民間基金を設立し、患者と製薬会社両方が受益できる仕組み作りを
経済の再生と財政の健全化を目指す政府の骨太方針では、高齢化に伴い1年ごとに1兆円ずつ増えると言われる社会保障費の伸びを、3年間で約1.5兆円に抑える目安を示した。その実現にはサービス縮小などの見直しが避けられないと言われている。
しかし費用の抑制が本当に経済の再生につながるのだろうか。確かに、一般会計予算の3分の1を占める社会保障費にメスを入れることは免れない。長期的な視点に立てば、高所得高齢者の負担金増やジェネリック導入率の上昇、混合診療への規制緩和などにより、このコストを低減する必要がある。
しかしその政策が功を奏し、経済の再生へとつながるためには数年、場合により10年単位の時間が必要になる。
さらに、コスト削減のみに注目している現在の方針で一番懸念される問題は、治療や患者の背景を考慮せず画一的な削減が行われる可能性である。例えば生産年齢にある人々のQOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)を改善し、長期的な費用をも抑制し得るような治療すら切り捨てられるのではないか。
その代表的なものが、関節リウマチと分子標的薬の問題だ。
関節リウマチとは
関節リウマチは、全人口の0.5~1%を占める、頻度の高い疾患だ。20~60代の働き盛りに多く発症し、女性が約3分の2を占める。不十分な治療は関節の障害を来し、身体機能を著しく損なう。
それだけでなく、慢性的に炎症が続くことで心筋梗塞などのリスクを上げ、生命予後にもかかわることが知られている。2009年の米国の研究では*1、関節リウマチ患者は2型糖尿病患者と同程度の心血管疾患リスク(オッズ比1.2~5倍)を有するという結果が示されている。
15年前までは、関節リウマチ患者はたとえ治療を受けていても、発症10年で5%が臥床患者、80%が何らかの障害を有し、15%のみが健常人と同じ生活ができると言われてきた。
しかし、関節リウマチの治療はこの15年間で劇的に変化した。そのきっかけは1999年に認可されたメソトレキセート(MTX)という免疫抑制剤、および2003年に認可された分子標的薬、レミケードR (成分名:インフリキシマブ;田辺三菱製薬)だ。
現在では関節リウマチ患者の約7割以上がMTXを内服し、20%が分子標的薬を使用している。その結果、今や関節リウマチは、5-7割に寛解が得られ、早期治療により70%に10年以上の身体機能改善を認める疾患となった。
つまりMTXおよび分子標的薬は、身体障害者の数を減らし、生産人口のQOLを改善するという、社会的な貢献度も非常に大きな薬なのである。
薬価の壁
「初めてこの薬を使った時、悔し泣きしました。あと10年早くこの薬が出ていれば、私も今頃普通に歩けていたのに・・・」
15年来関節リウマチに苦しんでいたある50代の女性患者が寛解を得た時の言葉だ。残念ながら導入時には手足の変形が進み、車椅子生活となっていた。発症前はゴルフの大好きなキャリアウーマンだったという。
しかし皮肉なことに、彼女がこの薬を使えた1つの理由に、身体障害者手帳1級を持ち、治療費が無料だったということがある。
現在20%ほどのシェアを持つ分子標的薬であるが、実際には対象となる患者はもっと多く、おそらく関節リウマチ患者の3~4割はいるのではないかと言われている。その治療を阻むのが、薬価の壁だ。
分子標的薬は、医療費3割負担の場合、毎月3万~5万円の費用がかかる。2015年に高額療養費制度が見直されたが、それでも年収が約370万円以下の家庭での自己負担限度額は5万7600円。他の医療費も合わせて高額医療となったとしても、年70万円近くの出費になる。
現在日本人の平均所得は2013年の時点で1世帯当たり530万円。約3分の1の世帯が所得300万円以下で暮らす*2。さらに、子育て世代である30~50歳の世帯では、平均借入金額も700万円を超える。このような環境で、子育て中の方、専業主婦の方が、年間30万~70万円もの医療費を払い続けるのは困難である。
「子供の養育費のために貯金が必要なんです」と、治療を遠慮され、徐々に関節が変形していく方を私自身も診てきた経験がある。
がんよりも理解されにくいリウマチ
関節リウマチはがんなどの消耗性の疾患と違い、家族の理解も得にくいことも多い。がんと言えば非常に重症に聞こえるが、関節リウマチというとその重症感がない。「関節が痛いだけの病気」になぜ高額の医療が必要かを理解してもらえないからだ。
手足の小関節に強い炎症が起こると、お皿を持つ、ドアノブをひねる、物を書く、そのような動作が著しく障害され、家事やデスクワークもできないことすらある。しかし関節リウマチ患者は顔色もよく、食欲もあり、普通に歩けていることも多いため、いたって健康に見えてしまう。
「ただでさえ『なまけ病』って言われているのに、そんな金額は夫に頼めない」。そういわれて分子標的薬をためらわれる専業主婦の方も多い。
「難病指定」では解決しない
実は関節リウマチ以外の多くの自己免疫疾患は難病に指定されており、一定額の補助が受けられる。関節リウマチは難病指定の対象となっていない、ほぼ唯一の疾患なのである。
原因の1つは、関節リウマチの患者数の多さだ。現在の難病の医療受給者数は約85万人だが、関節リウマチ患者数は60万人。リウマチ患者を難病に指定すれば、成人難病にかかる事業費1820億円(うち国費910億円)が単純計算でも1.5倍以上になる。我が国の財政状況を考えれば、現実的ではない選択だ。
もちろん減額ばかりで効率化を図らない現在の骨太方針の見直しは必要だ。しかし国にぶら下がるばかりでは、これだけ多くの患者を救うことはできない。1つの解決策として考えられるのは、民間や製薬会社による基金の設立である。
製薬会社によるサポートシステム
国に頼るだけでは疾患同士の資源の食い合いになってしまう。今後長期にわたってこのような患者を支えるには、民間主導のサポートシステムも重要だ。
例えば、慢性骨髄性白血病(CML)という血液のがんなどの患者に対し、支援金を交付する「つばさ支援基金」という活動がある。企業や個人から寄付金を集め、CML患者に医療費助成を行っているのである。
高額療養費が月4万4400円となる、年収370万円以下の家庭に対し、月額2万円を支給する。この基金の立ち上げ時に積極的に寄付をしたのは、グリベックという、CML治療のキードラッグを販売しているノバルティスファーマ社である。
基金により有効な治療薬の情報が広まり、グリベックを使用する患者が増えれば、長期的には製薬会社の利益にもつながる。同じような基金をリウマチ患者に対しても設立することはできないだろうか。
患者への投資が差別化にもつながる
現在関節リウマチに対して日本で認可が下りている分子標的薬は8種類。剤型や副作用により使い分けはあるものの、有効性についてはどの薬剤も有意差はないと言われている(表1)。
つまり、副作用のリスクの低い患者さんに8種類のうちのどの製剤を使用するか、という選択時には、薬価という要素が無視できないのである。
もし関節リウマチの分子標的薬に対し、製薬会社がつばさ支援基金と同じような基金を設立することができればどうだろうか。これまで治療を受けられなかった患者さんが治療を受けられるようになるだけでなく、他の薬との差別化にもつながる。製薬会社にとっても、損にはならない話である。
特に、遅れて参入したシムジアR(成分名:セルトリズマブ;アステラス製薬/UCBジャパン)、ゼルヤンツR(トファチニブ;ファイザー/武田薬品)を販売する会社にとってはチャンスになるのではないだろうか。
骨太指針に頼らない制度の構築を
来たる超高齢化社会に備え、増税による資金確保と医療費抑制の流れは避け難いであろう。現在の医療費削減にばかり重きを置いた骨太方針では、経済弱者を救う有効策が出ることは期待できない。
医療の中心はあくまで患者だ。治る患者を見捨てぬためにも、限られた資源の中でより高いQOLを達成できる方法を模索し、患者の視点に立った見直しが必要である。その舵取りをする力は民間にこそあるのかもしれない。
今現在も、医療費の壁により、治癒・寛解が可能な大勢の関節リウマチ患者が健康寿命も平均寿命も縮められている。このサイレント・マジョリティーに社会の目が向けられることを祈りたい。
2015.9.2 Bpress