◇「触れるだけで安らぎが」
点字を覚えようとしたのは、大好きだった歴史小説を読みたかったからだ。10年も前のことだ。形は分かる。でも、意味の流れがどうしてもつかめなかった。
浜松市南区新橋町の舩川(ふなかわ)伸夫さん(66)は、45歳で失明した。工作機械を作る職人だった。腕には自信があった。自分の工場を持つのが夢だった。
視界が狭く、暗くなるのに気付いた。40歳だった。「老眼かな」。眼鏡を新調したが、改善しない。図面の細い線が見えなくなり、やがて自転車での通勤が恐くなった。夜道で白線しか見えず、側溝に何度も落ちた。
失明の可能性がある「網膜性色素変性症」だと医者に告げられた。会社を辞めたが、高校1年の長女を頭に、小学5年の末娘まで3人の子を抱えていた。「何でおれが」。8年間、家にこもった。
□ □
県視覚障害支援センターの土居由知(よしとも)さん(41)は「頭も指の皮もかたくなってから点字を習得するのは難しい」と話す。点字は視覚障害者の「道しるべ」になってきた。しかし習得が必ずしも容易ではないのも現実だという。
厚生労働省の06年度のまとめでは、17歳までの視覚障害児は約4900人。18歳以上は約31万人に上る。舩川さんのように、成人後に視力を失う人の多さをうかがわせる。
□ □
静岡市清水区蒲原堰沢(せきざわ)の旧国道沿いの鍼灸(しんきゅう)院。宮原良明さん(63)が「網膜剥離(はくり)」と診断されたのは21歳の時だった。
高校時代、ボクシングで国体に2年連続で出場し、駒沢大でも続けた。異常に気付いたのは大学2年生の冬だった。街を走る車の影がぐにゃりとゆがんだ。6回目の手術を受けた後、失明した。
24歳で点字を始めた。鍼灸師の国家試験を受けるためだった。でも、お手上げだった。指を点に押しつけ、悔しくて泣いた。必死に覚え、3年で合格した。
8年前からパソコンを使う。ボクシング部時代の仲間からのメールを機械の音声が読み上げてくれる。でも、点字は特別だという。「点字に触れるって、手放しがたい安らぎがあるんだよ。すらすら読めなくたって基本と役割を知ってるだけで十分だ」
舩川さんは今、かつての腕を生かして白杖(はくじょう)を作っている。視覚障害者の「目」になる、つえだ。点字はしばらく勉強していない。「歴史小説はあきらめたよ」と笑う。でも、点字で打った予定表を指でなでる。1日に何度も。
点字を覚えようとしたのは、大好きだった歴史小説を読みたかったからだ。10年も前のことだ。形は分かる。でも、意味の流れがどうしてもつかめなかった。
浜松市南区新橋町の舩川(ふなかわ)伸夫さん(66)は、45歳で失明した。工作機械を作る職人だった。腕には自信があった。自分の工場を持つのが夢だった。
視界が狭く、暗くなるのに気付いた。40歳だった。「老眼かな」。眼鏡を新調したが、改善しない。図面の細い線が見えなくなり、やがて自転車での通勤が恐くなった。夜道で白線しか見えず、側溝に何度も落ちた。
失明の可能性がある「網膜性色素変性症」だと医者に告げられた。会社を辞めたが、高校1年の長女を頭に、小学5年の末娘まで3人の子を抱えていた。「何でおれが」。8年間、家にこもった。
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県視覚障害支援センターの土居由知(よしとも)さん(41)は「頭も指の皮もかたくなってから点字を習得するのは難しい」と話す。点字は視覚障害者の「道しるべ」になってきた。しかし習得が必ずしも容易ではないのも現実だという。
厚生労働省の06年度のまとめでは、17歳までの視覚障害児は約4900人。18歳以上は約31万人に上る。舩川さんのように、成人後に視力を失う人の多さをうかがわせる。
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静岡市清水区蒲原堰沢(せきざわ)の旧国道沿いの鍼灸(しんきゅう)院。宮原良明さん(63)が「網膜剥離(はくり)」と診断されたのは21歳の時だった。
高校時代、ボクシングで国体に2年連続で出場し、駒沢大でも続けた。異常に気付いたのは大学2年生の冬だった。街を走る車の影がぐにゃりとゆがんだ。6回目の手術を受けた後、失明した。
24歳で点字を始めた。鍼灸師の国家試験を受けるためだった。でも、お手上げだった。指を点に押しつけ、悔しくて泣いた。必死に覚え、3年で合格した。
8年前からパソコンを使う。ボクシング部時代の仲間からのメールを機械の音声が読み上げてくれる。でも、点字は特別だという。「点字に触れるって、手放しがたい安らぎがあるんだよ。すらすら読めなくたって基本と役割を知ってるだけで十分だ」
舩川さんは今、かつての腕を生かして白杖(はくじょう)を作っている。視覚障害者の「目」になる、つえだ。点字はしばらく勉強していない。「歴史小説はあきらめたよ」と笑う。でも、点字で打った予定表を指でなでる。1日に何度も。