ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

すずかけの里:軽食喫茶店が開店 経済的支援や職業訓練に--大崎 /宮城

2009年04月29日 00時46分46秒 | 障害者の自立
 ◇障害者事業所「すずかけの里」
 大崎市田尻の障害者自立支援サービス事業所「すずかけの里」が敷地内に併設した軽食喫茶店「点心ファクトリーすずかけ」が26日開店した。知的障害者が主体の事業所利用者者30人の月額平均工賃2万円達成を目指すとともに、接客、調理などの職業訓練を行う場所となる。

 すずかけの里では、可能な限り地元産の食材を使ったギョーザやシューマイを製造販売しており、味も地元では評判。ファクトリーはギョーザやシューマイを中心にした食事を提供する場として開業した。

 開店日には、近隣客でにぎわい、約10人の利用者が客から注文を取ったり、ギョーザを焼いて盛り付けしたりと懸命に働いた。利用者は「大変だけど、おいしいと言われるのがうれしい」と笑顔を見せた。一方、来店者は「以前からすずかけギョーザのファン。利用者の経済的自立につながるよう店に来たい」などと話した。

 すずかけの里は社会福祉法人おおさきさくら福祉会」が06年設立。利用者の収入増に向けた計画を進めており、軽食喫茶の開店もその一環。将来は点心類やコロッケなどの製造販売も行い、食品工場に発展させる構想を視野に入れている。

ノンステップバス 事業者は方法の工夫を /滋賀

2009年04月29日 00時44分46秒 | 障害者の自立
 ◇坂道を理由に乗車を断られた車椅子の学生
 ◇利用者は頻繁に乗車して運転手と意思疎通を

 昨年11月、大津市内の別々のバス停で、車椅子利用者が乗り降りしやすいよう、床面が低く、スロープが出せるノンステップバスに乗ろうとした車椅子の学生2人が運転手から乗車を拒否されたという。バス会社は学生らの抗議を受けて謝罪したうえで、「停留所に十分なスペースがなく、坂道にもなっているため、事故になれば大変なことになると思った」などと説明した。障害のある人が公共交通機関を利用するためには、どのような課題があるのかを探った。

 ◆乗車拒否

 草津市の龍谷大大学院生の女性(24)は昨年11月下旬、大津市内のバス停で、友人と約1キロ南の同大へ向かうバスを待っていた。友人らに近くのショッピングセンターで誕生日を祝ってもらった帰り道。当時は道路が混雑しており、約20分後、やっとノンステップバスが止まった。

 運転手に「乗せてください」と頼んだが、答えは「ここでは、車椅子の人は乗られへんことになっている」。再度頼むと、目の前でドアを閉め、走り去った。女性は仕方なく友人に車椅子を押してもらい、約20分かけて大学に戻った。到着すると、構内のバス乗り場に同じ運転手がいた。乗車を断った理由を聞くと、「坂になっていて危ないから」。女性は「停留所があるのだから、普通に乗せてほしかった」と話す。

 大津市の同大3年の女性(20)は同月上旬、市内の実習先へ向かうため、友人と大学構内のバス乗り場にいた。ノンステップバスが運行していない時間だったが、思いがけずバスが来たという。運転手に乗せてくれるよう頼んだが、「無理です」と断られた。結局、友人に車椅子をたたんでもらい、手を貸してもらって乗った。

 ◆抗議と対応

 2人は同月下旬、バス会社に抗議文を出した。同社は2人に謝罪し、大学院生に対しては、「(現場には)十分な駐車スペースがなく、坂道にもなっている。お客様の安全を第一に考え、やむなくお断りした」と説明。もう1人には、「該当時刻には、毎日、車椅子に対応していない車両が運行している。日時などの記憶間違えはないのか」と回答した。女性は「講義や実習の時間を考えると、記憶違いはない」と憤る。

 2人は大学にも乗車拒否を伝え、今年1月、大学教授や職員、同社幹部を交えて話し合いをした。大学側は同社に社員教育の徹底を依頼した。また、今年3月下旬、車椅子の学生らに、バス利用の際は事前に事務部へ伝えるよう求めた。同社に乗車時間を把握してもらうためという。

 同社は取材に「運転手の説明が不十分だった」としつつ、「停留所の環境問題は独自では解決できない」と主張。「車椅子利用者の乗降には幅約1・5メートルのスペースが必要で、バスの幅(約2・5メートル)を考えると、約4メートルは欲しい。該当のバス停は片側1車線の道路沿いにあり、以前から改修を要望していたが、道路管理者の協力がないと、バス停の形状変更はできない」と話す。今回の件を受け、同様のバス停の移動も検討しているという。

 ◆調査

 他都市ではどうか。大学生の女性は2月、同大の上林茂暢(かんばやししげのぶ)教授(福祉工学)と障害者自立を支援する名古屋市の社会福祉法人「AJU自立の家」を訪ねた。同市内で大学院生の女性が乗車拒否された場所と似たような片側1車線の道路のバス停でノンステップバスを待った。バスは止まり、降りてきた運転手がスロープを出して乗せてくれた。「ほっとした」

 同法人は「公共交通機関が車椅子ユーザーを締め出すのは公共性に反する。バリアを崩すには訴え続けることが大事。私たちも何年も言い続けた」と指摘する。バスを運営する同市交通局は「駐車位置などを工夫し、車椅子の利用者には、停留所の形状に関係なく乗降していただいている」と説明する。

 大阪市の市民団体「障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議」にも聞いた。同市の場合、路上駐車でバス停がふさがってしまうことが多々あるというが、「停留所の前後にずらして停車するなど乗せる工夫をしてくれている」という。

 ◆利用実現のために

 今回の女性2人は普段は自宅から自分で車を運転するか家族に送ってもらって通学している。しかし、同大に今春入学した車椅子の男子学生は下宿生活で、タクシーやバスを利用するしかない。現在は、バス会社に乗降する時間を伝えてバスを使っている。

 車椅子利用者への公共交通機関の乗車拒否問題に取り組むNPO法人「DPI(障害者インターナショナル)日本会議」(本部・東京)の常任委員、今福義明さん(50)は「ノンステップバスを走らせている以上、事業者は努力の範囲内で(車椅子利用者を)乗せなければいけない。利用者が乗り続けて運転手とコミュニケーションをとり、事業者の意識を変えることも必要だ」と話す。存在をお互いに意識し合うことが解決の糸口になるのかもしれない。


障害者も観光楽しんで ホテル経営者ら推進団体を設立

2009年04月29日 00時43分27秒 | 障害者の自立
 体の不自由な人にも町内観光を楽しんでもらおうと町内のホテル経営者らが「弟子屈ユニバーサルデザイン(UD)プラザ」を設立。車いすマップの作成、来町者と町内福祉関係機関との調整役などをこなしていく。

 町内では二〇〇二年にボランティアグループが車いすマップを作成、更新してきた。同グループのメンバーが活動を広げようと呼び掛け、ホテル経営者、看護師、福祉関係者ら十一人で立ち上げた。

 活動は《1》車いすマップの更新《2》身障者向けの観光ルート、宿泊施設の紹介《3》町内の福祉関係機関との連携-など。有料の方針で「利用者に遠慮なく、気持ちよく使ってもらうため」と説明している。

 三木亨会長は「観光地ならではの先進的な取り組み。誰もが安心して来られるマチづくりに貢献したい」と意義を強調していた。

パラリンアート:オフィスに レンタルビジネスで自立支援 収益の半分、障害者に還元

2009年04月29日 00時41分30秒 | 障害者の自立
 カラフルで奇抜な意匠や、躍動感あふれるタッチ--。障害者が自在に表現した絵画をオフィスの観賞画としてレンタルし、収益の半分を障害者に還元するビジネスが好調だ。障害者の職域開発を手がける「セルフサポート」(東京都港区)が昨年9月、「パラリンアート」と名付けて始めた。自立支援に関心が高い企業が社会貢献の一環として契約しており、貸出先は36社に上っている。

 知的障害のある田久保妙さん(22)=千葉県船橋市=はカラフルな抽象画を描き、レンタルで人気が高い。妙さんは日中、清掃のパートをこなし、帰宅するとどんなに疲れていてもスケッチブックを開き、絵を描く。黒ペンで輪郭を引き、内側をハート形や四角などで分けていく。区画ごとにカラフルなペンで丁寧に塗ると、温かな雰囲気の抽象画が出来上がる。母広美さん(48)は「とりつかれたように描きます。ストレスの発散にもなっているようです」と話す。

 妙さんは10代前半から、障害児や不登校の子どもらが陶芸や絵の創作を楽しむアトリエに通った。水彩やクレヨンで描いていたが、アトリエ主宰者から細いペンを使うように助言されたところ、個性豊かな絵が増えていった。

 アトリエからパラリンアートの情報を聞き、広美さんが「娘の励みになれば」と登録した。既に企業14社が作品をレンタルしている。貸出先の企業を母娘で訪ね、額入りの自作を見た妙さんが「わー」と歓喜の声を上げたことも。

 広美さんは「娘は親と同居し仕事があり、年金も受けているので恵まれた立場です」と言い、絵の収入の使い道は未定という。レンタル事業については「絵を描くことが、障害者の職業になれば素晴らしい」と期待を込めた。

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 セルフサポートによると、障害者本人か代理人と契約、特殊印刷技術で複製画を作り、企業にレンタルしている。原画は作者に返却し、障害者側の負担はない。8号(57センチ×52センチ)程度の最小サイズのレンタル料は年間6万9300円。複製画制作など経費を差し引いた利益を折半し、作者には年間1万1995円(月額999円)が支払われる。

 きっかけは、神奈川県内の施設の代表から「才能を持つ障害者が仕事として絵を描いているが売れない」と相談されたこと。グループ会社がマッサージ師紹介業も営み、障害者が収入を得る苦労は知っていた。企業が力を入れ始めた社会貢献事業に関連した仕組みを作ることにした。

 同社は障害者が通う工房や作業所約200カ所に事業参加を打診。多くは「うまい話で障害者を食い物にする気だろう」と相手にされなかったが、少しずつ理解者も増え、岩手から愛媛まで21施設の84人が作家として登録し、約500点がそろった。このうち17人の作品計75点が、36企業にレンタル中だ。企業側はカタログで作品を選べる。

 このうち、ソニー生命保険は今年3月から、東京都港区の本社に田久保さんら2人の各1作品を飾っている。6月には約40点を追加レンタルし、都内に完成する研修センターで掲示する予定だ。

 同社は知的障害者の自立と社会参加をスポーツを通じて支援する「スペシャルオリンピックス」に、社員がボランティアで運営に携わるなど障害者の自立支援に取り組んできた。平賀弘行総務部統括部長は「田久保さんの絵は社員から『癒やされる』『かわいらしい』と好評」と話し、「パラリンアートでは障害者の枠を超えて、プロの作家として応援している。絵を描く障害者の自立を手伝いたい」と積極的にかかわっている。

 ◇低い授産施設の工賃
 厚生労働省によると、授産施設に通う障害者の07年度の平均工賃は月額1万2600円にとどまっている。

 授産施設関係者でつくる「全国社会就労センター協議会」によると、全国で約10万人の障害者が授産施設で働く。仕事は主に、ねじなどの部品加工、箱折りなど。平均工賃に加え、障害基礎年金(1級で月額8万2508円)を受給しても、地域でアパートなどを借りて自立した生活を送るのは難しい。

 このため、厚労省は都道府県と連携して、「工賃倍増5カ年計画」(07~11年度)を進めている。都道府県がコンサルタントを派遣して授産施設に経営のノウハウを伝授したり、地元企業とタイアップした商品開発などを図っている。


新いばじん:/39 筑波技術大・長岡英司教授 /茨城

2009年04月29日 00時39分44秒 | 障害者の自立
 ◇視覚障害者に就職機会を--筑波技術大障害者高等教育研究支援センター、長岡英司教授(58)
 カタカタと右手がパソコンのキーボードをたたくたびに、画面上の文字が自動音声で読み上げられる。パソコンに接続された点字表示装置を、左手の人さし指がなぞる。

 パソコンの中には、長岡教授らが08年に制作した視覚障害者用のコンピュータープログラム開発支援ソフトが組み込まれている。今月、情報技術(IT)関連企業で働く視覚障害者にこのソフトを無償提供した。「視覚障害は情報にアクセスしにくい障害。IT技術を活用して情報化社会に対応することで就職の機会も増えます」

 長岡教授自身も視覚障害を持つ。生来の弱視で、盲学校に進学。緑内障で徐々に視野が狭くなり、中学1年の12月18日、ついに視力を完全に失った。「失明への恐怖はそれほどなかったが、好きな自転車に乗れなくなったのがつらかった」

 両親は理療の道を勧め、自宅を建て替える際には将来はマッサージ店を開けるようにと、1階に十数畳の広々とした部屋を設けた。しかし、「視覚障害者だからと進路を決められるのは嫌だ。他の選択肢もあるはず」と考え、立教大数学科に進学した。

 当時、大学の教科書にはほとんど点字版がなかった。知人が作成した点字本を借りて、つぶれかけの点字をなぞった。図書館で朗読ボランティアに本を読み上げてもらい、一日中点字タイプを打ち続けた。

 大学院で学んだコンピューターの知識を生かして、国立職業リハビリテーションセンターの指導員に就職。「最初は視覚障害者がコンピューターを使って仕事をするといっても国も企業も半信半疑だった」。技術を証明するため、自ら情報処理技術者資格を取得した。コンピュータープログラマーを養成し、民間企業への就職を手助けした。

 90年代に基本ソフト(OS)のウィンドウズ95が発売されて以来、コンピューターは画面上のアイコンなどの画像を目で見ながら操作することが主流になり、視覚障害者のコンピュータープログラマーは劣勢に立たされた。筑波技術大に研究室を構え、視覚障害者が利用しやすい支援ソフトを制作した。

 3年前からは、視覚障害者の教育環境を整備する同大のプロジェクトを取りまとめる。理療や情報通信の専門書を点訳・音訳し、無料配布している。「視覚障害者が誇りを持って自立できる可能性をもたらすのが教育の使命。職業の可能性を広げることで貢献できる」と信じている。

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 ■人物略歴

 ◇ながおか・ひでじ
 1951年生まれ。東京都杉並区出身。立教大大学院理学研究科修士課程修了。国立職業リハビリテーションセンター指導員、筑波技術短大助教授などを経て、05年から現職。千葉県我孫子市在住。趣味は落語と写真撮影。