ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

六つの星:静岡・点字の今/習得に難しさも /静岡

2009年10月18日 00時54分48秒 | 障害者の自立
 ◇「触れるだけで安らぎが」
 点字を覚えようとしたのは、大好きだった歴史小説を読みたかったからだ。10年も前のことだ。形は分かる。でも、意味の流れがどうしてもつかめなかった。

 浜松市南区新橋町の舩川(ふなかわ)伸夫さん(66)は、45歳で失明した。工作機械を作る職人だった。腕には自信があった。自分の工場を持つのが夢だった。

 視界が狭く、暗くなるのに気付いた。40歳だった。「老眼かな」。眼鏡を新調したが、改善しない。図面の細い線が見えなくなり、やがて自転車での通勤が恐くなった。夜道で白線しか見えず、側溝に何度も落ちた。

 失明の可能性がある「網膜性色素変性症」だと医者に告げられた。会社を辞めたが、高校1年の長女を頭に、小学5年の末娘まで3人の子を抱えていた。「何でおれが」。8年間、家にこもった。

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 県視覚障害支援センターの土居由知(よしとも)さん(41)は「頭も指の皮もかたくなってから点字を習得するのは難しい」と話す。点字は視覚障害者の「道しるべ」になってきた。しかし習得が必ずしも容易ではないのも現実だという。

 厚生労働省の06年度のまとめでは、17歳までの視覚障害児は約4900人。18歳以上は約31万人に上る。舩川さんのように、成人後に視力を失う人の多さをうかがわせる。

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 静岡市清水区蒲原堰沢(せきざわ)の旧国道沿いの鍼灸(しんきゅう)院。宮原良明さん(63)が「網膜剥離(はくり)」と診断されたのは21歳の時だった。

 高校時代、ボクシングで国体に2年連続で出場し、駒沢大でも続けた。異常に気付いたのは大学2年生の冬だった。街を走る車の影がぐにゃりとゆがんだ。6回目の手術を受けた後、失明した。

 24歳で点字を始めた。鍼灸師の国家試験を受けるためだった。でも、お手上げだった。指を点に押しつけ、悔しくて泣いた。必死に覚え、3年で合格した。

 8年前からパソコンを使う。ボクシング部時代の仲間からのメールを機械の音声が読み上げてくれる。でも、点字は特別だという。「点字に触れるって、手放しがたい安らぎがあるんだよ。すらすら読めなくたって基本と役割を知ってるだけで十分だ」

 舩川さんは今、かつての腕を生かして白杖(はくじょう)を作っている。視覚障害者の「目」になる、つえだ。点字はしばらく勉強していない。「歴史小説はあきらめたよ」と笑う。でも、点字で打った予定表を指でなでる。1日に何度も。


毎日介護賞:佐賀支局長賞決まる 佐賀げんき会と県宅老所連絡会 /佐賀

2009年10月18日 00時50分54秒 | 障害者の自立
 「2009年毎日介護賞」(毎日新聞社主催、厚生労働省など後援、アフラック協賛)が16日発表され、県内からは小城市小城町の「NPO法人佐賀げんき会」と、佐賀市長瀬町の「県宅老所連絡会」が佐賀支局長賞を受賞した。

 佐賀げんき会(松田孝代表)は99年、精神障害者の兄弟たちによって設立され、障害者自立支援法の就労継続支援B型事業所「佐賀みょうが塾」を運営。

 みょうが塾は田園地帯にある民家を活用し、現在、精神障害者ら約30人が利用する。

 作業は焼き菓子や木工製品づくりなどバラエティーに富み、以前は5000円程度だった賃料も現在は平均1万2000円ほどにアップした。施設長の野田理津子さん(53)は「このような賞を初めていただくので、励みになる」と喜び、「精神障害者が自信を持って生きていける社会づくりをしたい」と抱負を語った。

 もう一つの受賞団体である宅老所連絡会も99年に結成された。

 宅老所とは、民家を使って介護サービスを受けられる施設で、高齢者数人が家庭的な雰囲気の中で過ごす。

 県内では、94年に佐賀市内に誕生し、約80カ所にまで増え、NPOや医療法人、有限会社などが運営している。対象を障害者や子供たちまで広げた「ぬくもいホーム」もできており、連絡会は、これらの施設の開設予定者にアドバイスや研修などを行っている。

 西田京子代表(64)は「結成10年を迎える節目の年に受賞し、うれしい。全国に佐賀方式を広めていきたい」と力を込めた。