ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者雇用率最高2.11%

2017年01月14日 13時11分12秒 | 障害者の自立

 ◇県内民間企業 理解広がり

 鳥取労働局は、県内の民間企業の障害者雇用率(昨年6月1日現在)が2・11%となり、過去最高を更新したと発表した。企業に義務づけられた法定雇用率(2・0%)を達成した企業の割合も59・1%と全国平均を10・3ポイント上回り、障害者雇用に対する県内企業の意識の高さをうかがわせた。一方、採用後に早期離職するケースも目につくといい、支援の強化を求める声も聞かれる。

 同労働局が県内に本社を置く従業員50人以上の423社を対象に、雇用している身体、知的、精神障害者の数を調査した。

 その結果、企業に雇用されている障害者数は前年より84人多い1271人で、雇用率は全国平均の1・92%を上回った。法定雇用率を達成した企業は前年比4・3ポイント増となるなど、積極的な採用姿勢がみられた。

 障害者の就労意欲も高まっている。同労働局によると、2015年度の新規求職申し込み件数は1021件(14年度比12・4%増)、就職件数は597件(同8・2%増)でともに過去最高。約10年間で2倍以上になった。

 同労働局は、障害者雇用に理解のある企業が増えたことに加え、「職場適応援助者(ジョブコーチ)」を雇用率上昇の要因に挙げる。ジョブコーチは一定の研修を受けた専門員で、企業からの要請などに応じて入社から間もない障害者の悩みや相談に応じたり、企業側に指導法を助言したりする。

 現在、身体、知的障害者計約20人を雇用する鳥取銀行の長戸奈緒子調査役は、「障害の特性に合った職種を教えてもらうことで、『適材適所』を実践できるようになり、労使双方のストレスを軽減できている」と評価する。

 ただ、全国的に就労後、周囲に溶け込めずに孤立したり、意思疎通が十分にできずに悩みを抱えたりして早期離職するケースも目立つという。「『障害者に就労は無理』といった偏見も根強い」との指摘もある。

 同労働局では来年度から、社内研修で障害者雇用に関する環境整備などについて学んだ人を「仕事サポーター」に認定する制度を始める方針。君野雄・地方障害者雇用担当官は、「企業との連携を密にし、障害者が職場に定着できるよう障壁を取り除いていきたい」としている。

 

2017年1月13日   読売新聞


当直職員への拘束容疑で追送検

2017年01月14日 13時05分57秒 | 障害者の自立

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で発生した殺傷事件で、当直勤務をしていた同園職員5人を結束バンドで縛るなどしたとして、神奈川県警は13日、元施設職員の植松聖(さとし)容疑者(26)=鑑定留置中=を逮捕致傷や銃刀法違反などの容疑で追送検した。

  県警はこれまでに、死亡した入所者19人への殺人容疑と、負傷した入所者24人への殺人未遂容疑で植松容疑者を送検しており、これで事件のすべての被害者について立件したことになる。

 植松容疑者は昨年7月26日午前2時ごろ、やまゆり園に窓ガラスを割って侵入。入所者を刃物で次々に襲ったとされる。追送検容疑は、この際に当時23~54歳の男女の当直職員5人に包丁を見せて「騒いだら殺す」などと脅し、結束バンドで手すりなどに縛りつけるなどして身動きできないようにし、うち女性職員2人に重軽傷を負わせたとしている。

 捜査関係者によると、植松容疑者は拘束した当直職員に、会話ができない入所者を確認していた疑いがある。一部の入所者については名前を職員に告げ、どこにいるかを確認していたといい、入所者を選別して襲撃した可能性もあるという。

毎日新聞   2017年1月13日


通い慣れた学校へ避難(震災22年 障害者と共に)

2017年01月14日 12時53分22秒 | 障害者の自立

阪神大震災から障害者を取り巻く法や制度は大きく変わった。一方、「共助」の意識はどうだろうか? 震災を体験した障害がある人々を訪ねた。

 「ちなちゃーん、かわいい」「きれいねえ」

 宮城県石巻市の伊勢知那子さん(20)は8日、赤と黒のあでやかな振り袖姿で、市立湊小学校の同級生らと成人式を迎えた。

 生まれつき食物を飲み込む力が弱く、生後11カ月で離乳食をのどに詰まらせ、低酸素脳症に陥った。重い意識障害が残り、器械によるたんの吸引が欠かせない。

 市教委は養護学校(現・特別支援学校)を勧めたが、両親は姉2人と同じ湊小に通わせたいと希望した。入学に合わせ、湊小にはスロープやエレベーターなどが設置された。

 2011年3月11日の東日本大震災。知那子さんは通い慣れた湊小に迷わず避難した。知那子さんをよく知る先生たちが避難所を運営し、3階の教室に一家の居場所を作ってくれた。

 ところが、停電で吸引器の電池が充電できない。3日目に自衛隊のヘリコプターで石巻赤十字病院へ。けが人でごった返す病院で「治療の必要なし」と判断され、湊小に戻された。

 母の理加さん(49)は医師会や友人宅を回り、充電を頼んだ。6日目、神戸の団体から衛生用品などの救援物資が届き、停電も解消し、命はつながった。

 避難生活は2カ月に及んだ。ズゴッと音がする夜中の吸引を迷惑がる人はいなかった。むしろ同級生や地域の人は「学芸会の劇、何の役だっけ?」「運動会でがんばってたねえ」と話しかけてくれた。理加さんは振り返る。「共通の話題があると、いづくねっちゃ(居心地が悪くない)」

 被災障害者を支援するNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市)は、阪神・淡路大震災を機にできた。防災の出前講座で、地域の学校の体育館の見取り図に障害者らの居場所などを書き込む「避難所運営シミュレーション」を広めている。壁際は視覚障害者の通路のために空けておく▽通路は車いすが通れる幅を確保――など、多様なニーズを意識してもらうのが狙いだ。

 近年、障害者らを受け入れる福祉避難所を設置する自治体は増えた。「でも、福祉施設や病院が指定されることが多く、職員は入所者や患者の対応に追われ、避難者は後回しになりがちです」と理事の八幡隆司さん(59)はみる。

 06年の障害者自立支援法施行でヘルパーの利用が進み、障害者の近所付き合いは阪神大震災当時よりも薄くなったという。伊勢さんのように地域とのつながりがないと、最寄りの避難所に足が向かず、災害時には命取りになりかねない。

 昨年施行された障害者差別解消法は、障害者への「合理的配慮」を行政機関に義務づけた。八幡さんは言う。「それは災害時の避難所でも同じ。障害者を想定すれば、高齢者や乳幼児への配慮ともなり、ひいては災害関連死を減らすことにもつながるのです」

 写真・図版

成人式の晴れ着を着た伊勢知那子さん(中央)。東日本大震災のとき、避難所で散髪してくれた美容師が着付けに駆けつけた

2017年1月12日   朝日新聞

 


いわき・中島茂基さんに「医療功労賞」 精神障害診療に力注ぐ

2017年01月14日 11時44分43秒 | 障害者の自立

 地域医療や保健福祉に長年尽力した人へ贈られる「第45回医療功労賞」の本県受賞者に、精神障害者の診療に献身的に当たってきた中島茂基さん(83)=いわき市、新田目病院名誉院長=が決まった。19日に福島市で表彰式が行われる。

 本県受賞者に決まった中島さんは、2003(平成15)年から新田目病院の院長として、精神障害の診療に力を注いできた。在任中、精神障害者が病院に訪れやすいように、日曜日の外来診療を開始。急性期医療にも力を注ぎ、救急の患者を数多く引き受け、地域に信頼される医療を提供している。中島さんは「身に余る評価だが、名誉ある賞をいただけたことは光栄」と受賞の喜びを謙虚に語る。

 読売新聞社の主催、福島民友新聞社の共催、厚生労働省、日本テレビ放送網の後援、損保ジャパン日本興亜の協賛。医療功労者は、厳しい自然条件など困難な環境の下で、地域住民のために働く医師やスタッフを表彰している。

名誉ある賞をいただけて光栄」と喜びを語る中島さん

2017年01月13日    福島民友

 

 


<いのちの響き> 障害を笑いに(下)

2017年01月14日 11時31分43秒 | 障害者の自立

 横になった顔の正面にはパソコンのモニター。マウスを口で動かし、顔以外で唯一動く左手の親指でクリック。「今からやるよ」とツイッターでつぶやいて、「寝たきり芸人」あそどっぐさん(38)=本名・阿曽太一(たいいち)=のインターネット生中継が始まった。

 「六百七十六回目。今日も始まりましたー」。しゃべり続けるあそどっぐさん。今の視聴者数「146人」が表示され、「台車見せてー」などと視聴者が面白がって寄せたコメントの文字が画面上を横に流れていく。

 「うちにあるのは台車じゃなくてストレッチャー。ストレッチャーは台車のように物を運ぶんじゃなくて、僕を運んでくれるのっ」。どんなコメントにも真剣に、時にギャグで答える。

 三十分間の動画配信中に寄せられたコメントは四百件あまり。「ほとんどが愛情のこもった『いじり』。多くの人が目にしてくれてうれしい」と満足げ。配信は二年前からの日課だ。

 生まれつき脊髄性筋萎縮症を患う。親元を離れて、熊本県合志(こうし)市で一人暮らしを始めたのは十二年前。自動車部品メーカーに勤務する父親が海外赴任でタイへ。単身赴任のはずだったが、生活を支えるため母親もほどなく渡航し、既に姉も独立。突然の一人暮らしに戸惑ったが、「自立してほしいという親なりの願いが込められていたと思う」と前向きに捉える。障害者支援に取り組むNPO法人に相談し、ヘルパーの介助を受けるようになった。

 「寝たきり芸人」の出発点は、特別支援学校高等部一年のころにさかのぼる。

 「おまえら、面白いことやれよ」。リーゼントで決めた三年生の先輩に学校の廊下で呼び止められ、命じられた。あそどっぐさんの隣には難病「筋ジストロフィー」を患う同級生、奥田耕一朗さんがいた。

 卒業を控えた三年生を送り出す校内行事が数日後にあり、仕方なくお笑いコンビを結成。気軽につくったコントを生徒五十人の前で披露すると「思いのほかうけた」。人を笑わせる楽しさにはまり、修学旅行や学園祭など二人で演じるようになった。

 卒業後、本格的にお笑いの世界に進もうと、通信教育で脚本の勉強を開始。ところが在学中から学校に隣接する病院で暮らしていた奥田さんの病気の進行は早く、二十三歳で死去。コンビは解散した。奥田さんは何をするにも一緒だった親友。「自分だけ好きなことを続けるのは申し訳ない」。一度は夢を諦めた。

 転機は二〇一一年の秋。ヘルパーの男性から動画配信サイトを教わった。「これを使えば、寝たきりの自分でも笑いが届けられるかもしれない」。相方の死から、ちょうど十年。喪失感が薄れ、心のどこかで再開のきっかけを探していた。

 「一年以内にテレビに出られなければ、今度こそやめる」。インターネット上を中心に活動を再開し、障害を織り込んだ笑いを打ち出した。期限の一年を迎えようとしていたころ、NHKEテレの障害者情報バラエティー番組「バリバラ」に出演が決定。持ちネタを披露すると、じわりと名前が広がり、公演の依頼が舞い込むようになった。

 「俺らはきっと寿命が短いから、生きているうちに好きなことをやりたいね」。高校時代、奥田さんと語り合ったことをしばしば思い出す。ヘルパーの押すストレッチャーで私鉄と新幹線などを乗り継ぎ、十五日も福岡市のステージに上がる。

ヘルパーの男性に見守られながら唇と、わずかに動く左手の親指でパソコンを使うあそどっぐさん。

2017年1月13日     中日新聞