災害は、障害者や高齢者、妊婦といった社会的弱者への支援の必要性を平常時以上に際立たせる。神戸市垂水区在住の全盲のマッサージ業、今泉勝次さん(66)は阪神大震災の際、避難所や仮設住宅での生活に苦労した一人だ。あれから22年、福祉避難所の整備などは進んだが、一方でホームからの転落事故が相次ぐなど、視覚障害者が安心して暮らせる環境は整っているとはいえない。「根本的な対策は健常者と障害者との心のバリアフリーが進むこと」と訴えた。
先天性の障害のため35歳で全盲になった今泉さんは平成7年1月17日早朝、垂水区にあった当時の自宅で全盲の妻、初子さん(65)とともに被災した。
たどりついた避難所では食事やトイレを介助してくれる人はいなかった。周囲の被災者に声をかけて助けてもらったが、次第に「迷惑をかけている」と負い目を感じるように。5日後、親類宅に身を寄せた。
最大の試練は同年4月に自宅から約2キロ離れた仮設住宅に入居した後に訪れた。白杖(はくじょう)を手に外出しても道に迷って戻れない。ボランティアの歩行訓練士に付き添われて住宅とバス停、スーパーとの間を何度も行き来して街を覚え、ようやく生活できるようになったという。
当時、被災地では多くの視覚障害者や聴覚障害者が孤立した。避難所の張り紙や字幕のないテレビでは情報を得られず、亀裂の入った道路や段差の多い施設での移動は困難を極めた。居場所をなくし、半壊した自宅に戻った人もいた。
こうした教訓から、全国の多くの自治体が震災後、災害弱者に対応しようと防災計画を見直した。障害者らを受け入れる福祉避難所の整備や施設のバリアフリー化、災害時の要支援者名簿の作成といった動きも進んだが、今泉さんは「まだまだ弱者が安心できる状況ではない」と感じている。
実際に昨年4月の熊本地震では、熊本市内に開設された福祉避難所は92施設で、被災者の受け入れは1日最大250人にとどまった。市は24年以降、176施設と協定を結び、1日最大1700人の受け入れを見込んでいたが、「施設が被害を受けたり職員が被災したりしたため、運営の担い手を確保できなかった」(市担当者)という。
ただ、今泉さんはそうした制度運用面での課題以上に、障害者と健常者との心の壁を懸念している。復興住宅で暮らす今、最も近い避難所までは歩いて約20分。
周囲の支えなしでは、命を落とす危険性もあると考えているからだ。
今泉さんは「障害者は普段から介助者だけに頼らず、地域の人々と積極的に交流していくことが大切だと思う。健常者の方には、災害発生時に手をさしのべる意識を持っていただけるとありがたい」と話した。
白杖を使い、点字ブロックや道路の段差の感覚などを頼りに街を歩く今泉勝次さん=11日、神戸市垂水区
2017.1.16 za(イザ!)
za(イザ!) 2017.1.16 16