我妻(あづま)健太さん(28)=仙台市青葉区=は先天性上肢欠損の障害者。働きながら音楽活動を続けるテノール歌手だ。先ごろ宮城県蔵王町の職員採用試験に合格。採用通知を心待ちにしている。地域に密着する仕事に就くのを機に、障害者が社会で当たり前に生活する「ノーマライゼーション」への思いを語る。
我妻さんは左腕がない。右腕は肘の辺りまで。「実は、自分が障害者だと意識し始めたのは、わりと最近なんですよ」とからりと笑う。
京都市立芸大で声楽を学んだ。2年前に仙台に戻り、IT関連のコールセンターにことし1月まで勤務。その傍ら、声楽家としてオペラなどの舞台に立っている。
日常に不便を感じてこなかった。それでも、片付けに手を貸されたりバスの中で席を譲られたりする。「何でも自分でできるのに」。周囲の善意に違和感があり、自分の周りに生まれるギクシャク感に腹立たしさも覚えた。
ある時、声楽の先生に言われた。「自分の姿をちゃんと見ろ」
初めて自分の障害と向き合ってみた。「できないこともある、不便さもある、見た目も衝撃的。そう気付きました。障害をポジティブに自覚したんです。そうしたら楽になりました」
昨年5月、記者は我妻さんに取材を申し込み、断られている。「障害者が頑張っている、という視点はどうも…。いまもその気持ちは変わりませんが、その後、さまざまな出会いを通して僕自身が感じたことを、表に出す意義はあるかなと思い始めました」
蔵王町での面接。町で初めての障害者枠なのだが、我妻さんのような人の受験は想定外だったらしい。仕事や生活に問題はないのか、ストレートに問われた。
「成績は良いのに面接で不合格になった試験が何度もありました。それに比べ、正直に何でも聞いてくれた蔵王町には誠意を感じ、うれしかった」
1月から自動車教習所に通っている。免許センターの職員が適切なアドバイスをくれた。教習所は、右手と両足で運転できるよう教習車を改造し対応してくれた。福祉車両を扱うディーラーを紹介してくれた人もいる。
自分から一歩踏み出して直接付き合ってみれば「人って優しいんだ」と実感した。多くの助けに感謝している。
「これまでは公的な場におじけづいていたのかも。障害者に限らず、社会でうまく生きられないと感じている人たちは多いと思う。僕の場合は、自分が変わることで居心地良くなれた、ということです」
今月26日、エルパーク仙台(青葉区一番町)で、初のソロリサイタルを開く。お付き合いしている女性が写真入りのパンフレットを作ってくれた。彼女に言った。「必ず右手の写ったカットを使って」
「障害者を嫌いな人がいたっていい。タブー視したり、見ることもせずに通り過ぎたりする無関心がいけない」。地域に当たり前に暮らす生活者として、共にいることを知ってほしい。歌い手としての決意とともに、そんなメッセージが感じ取れた。
リサイタルは子ども虐待防止のチャリティーに協力している。蔵王町の採用が正式に決まれば、積極的に町民と接したいとも言う。
「社会や地域にもっと関わっていくことが、僕のできることだと思っています。世の中を変えてやろうとは思わないけど、僕が町の顔になる、ぐらいの気持ちでいますよ」
「今日もビシビシいくよ」。「はい、お願いします」。ちょっぴり緊張しながら自動車教習に臨む我妻さん=仙台市宮城野区の仙台ドライブスクール
2011年02月12日土曜日 河北新報