするということで吉本容疑者は了解をしたが、その足で、自宅近くの相模原南署東林間交番にも相談をしている。
「12月25日にも暴れる」と言う長男のことを気にしている様子だったらしい。交番では「措置入院もあるので、市に相談してみては……」と吉本容疑者に答えたが、「市とは相談している」と聞き、「もし暴れたら、110番してください」というような会話を15分くらいして、吉本容疑者は帰ったという。
12月25日になって、保健所から吉本容疑者のところに、長男の入院の件で電話があったが、吉本容疑者は精神的にかなり疲労していたらしく、
「病院に長男の様子をうまく伝えられないので、保健所の方から伝えてほしい。交番にも相談している」
と伝えた。そのときは、長男を入院させる気持ちは強くあったようだ。
12月26日には吉本容疑者本人が、精神科に受診してきたと保健所の担当者に電話をしている。そのとき吉本容疑者は、
「長男の入院は必要なのは分かっているが、私1人では決められない」と言ったという。家族会議など、もてるような状態ではなかったのではないかと推測されるのだが、「家族と相談」という言葉を使っている。
年末の12月29日。吉本容疑者は、南保険福祉センターから紹介された次男の入所のための施設「津久井やまゆり園」を見学、年が明けた1月7日に、再び、次男を入所させるための「津久井やまゆり園」を見学している。
1月8日、保健所から、吉本容疑者へ電話を入れている。吉本容疑者は「家庭内でちゃんと話し合いがされていないので、改めて相談をします」と告げ、自分もまた10日に受診の予定だと言った。電話口の担当者は「独りで抱え込まずに、家族や親族に相談してください。いつでも連絡ください」と言って電話を切ったという。
次男の隆幸さんが通っている地域作業所の送り迎えは、吉本容疑者が行っていたが、隆幸さんの体調が悪いと言うことで、作業所を続けて休むようになっていた。
1月16日の朝、吉本容疑者は作業所に「今日も休ませます」という電話をしている。
その後、包丁で長男の首を刺し、就寝中の次男を、ネクタイで首を締めた。
逮捕後、吉本容疑者は、
「長男は意味不明なことばかり話し、いつ人様に危害を加えるか(わからない)と思い殺害した。次男については、長男を殺害したことで、自分が逮捕されたら独りになってしまうと不憫(ふびん)に思い殺害した」
と供述している。
直ぐに動けない福祉行政 不安隠せない障害者
吉本容疑者が、福祉機関を駆け回り、助けを求めているにもかかわらず、福祉機関関係者は誰1人吉本家を訪れていない。
相模原市健康福祉局福祉部宮崎部長は、
「ご本人(吉本容疑者)からの意向がなかったので、訪問や介入は難しかった。精神障害者の場合、本人が自覚していなければ、無理に訪問や介入は出来ないことになっている。連絡なども携帯電話でするよう考慮をした。結果的には、こういう事になってしまったが…」と言っていた。
「創る会」の意見書の1部を紹介したい。
「社会の根底にある『障害者は社会のお荷物』という意識は、あまり変化していないのではないでしょうか。
『共に生きる』とは、『障害者の理解』から始まるのです。障害者が今の社会の流れ(障害のない人のペース)に、合わせることを目標にするのではなく、障害のあるそのままを認め、その人らしく生きていける社会が望ましく、それは障害のない人にとっても『生きやすい社会』につながるのです。
障害を持って生まれたこと(又は、中途で障害をもつこと)は、親のせいでも本人のせいでもありません。そして『生まれたこと(障害をもつこと)が、不幸』ではなく、『人格、人権』を尊重されず『あたりまえに生きられないこと』が『不幸』なのです」