残暑お見舞い申し上げます。これからお彼岸にかけて、厳しい暑さも少しずつやわらいでいくことと思います。今年の夏は前半こそ体にこたえる猛暑がつづいたものの、お盆から後半は極端な暑さが少なく、わりとしのぎやすかった印象がありますね。でもまあ、最高気温が30度で(過ごしやすい)と感じるほうがおかしいのかもしれませんが……。
就活のピークも過ぎ、学生ボランティアさんも続々と内定をもらっているようです。今年は企業の選考時期が後ろ倒しになり、「オワハラ」という聞きなれない言葉が社会問題として取り上げられました。一体、誰のための就職協定なのか。改善すべき点はまだまだありそうです。
マイペースな僕でも、就職が決まって社会へ巣立っていく学生さんを間近に見ていると、多少の焦りを感じたりもします。それまではコンスタントにボランティアにきてくれていた学生さんが就活で疎遠になると、(またこの季節がやってくるんだな)と、取り残されたような気分になるものです。けれど結局は、物書きとしての目標があるからいいかと自分を納得させてしまうのですが。
障害の有無にかかわらず、就職は人生の大きなターニングポイントです。ただ、障害者はさまざまな制約がある分、就職にあたってはまだまだハードルが高いのが現状です。
障害者の労働形態には大きく(一般就労)と(福祉就労)の2つがあります。(福祉就労)はさらに、就労支援施設A型と就労支援施設B型にわけられます。ひとつずつ見ていきましょう。
一般就労とは読んで字のごとく、障害者が一般企業に就職し、社員として働くことです。この場合、ほとんどは障害者雇用促進法の枠内での採用となります。
雇用促進法制定当初は、一般就労は能力の高い一部の障害者にかぎった話でした。中途障害で後遺症も軽く、少しの配慮があれば健常者と同じように働ける。そういう人たちにとって、雇用促進法はひとすじの光明となり得たのです。
時は進んで、雇用促進法もかなり整備され、重度の障害をもつ人にも一般就労の門戸は開かれてきました。知り合いにも、筋ジストロフィーの女性で大手の一般企業で働いている人がいます。彼女の内定の報告を聞いた時、障害者の就職も遠い夢ではないんだなと、少しだけ希望を感じたものです。
就職へのハードルは、障害の種別によっても違います。車椅子ユーザーの場合は社内のバリアフリー化が必須条件ですし、体力面でハンディがあるのなら勤務時間や業務内容の調整といった配慮が必要になります。精神疾患の人は段差等は問題になりませんが、そのかわりに症状が悪化した時の対応やカウンセリングの充実、予期せぬ欠勤の場合の対処方法などを話し合うことが大切です。
(何でもいいから働きたい!)というだけでは就職先の会社が困りますし、結局は自分もつらくなってしまいます。一般就労ではとくに、障害特性と能力適性をよく見きわめたうえで職種を選ぶ必要があります。
テレビのドキュメンタリーで、大型スーパーで働く自閉症の青年の様子が紹介されていました。彼は人とのコミュニケーションは苦手ですが、記憶力と空間認識にすぐれているという特徴を活かし、商品の棚卸から陳列、欠品チェックまでをまかされているそうです。
人を仕事に合わせるのではなく、仕事を人に合わせる。ひとりひとりの特性に合わせて仕事を細分化すれば、障害によるハンディは克服できるのです。商品を並べていく彼の生き生きとした表情が印象的でした。
福祉的就労は、作業所(昔の呼び方です)などに通い、作業の対価として一定の賃金を得ることです。障害者の働き方というと、こちらのほうをイメージする方も多いのではないでしょうか。福祉就労の形態としては、先ほど御紹介した就労支援施設A型とB型があります。
この2つの最大の違いは、雇用として見なされるかどうか、という点です。
就労支援施設A型の場合、事業者と利用者は雇用契約で結ばれ、最低賃金に基づいた給料が支払われます。雇用関係が安定している分だけ求められる業務はやや複雑になり、比較的障害が軽度で能力の高い人が多いのが特徴です。
一方のB型は、いわゆる作業所のことです。これらの施設での活動は労働とは見なされず、あくまでも社会的トレーニングの一環として位置付けられています。そのためA型とは違い、最低賃金規定の対象外となっています。
B型では、毎月の給料は工賃というかたちで支払われます。その金額を見ると、全国平均で2000円~3000円程度。利益率のよいところでも1万円を超えるのが精一杯、という現状のようです。時給にすると100円以下。これでは、自分でお金を稼いで自活する、というのも夢物語ですよね。
このように極端に低い賃金になっているのは、第一に仕事の受注がうまくいっていない、という背景があります。多くの作業所は企業などから手作業でできる仕事を受注するのですが、不景気がつづくと肝心の仕事そのものがまわってこなくなり、結果として施設の実入りが少なくなるという悪循環が生じてしまいます。
作業をして生み出した商品も順調に売れるとはかぎりません。商品が売れなければ、施設の収入は減ってしまう。収入が減れば、利用者ひとりひとりの賃金が減る。毎日作業所に通ってもやるべき仕事がなく、やむを得ず労働に結びつかない単調な作業をあてがわれている……これは、作業所に通っていた同級生のお母さんから聞いた話です。
片方は雇用で、片方は社会的トレーニング。労働としての拘束時間はそれほど変わらないはずなのに、この違いはなぜ生まれるのでしょうか。
その原因は制度をつくる側の意識にあると、僕は考えています。(障害者は働かなくていい)という発想が根底にあるから、作業所での活動を労働と見なさず、賃金体系の見直しもいつまでも行わないのではないでしょうか。
しかし、状況は変わりはじめています。まばらではありますが、施設の利益率を向上させ、毎月の賃金が1万円を超える事業所が注目されています。
利益率向上のキーワードは(付加価値)。「障害者がつくった商品」というイメージではなく、それ以上の付加価値を商品そのものにつけていく。大ざっぱに言えば、(ここでしかつくれない!)というものを何かひとつ見つけ、武器にしていくのです。
それはまさに、ビジネスの発想ですよね。これまでは、福祉とビジネスはあまり相性が良くありませんでした。福祉をビジネスにと言えば、(障害者を食い物にするな!)と批判されたほどです。
けれど、時代は確実に動いています。福祉の世界だからこそ、ビジネスの発想が必要なのです。市場原理を上手に取り入れ、消費者のニーズにこたれられるように努力をしていくべきなのです。
多少値段が高くても、魅力的な付加価値のついた商品なら必ず売れます。そうして全体の収入が増えれば利用者の賃金も増える。賃金が増えれば労働意欲が高まって、さらに生産性を上げることができる……理想論かもしれませんが、この好循環がひとつのモデルケースとして広がっていけば、福祉就労のかたちも変わっていくはずです。
(人はどうして働くのだろう)
就活のニュースが出るたびに、僕は考えてしまいます。
お金がほしいから?
それもひとつのこたえでしょう。けれども仮に、とてつもない金額の宝くじにあたって、もう一生働かなくていい生活になったとして、それが本当に幸せなのかというと、うーん、と首をかしげてしまいます。
社会とつながっていたいから。
これが今のところの結論です。第一線で働いていた女性が専業主婦になった途端に孤立感を深めるのは、仕事を辞めたことで社会とのつながりが断ち切られたような感覚になるからではないでしょうか。
障害者も同じです。責任をもって働いているかぎり、人は社会人としての自覚をもつことができます。そしてその自覚は、人間が生きていくうえで絶対に必要なものなのです。
最後に、どうしても言っておきたいことがあります。
(障害者を働かせないのは、社会にとっての損失である)
障害者が納税者になれば、国の収入も増える。悪いことは何もありません。
そのためには、障害者のほうにも知恵と工夫が必要です。あらゆる手段で、(こいつは戦力になりそうだ)と企業に思わせるのです。その努力をやめないかぎり、障害者が当たり前に働ける社会は遠い夢物語ではありません.
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