◇職場の無理解、支援不足…退社・降格多く、収入も激減
「実家に帰って家業でも手伝っていればいいのに」
05年7月、進行の早いスキルス胃がんで入院、手術した鈴木富幸さん(40)=東京都小平市=は、職場復帰直後、上司が聞こえよがしに言った一言が忘れられない。
当時、都内の製版会社で課長を務めていた鈴木さんは、手術で胃と脾臓(ひぞう)を全摘出。10月に復職したが、3週間に1度の抗がん剤治療や、胃の摘出に伴うめまいや倦怠(けんたい)感などの後遺症で、午後出社や遅刻が続いていた。君はもう戦力でない--。上司の言葉にそんなニュアンスを感じた。
翌年1月。上司は業績悪化と鈴木さんの体調を理由に「平社員」への降格人事を打診し、同時に「降格前の課長職で辞めれば、傷病手当の支給額も多い」と露骨に退社を促した。
社員約40人の中小企業。広告不況を背景に経営は悪化していた。「リスクを抱えたがん患者は、会社のお荷物なのか」。上司への反発もあり、2月の降格を前に退職した。
求職活動で訪れたハローワーク。希望は正社員採用だったが、担当者はがんの既往症と年齢を理由に派遣契約を勧めた。その後、知人の紹介でデザイン会社の営業職に就いた鈴木さんは「治療で病が治っても経済的保障がないと生きていけない。がんに限らず、病気を理由に働く機会が奪われるのはおかしい」と訴える。
*
会社を辞めずに済んでも働き方の見直しを迫られ、収入が減るケースも多い。
建材メーカーの主査だった八田幸一さん(44)=大阪府岸和田市=は02年8月、急性リンパ性白血病を発病。翌年に骨髄移植手術を受け、夏に退院した。
会社側と話し合った結果、いったん退職し、05年10月からパート社員に「降格」して働き始めた。「できれば正社員のまま働きたかった」が、筋肉の衰えや骨密度の低下など抗がん剤の副作用が強く断念した。
雇用契約は1年更新。平日の週3日、午後に出社し、約4時間半、パソコンのデータ集計などを行う。労働条件は正社員と同じだが、ボーナスや退職金はない。手取り400万円だった年収は約75万円に激減した。
自宅に母(71)と2人暮らし。医療費の自己負担は月約3万円。「貯金や退職金などを少しずつ切り崩して補っているが、このままの年収では生活していけない」。八田さんは月5万円の障害年金の給付を申請中だ。
*
「一番大切なものを手放してしまいました」。桜井なおみさん(42)=東京都豊島区=は、設計会社を退職した3年前を振り返る。
「緑にかかわる仕事がしたい」。いったん入学した大学の薬学部を中退し、翌春、他大学の園芸学部に入り直した。90年春、希望通り、公園施設などの設計を通じて街の緑をデザインする会社に就職した。
繁忙期は明け方まで仕事し、寝袋で仮眠をとり何日も泊まり込んだ。主任にも昇進。激務だが、充実感に包まれていた。そんな時、定期健診で右胸に乳がんのしこりが見つかった。
04年7月に手術後、休職。翌年4月に復職したが、月1~2回は治療や検査で休まざるを得なかった。ホルモン療法や手術の影響で、ほてりやうつなどの更年期障害に悩まされたほか、仕事に欠かせないパソコンのマウスが握れなくなっていた。「もう以前のようには働けない」。自ら退職を申し出た。
会社員の夫(48)との2人暮らし。治療費は自分が払うと決めていた。3カ月間、パートで働いた。時給950円。多い時は月約7万円かかる治療費などを払えば、手元にわずかしか残らなかった。
ハローワークで社団法人日本植木協会の正職員の求人を見つけ、「園芸の知識が生かせる」と応募した。採用枠1に対し100人近くが応募し、最終面接に6人残った。女性は1人だけ。「がんを理由に不採用になるかも」。迷ったが「乳がん」は伏せた。
採用が決まり、出勤初日、初めて上司に打ち明けた。「君はたまたまがんになったが、病気はお互い様。自分のペースで仕事をこなして」。雇用契約の破棄も覚悟したが「キャリアだけを評価して採用してくれた」。肩の力がふっと抜けた。
桜井さんは「がん患者は体力レベルが少し下がっただけで、キャリアを積み、高い職能をもつ人たちを活用しないのはもったいない。就労人口が減る中、がん患者をはじめ病を抱える人たちを、社会がどう受け入れるか真剣に考える時期にきている」と指摘する。
現在の年収は設計会社の約3分の2に減ったが、再び社会とつながれたと実感できる。一度は手放した「大切なもの」の重みをかみしめている。
*
日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ時代。働き盛りの世代にとってがんは人ごとでないが、職場の無理解や支援不足などから、転職や離職に追い込まれるケースも多い。治療を受けながら、がんと仕事の両立を模索する人たちを3回にわたって紹介する。
◇「仕事続けたい」75%--うち31%離職
東京大医療政策人材養成講座が昨年3月に行った調査によると、がん患者の4人に3人が「現在の仕事を続けたい」と希望しているのに対し、実際はこのうち3人に1人が転職していた。治療中や治療経験のあるがん患者403人(男性40人、女性363人)に尋ねた。
がんと診断された時点で「これまでの仕事を続けたい」が75・9%だったが、このうち31%が診断後に仕事が変わった。内訳は解雇14人▽依願退職23人▽廃業8人--など。
収入が「下がった」は38・7%だった。調査時点で働いていた280人のうち、「仕事継続に不安」は61・1%。不安なく続けるため「同僚や上司の理解が必要」と答えた人は68・6%に上った。
調査に加わったNPO法人キャンサーネットジャパンの柳沢昭浩事務局長は「(調査後の不況到来で)がん患者の就労をめぐる現状はさらに厳しさを増している可能性が高い。育児や障害者、メンタルヘルスなどに比べ、がん患者への職場のサポートは遅れており、安心して働き続ける環境づくりが急務だ」と話している。
「実家に帰って家業でも手伝っていればいいのに」
05年7月、進行の早いスキルス胃がんで入院、手術した鈴木富幸さん(40)=東京都小平市=は、職場復帰直後、上司が聞こえよがしに言った一言が忘れられない。
当時、都内の製版会社で課長を務めていた鈴木さんは、手術で胃と脾臓(ひぞう)を全摘出。10月に復職したが、3週間に1度の抗がん剤治療や、胃の摘出に伴うめまいや倦怠(けんたい)感などの後遺症で、午後出社や遅刻が続いていた。君はもう戦力でない--。上司の言葉にそんなニュアンスを感じた。
翌年1月。上司は業績悪化と鈴木さんの体調を理由に「平社員」への降格人事を打診し、同時に「降格前の課長職で辞めれば、傷病手当の支給額も多い」と露骨に退社を促した。
社員約40人の中小企業。広告不況を背景に経営は悪化していた。「リスクを抱えたがん患者は、会社のお荷物なのか」。上司への反発もあり、2月の降格を前に退職した。
求職活動で訪れたハローワーク。希望は正社員採用だったが、担当者はがんの既往症と年齢を理由に派遣契約を勧めた。その後、知人の紹介でデザイン会社の営業職に就いた鈴木さんは「治療で病が治っても経済的保障がないと生きていけない。がんに限らず、病気を理由に働く機会が奪われるのはおかしい」と訴える。
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会社を辞めずに済んでも働き方の見直しを迫られ、収入が減るケースも多い。
建材メーカーの主査だった八田幸一さん(44)=大阪府岸和田市=は02年8月、急性リンパ性白血病を発病。翌年に骨髄移植手術を受け、夏に退院した。
会社側と話し合った結果、いったん退職し、05年10月からパート社員に「降格」して働き始めた。「できれば正社員のまま働きたかった」が、筋肉の衰えや骨密度の低下など抗がん剤の副作用が強く断念した。
雇用契約は1年更新。平日の週3日、午後に出社し、約4時間半、パソコンのデータ集計などを行う。労働条件は正社員と同じだが、ボーナスや退職金はない。手取り400万円だった年収は約75万円に激減した。
自宅に母(71)と2人暮らし。医療費の自己負担は月約3万円。「貯金や退職金などを少しずつ切り崩して補っているが、このままの年収では生活していけない」。八田さんは月5万円の障害年金の給付を申請中だ。
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「一番大切なものを手放してしまいました」。桜井なおみさん(42)=東京都豊島区=は、設計会社を退職した3年前を振り返る。
「緑にかかわる仕事がしたい」。いったん入学した大学の薬学部を中退し、翌春、他大学の園芸学部に入り直した。90年春、希望通り、公園施設などの設計を通じて街の緑をデザインする会社に就職した。
繁忙期は明け方まで仕事し、寝袋で仮眠をとり何日も泊まり込んだ。主任にも昇進。激務だが、充実感に包まれていた。そんな時、定期健診で右胸に乳がんのしこりが見つかった。
04年7月に手術後、休職。翌年4月に復職したが、月1~2回は治療や検査で休まざるを得なかった。ホルモン療法や手術の影響で、ほてりやうつなどの更年期障害に悩まされたほか、仕事に欠かせないパソコンのマウスが握れなくなっていた。「もう以前のようには働けない」。自ら退職を申し出た。
会社員の夫(48)との2人暮らし。治療費は自分が払うと決めていた。3カ月間、パートで働いた。時給950円。多い時は月約7万円かかる治療費などを払えば、手元にわずかしか残らなかった。
ハローワークで社団法人日本植木協会の正職員の求人を見つけ、「園芸の知識が生かせる」と応募した。採用枠1に対し100人近くが応募し、最終面接に6人残った。女性は1人だけ。「がんを理由に不採用になるかも」。迷ったが「乳がん」は伏せた。
採用が決まり、出勤初日、初めて上司に打ち明けた。「君はたまたまがんになったが、病気はお互い様。自分のペースで仕事をこなして」。雇用契約の破棄も覚悟したが「キャリアだけを評価して採用してくれた」。肩の力がふっと抜けた。
桜井さんは「がん患者は体力レベルが少し下がっただけで、キャリアを積み、高い職能をもつ人たちを活用しないのはもったいない。就労人口が減る中、がん患者をはじめ病を抱える人たちを、社会がどう受け入れるか真剣に考える時期にきている」と指摘する。
現在の年収は設計会社の約3分の2に減ったが、再び社会とつながれたと実感できる。一度は手放した「大切なもの」の重みをかみしめている。
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日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ時代。働き盛りの世代にとってがんは人ごとでないが、職場の無理解や支援不足などから、転職や離職に追い込まれるケースも多い。治療を受けながら、がんと仕事の両立を模索する人たちを3回にわたって紹介する。
◇「仕事続けたい」75%--うち31%離職
東京大医療政策人材養成講座が昨年3月に行った調査によると、がん患者の4人に3人が「現在の仕事を続けたい」と希望しているのに対し、実際はこのうち3人に1人が転職していた。治療中や治療経験のあるがん患者403人(男性40人、女性363人)に尋ねた。
がんと診断された時点で「これまでの仕事を続けたい」が75・9%だったが、このうち31%が診断後に仕事が変わった。内訳は解雇14人▽依願退職23人▽廃業8人--など。
収入が「下がった」は38・7%だった。調査時点で働いていた280人のうち、「仕事継続に不安」は61・1%。不安なく続けるため「同僚や上司の理解が必要」と答えた人は68・6%に上った。
調査に加わったNPO法人キャンサーネットジャパンの柳沢昭浩事務局長は「(調査後の不況到来で)がん患者の就労をめぐる現状はさらに厳しさを増している可能性が高い。育児や障害者、メンタルヘルスなどに比べ、がん患者への職場のサポートは遅れており、安心して働き続ける環境づくりが急務だ」と話している。