ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

余録:83歳の心意気

2011年06月05日 02時07分52秒 | 障害者の自立

 男のやさしさは袷(あわせ)仕立て、と言ったのは向田邦子さんである。人間としてのかなしみやはにかみの裏打ちがあるという。むろん口には出さずに、しぐさで語るやさしさでなければならない▲岡山県倉敷市のNPO法人「たけのこ村」の万年やりくり助役、藤岡博昭さん(83)は、そんなやさしさに筋金を通して生きてきた一人だろう。中学校の養護学級の教師を辞め、34年前に知的障害者の自立をめざし村を開いた。オイルショックなどで教え子が次々と職場を追われるやむにやまれぬ事情があった▲村の人口はわずか8人だが、障害者と健常者が支えあい、畑を耕し、備前焼や埴輪(はにわ)を焼いて暮らしている。「たけのこ村をふるさとにして」。大震災で肉親を奪われた障害のある子どもに向け村民たちが呼びかけている、と1月ほど前の小欄で伝えた▲とはいえいまだ10万人近くの避難生活を強いる大震災である。「救いのコンベヤーからふるい落とされ、叫び声すら上げられない子どもがきっといる」。藤岡さんは先月末から今月初めにかけ宮城県石巻市などを歩き、被災地の声に寄り添い、互いにつながる大切さを肌で確かめた▲16年前の阪神大震災では、復興の陰で震災障害者が長らく置き去りにされた経緯がある。家族や住まい、仕事を一度に失い、心身に後遺症を負う被災者の暮らしがいかに過酷なものか。震災が原因で知的障害を負った人が少なからずいることも分かった▲助かった命を守り、育まねばならない。障害者への息の長い支援を見据え、藤岡さんはこれからも被災地を訪ねる覚悟だ。それが83歳の筋金入りのやさしさである。


毎日新聞 2011年6月5日 0時09分

くすのき園:全役員が辞任 高齢化で自助努力できず /高知

2011年06月05日 02時00分32秒 | 障害者の自立
 ◇検証委が県に報告--後任を選任

 須崎市大谷の知的障害者更生施設「くすのき園」が、入所者が骨折などの大けがをしていたにもかかわらず、同市に報告を怠るなど十分な施設運営ができていなかった問題で、同園の検証委は3日、施設責任者の森光次男理事長(88)ら全役員8人が同日付で、辞任したことを明らかにした。後任には、理事長に元県人権教育協議会事務局長の塚地久夫氏ら8人を選任した。

 県は同園を運営する社会福祉法人「須崎育成協会」に、第三者による検証委を設置し、今後の対応策を取りまとめるよう勧告。検証委は4月から7回会合を重ね、検証報告書を作成し、同日、県に提出した。

 検証報告書などによると、理事6人、監事2人が辞任、施設長には佐川町の児童養護施設「百蓮寮」の楠木博専務理事(66)が就任した。また、保護者1人と検証委3人が理事に加わった。検証委は同園の施設運営の大きな問題点として「理事らの高齢化による組織の硬直化」を指摘。県からの厳重注意や指導に対しても、自助努力できる状況でなかったと判断した。

 県障害保健福祉課などによると、09年に保護者から「何針を縫うけがをしても、施設長から説明や謝罪がない」「支援計画に勝手に保護者の判が押されている」などの苦情の声が県に寄せられ調査を実施。09年11月と昨年3月に厳重注意した。これを受け、園が3度、改善報告を提出したが、十分な改善が見られず、県は2月に改善勧告を行った。

 検証委の岩城正光委員長は「現場に入った理事はほとんどおらず、利用者の方向を全く向いていなかった」。楠木施設長は「1人でやるのではなく、6人の理事や保護者、職員と一緒に改善に取り組んでいきたい」と述べた。

毎日新聞 2011年6月4日 地方版

孤立防止へ継続支援/被災者障がい者センターみやぎ代表・及川智さん

2011年06月05日 01時54分39秒 | 障害者の自立
 ―被災した障害者の支援活動に取り組んでいる。設立の経緯は。

<人手なく危機感>
 「地域の支援拠点だったグループホームなどの施設やケースワーカー、ヘルパーら支援者も多くが被災した。このままでは障害者が孤立し、支援や復旧の輪の中から取り残されると思い、現状の把握と支援の両面から取り組むため4月に開設した」
 ―震災後、福祉避難所の状況はどうだったか。
 「物資が不十分で人手も足りなかった。1日に1度、手足と顔をタオルで拭いてもらうだけという人もおり、何とかしなければと危機感ばかりが募った」
 ―支援の現状は。
「紙おむつや食料品などの物資提供や移動介助といった支援を行っている。障害者手帳の有無にかかわらず、介護や介助が必要な人には支援をしている」
 ―県内全域で福祉施設や障害者を対象にした実態調査を行っている。

<見守る体制大事>
 「支援の前提として、障害者がどんな状況に置かれているのかを調べる必要があった。自宅や入所していた施設が被災し、各地にばらばらになっていた。全国から駆けつけたボランティアの手を借り、沿岸各市町の避難所や福祉施設を回り、どこに障害者がいるか把握する作業から始まった」
 「最も苦労したのは、震災前からの在宅障害者の確認だった。知人のつてをたどったり避難所にチラシを張ったりしたが、調査を始めたばかりのころは、たどり着くだけでも大変だった」
 ―活動の中で見えてきた障害者支援の課題は
 「人によって障害の種類、程度が異なるため、さまざまなニーズに対応しなければならない。小規模作業所などでは施設の復旧作業もあり、多額の資金確保が課題だ。仙台市などの都市部は普段から地域のつながりが薄い。常に地域や周囲の人々との関係性を高め、見守っていく体制が大事だ」
 ―自身も車いす生活の中で被災している。

<特化した対応を>
 「一度は避難所に避難したが、車いす用トイレの数が少なかったり、狭くて横になれなかったりしたので、団体の事務所に戻ってきた。避難場所を確保するだけではなく、介護などの専門知識がある人を配置することも重要だ」
 ―行政との連携などは考えているか。
 「今後は避難所から仮設住宅や民間のアパートに移動する人も増えるだろう。だが、仮設住宅は車いすで生活するには狭く、細かい段差もあり、障害者にとって何かと不便な点もある。行政には地域の実態を把握し、障害者に特化した支援態勢を早急に整備してほしい。民間の力と合わせ、ニーズを一つ一つ拾いながら継続して支援し続けることが欠かせない」(聞き手は山形聡子)

<おいかわ・とも>仙台市出身。東北福祉大卒。2007年から障害者の自立支援団体「CILたすけっと」代表。障害者の視点による支援活動に取り組む。


「今こそ地域での支え合いが大事」と話す及川さん=仙台市太白区

河北新報 -

東日本大震災:「被災障害者のために」NPOがチャリティーコン--あす灘区 /兵庫

2011年06月05日 01時49分02秒 | 障害者の自立
 ◇NPOボレロ

 東日本大震災で被災した障害者を支援しようと、障害福祉サービス事業所を運営するNPO法人ボレロ(神戸市灘区)が5日、同市灘区岸地通1の灘区民ホールでチャリティーコンサートを開く。事業所に通うメンバーが大正琴の演奏を披露するほか、交流団体などがダンスやジャズ、口笛演奏など多彩なステージを披露する。

 ボレロは設立翌年の03年から、地域との交流に役立てようとメンバーらが大正琴の演奏を練習してきた。08年からは毎年秋に大阪や神戸でコンサートを開いている。東日本大震災で「被災した障害者のために何かしたい」と企画し、交流のある団体や個人に呼びかけて実現した。

 ボレロの17人のメンバーは「ふるさと」などの唱歌や「見上げてごらん夜の星を」など7曲を演奏する。高石かおる施設長は「メンバーの力強い演奏で挑戦する気持ちを高めてもらえれば」と来場を呼びかけている。

 午後1時から。入場は無料だが、会場内で寄付金を募り、被災障害者を支援するNPO法人ゆめ風基金(大阪市)に寄託する。問い合わせはボレロ(078・881・4721)

毎日新聞 2011年6月4日 地方版

事故で後遺症障害者作品展

2011年06月05日 01時42分18秒 | 障害者の自立
きょうから県庁展望ロビーで

 交通事故で高次脳機能障害や脳損傷などの重度の後遺症を抱えた障害者ら7人による絵画や写真の作品展が、4日から県庁15階の展望ロビーで初めて開かれる。展示されるのは、障害と向き合いながらこつこつと制作した作品。主催する独立行政法人「自動車事故対策機構」栃木支所の近藤基了支所長(52)は「障害があっても生き生きと活動している姿を紹介したい」と話している。

 同機構は、自賠責保険の運用益を使って介護料の支給や、交通遺児や家族が交流する「友の会」を運営する団体。栃木支所の職員が介護料受給者の家に行って相談を受けている際、絵を描いている人を多く見かけたことが作品展開催のきっかけとなった。

 同支所が、県内の介護料受給者84人に開催を呼びかけたところ、風景画や習字、写真など様々な作品計約50点が集まった。

 肢体不自由の障害を持つ渡辺成一さん(53)は水彩画を出品。「絵を通していろいろな人と出会うことができた」と喜ぶ。

 また、頸椎(けいつい)損傷のため胸から下が不自由な有馬和江さんは書道作品を展示する。「書いている時はつらい痛みやしびれを紛らわせることができる。自分の力でできることも魅力」と作品に対する思いを語る。

 作品展は13日まで。時間は平日は午前8時~午後9時、土日は午前10時~午後9時。入場無料。問い合わせは同支所(028・622・9001)。

 ◇

パステル画12点を出品する宇都宮市中今泉、大山智子さんは、体の鎖骨から下が思うように動かせない四肢まひを患う。
 23歳だった1996年、運転中に車に追突され、頸椎(けいつい)を損傷した。病院や訓練施設などに入所、腕の上げ下げや食事などの日常動作、車いす操作などのリハビリは約8年間に及んだ。現在はかすかに動く右手を頼りに、レバーを押したり引いたりして、電動車いすで動けるようになった。

 体育大学に進み、サークルではエアロビクスを選択。「エアロビを通じて人を笑顔にしたい」と講師も目指していた。介助がないと動けない自分に対し「こんな自分ではなかったのに」と繰り返し感じた。自分も両親も自由に動けた頃が忘れられず、「もっと頑張れば動けるはず」と期待する両親と衝突することもあった。

 パステル画を始めたのは2009年。絵画教室のチラシに目が留まった。「どなたでもできます」という言葉に「やれるかもしれない」と早速応募し、宇都宮市内で開かれる教室に月3回、約3か月通った。

 始めてみると、握力がないため、思うように色をのせられない。ペン型の自助具を手と手袋の間に挟み、先につけた綿にパステルの粉をつけて紙にこするが、かすかに色がつくだけ。周囲が作業を終えても仕上がらず、家に持ち帰り、4時間以上かけて制作することもあった。しかし、薄い色を塗り重ねると、誰よりも優しい色合いの作品ができあがった。

 受講後も制作を続け、家族や友人の誕生日に絵をプレゼントした。母から「きれいに描けてたから人にあげたわよ」と言われると、照れくさかったがうれしかった。

 絵を描くことは、本当の自分を表現することだという。いつもは人の助けを受けながら生活をしているが、絵ならば自分の力で思うように描くことができる。作品展を前に「絵を描くことができてよかった。障害があってもできることがあると同じ障害を持つ人にも示していきたい」と話す。


自助具を使いながら作品の制作に取り組む大山智子さん(大山さんの自宅で)

(2011年6月4日 読売新聞)