ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者自立支援法訴訟 さいたま地裁第1回口頭弁論  意見陳述

2009年04月27日 00時38分00秒 | 障害者の自立
37年前の春分の日、育代は「すっとんきょうな泣き声ね」と、助産師さんから生まれて初めての言葉をかけられました。
オギャ-、オギャ-と続けて泣くことができませんでした。
看護師さんからは「つねっても泣かないんですよ」といわれ、頬が赤くなるまでつねられても、泣き声ひとつあげませんでした。
あの時の育代の頬の色は今も私の瞳の奥に残っています。

哺乳力も弱く、呼吸も上手にできず、いまにも命が尽きてしまうかと思い、
夫と私は「育って欲しい」と願いを込めて「育代」と名前をつけました。

育代は,生後4ヶ月を過ぎても、首も座らず、目、耳の反応もありませんでした。
5ヶ月の時「脳性小児麻痺」と診断されました。

泣いて伝えることもできない育代の将来をどう考えたら良いのか、思い悩みながら、
私は上手にミルクの飲めない育代を、一日中抱いて、昼も夜もなくミルクを飲ませていたように思います。

3歳の夏「発達すると信じること。集団の場に入れること。そうすれば生活リズムができ、健康につながり、必ず発達につながる」
と示唆してくださる方に出会うことができました。
私は、市立の通園施設に「通わせて欲しい」とお願いにいき、断られても、断られても、足を運び、
ようやく入園が許可され、親子で通園しました。

通園当初、育代はミルクだけの食事でしたが、
私は,小さなまな板や、すり鉢を持っていき、給食に出されたものを刻んだり、つぶしたりして食べさせました。
すると、育代は,徐々に、徐々に食べられるようになり、
卒園するころには、咀嚼はできないものの、何でも食べられるようになりました。
毎月40度の熱を出していたものが、ぐっと少なくなりました。

そんな育代の確かな発達をみて、私自身も、育代の顔をのぞき込んでは涙を流していたものが、
顔を見ては笑える親になっていました。

                                    *

その後、養護学校、通所施設を経て、30歳の時「障害者支援施設大地」が暮らしの場となりました。
ここで育代は「かけがえのない命を大切にし、その命を輝かそう」と支援を惜しまない職員集団に恵まれ、日々の暮らしを築いています。

現在の育代の状況を申しあげますと、食事はミキサー食。
液体を飲むことが難しいため、寒天やゼラチンで麦茶や紅茶などを固めての水分補給。
排泄はオムツを使用しており、二日おきに浣腸。
入浴は抱きかかえてと、すべてに介助なしには生きていくことができません。

そういう状況にあっても、この37年間、教育、福祉の専門家集団に恵まれ、育代の命は本当に、豊かに育ててもらってきたと思います。

この写真を見てください。育代のベストショットです。
育代の健康を守りながら、育代らしく育って欲しいと、願いを持って取組みを進める職員の方たちが、
育代の手にじょうろを持たせてくれました。

育代の周りに築かれてきた豊かな人間関係、
信頼関係は育代にとってかけがえのない財産となっています。
育代はきっと生まれてきて良かったと思っているに違いありません。

                                     *

そう思えてきたところに、障害者自立支援法が立ちはだかりました。

区分認定調査を受けるなかで、調査が進むに従い、生きていることが否定されるように思え、どうしようもなく涙が零れました。

育代のできること、そして願いや希望を積み上げてきた、これまでの育代の歩みに対して、
この法律は、できないことを積み上げ、生きる希望を絶ってしまうものに思えました。

施設報酬の日払いについてもそうです。
昨年9月、育代は、これまで経験したことのない病状で入院を余儀なくされました。
人工呼吸器を付けるかどうか、気管切開は等 決断しなければならない厳しい状況でした。
日常、親身になって支援してくれている施設と職員に相談に乗って貰いたい、病院との連携を図って貰いたいと願うところですが、
日払いということは、それを望んではいけないことです。

人は生きている限り、病気にもなり、けがもします。
その間、施設が待っていてくれなければ,育代はどこに戻るのでしょうか。
施設の報酬の日払いは人間に対する対応でしょうか。
強い憤りを感じます。

さらに、親の私たちも年金生活となった今、障害者自立支援法になってからの経済的な負担は厳しく、
その上、夫は二つもの癌を患い、闘病中です。
今後の暮らしがどうなっていくのか、とても心配になります。

そして、誇りを持って福祉現場で働いてきた方たちが、劣悪な労働環境の中で体を壊し、将来に不安を抱え、職場を去っています。
私の周りにも数多くいます。
福祉労働には専門性と、継続・蓄積していく体制が必要だと思います。
障害者自立支援法はまったく反対の考えのようです。

                                     *

3年前、私は育代に代わって、障害者自立支援法が採決されようとする委員会を傍聴しました。
車椅子の方、白い杖を持った方、精神障害の方、知的障害の方たちが大勢駆けつけ、傍聴席に入りきれませんでした。
「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」と訴えましたが、耳を傾けることなく強行採決してしまいました。
あの光景は私の脳裏に鮮明に焼きついています。
傍聴席から、怒りの声とともに聞こえてきた泣き声が、今も耳について離れません。

社会的に弱い立場の人たちを目の前にしながら、
その人たちの願いを踏みにじることが国の最高機関で平然と行われたことを、
決して忘れてはならないと今日まで胸に深く抱えてきました。

知的障害が最重度の育代は、意志を表すことが困難なため、選挙の時、1票を投じることができません。
障害者自立支援法の影響をもろに受ける育代が1票を投じられないことを、どんなに悲しく、苦しく思ったか想像していただけるでしょうか。

障害を持つ人の権利を守ることは、周囲の者と、政治と行政に関わる人々の責任だと思います。

政治は、声をあげることが困難な育代たちの声に耳を澄まして聞いてくれませんでした。
行動することが困難な育代たちのことを,目を凝らして見てくれませんでした。

しかし、司法を司る裁判官は、きっと私たちの声に耳を傾けてくださるだろうと、大きな期待をもって裁判に臨みました。
どうか、障害を持つ人たち、そしてその家族が、安心して暮らしていけるよう、正しい判断をお願いいたします。

自立支援訴訟の原告となって

2009年04月27日 00時25分03秒 | 障害者の自立
私は、措置制度の時ヘルパーは殆ど利用したことがありませんでした。
それは、行政の窓口でヘルパーがなぜ必要なのかということを説明し、職員を納得させなければなりません。
それが面倒だったのです。
ですからヘルパーは利用せずに学生アルバイトをよく利用していました。
ところが、その措置制度を止め「支援費制度」が始まると聞いた時は驚きました。
それは支援費制度になると契約制度となり、逐一ヘルパーの必要性は述べなくても良いと聞いていたので、
これからはヘルパーを簡単に利用できると思ったのです。

ところが始まってみるとヘルプの時間枠が非常に少なく、あきれてものが言えません。
当初はガイドヘルプは10時間、家事援助は0時間です。
どうしてこんなに少ないのかと窓口に尋ねました。
するとその答えは、
「吉田さんは今まで殆どヘルパーの利用がありませんでしたから。ということは必要性がないのでは」
とのことです。
だから時間枠の給付が人より非常に少なかったのです。

それからは時間枠を増やしてもらうための闘いでした。
その結果、自立支援法スタートの直前には、移動支援で32時間、家事援助で22時間まで増やすことに成功しました。

支援費制度の時は「応能負担」のために料金の支払いは全くありません。
ところが自立支援法がスタートすると同時に「応益負担」のために支払いが発生しました。
月額多い時で、移動支援と家事援助合わせて1万円を超えました。私の所得ではそれは厳しいものです。

その頃に憲法の条文をもう1度読み返しました。
一番心に残ったのが14条(法の下では何人も平等)と25条(健康で文化的な最低限度の生活の権利を有する)でした。

見える人なら、何度でも文書を読み返すことができますが、
私は支援に関する行政からの文書の理解や各種契約書の確認などヘルパーに頼らなければなりません。
1度だけで理解ができなければ理解ができるまで読んでもらはなければなりません。
となると時間枠は減っていくし料金はかさみます。
また病院や役所へ行ったり、買物にもヘルパーに頼ると時間は減っていくし料金はかさみます。
目が不自由というだけで、あまりの不平等さに腹が立つより情ない気持ちです。

そんな矢先、昨年の7月に東京で裁判に踏み切るという新聞記事をネットで見ました。
それを見た途端、私も訴訟に踏み切ろうと思いました。
その新聞に弁護士の電話番号が書いてあったので、早速連絡を取ってその旨をお話しました。
その弁護士から神戸の弁護士を紹介され、早速その弁護士さんが我が家に来られて、私の話を真剣に聞いてくださいました。
非常にうれしかったことを覚えています。
この弁護士さんにお任せすれば間違いがないと確信を持ちました。
皆様の今後のご支援どうぞよろしくお願いいたします。
                                             (「点字民報」2009年1月号より)

点字:障害者理解へ 名刺1枚に無料で--NPO、県庁で毎水曜日 /島根

2009年04月27日 00時13分30秒 | 障害者の自立
 障害者の自立支援に取り組むNPO法人「プロジェクトゆうあい」が、点字への理解を広めようと、名刺1枚に無料で点字打ちするサービスを行っている。スタッフの尾島栄子さん(22)は「点字名刺を持つことで、バリアフリーの気持ちが相手に伝われば」と話している。

 サービスは毎週水曜正午~午後1時に県庁1階県民室で実施しているほか、県市町村振興センター(松江市殿町)内の事務所でも受け付ける。名刺を持参すると、スタッフが氏名、法人名、電話番号を打ち込んでくれる。

 点字打ちの受注もしており、価格は10枚300円、50枚1000円、100枚1500円。問い合わせは同法人(0852・32・8645)。

カラオケの点訳装置貸します

2009年04月27日 00時12分27秒 | 障害者の自立
 広島市は5月から、視覚障害者向けにカラオケの歌詞を点字に訳す装置のセットを無料で貸し出す。娯楽の充実やコミュニケーションづくりに役立ててもらう。26日に中区で開いた披露会では視覚障害者たちの元気な歌声が響いた。

 貸し出すのは専用の通信カラオケ機とパソコンと長さ約30センチの特殊なディスプレー1セット。カラオケ機につないだパソコンが歌詞を読み取り、ディスプレーの表面に点字の突起を浮かび上がらせる。普通のカラオケのように曲の進行より少し早く指に歌詞が伝わる。貸し出しは市視覚障害者福祉協会が窓口となる。

 この日、同協会が中区で開いた披露会には市内などの視覚障害者約80人が参加した。参加者は指先で点字を読み取りながら演歌などを熱唱した。カラオケ機には約10万曲が登録され、毎月新曲を更新する。市視覚障害者福祉協会=電話082(249)7177。


障害者ら法廷の闘い 『心のバリアーなくしたい』全国弁護士ネット

2009年04月27日 00時09分54秒 | 障害者の自立
 心身障害者らによる権利救済の裁判を考えるシンポジウム「障がいのある仲間が法廷を熱くした!」が二十五日、新宿区の区立産業会館(BIZ新宿)で開かれ、七十人が熱心に耳を傾けた。

 主催は障害と人権全国弁護士ネット。全四十四例の障害者への権利侵害と法廷闘争をまとめた同ネット編「ケーススタディ 障がいと人権」の出版記念行事で、代表の竹下義樹弁護士は「裁判を通じて障害者が自己実現に向けてどれだけ人生を前進させたかが大切」とあいさつした。

 シンポで四つの事例の当事者と担当弁護士が報告。重い脳性まひの鈴木敬治さんは、福祉制度の変更により、月百二十四時間だった移動介護保障を三十二時間に減らされ、行政訴訟を提起。昨年十月、新たに都と大田区を訴え、係争中だ。「街のバリアーだけでなく人の心のバリアーもなくしたい」と鈴木さん。藤岡毅弁護士は「全国で同じ目に遭っている人はたくさんいる。力をあわせて闘いたい」。

 日野市の都立七生(ななお)養護学校(現特別支援学校)での性教育を過激と非難した都議らが訴えられ、政治家の「不当な支配」と認めた三月の東京地裁判決。原告の元教諭日暮かをるさん=写真(左)=は「性教育の発展は、教員たちを萎縮(いしゅく)させる形ではあり得ない」。伊藤敬史弁護士は「高裁に舞台を移すが頑張っている教員たちのために闘っていきたい」と訴えた。

 視覚障害のある高校数学教師の解雇問題や、脳性まひ障害者のJR高架駅のエレベーター設置問題のケースも紹介された。