ブロ友さんの書かれている文字の間に、偶さか映像が視えシンクロニシティを牽き起こす。昨日、訪問先で音楽が聴こえた。それをそのまま書いたら、印象が強く潜在していたと記載文に。通じ・判り、視えて聴こえるんです。
4月1日以外では、ソクラテスの弁明は不可能でDNAの反応が著しい。以前には何故に起きるのかが皆目見当つかず、異世界への誘いと思われた。それが仕事を辞め、他人付き合いの苦手から出不精に拍車がかかり閉じ籠りに至る。
そこでの気づきは、声が聴こえるし視えてくる事象があること。半ば吃驚もしてあらぬ疑いを持つものの物事転じず、白昼に白龍や赤龍・青龍・黒龍と続き鳳凰や朱雀も眼前・宙に翔ける。天界の仏陀漣も浮かび、雅楽も亘れり。
物語は様々な彩に織られ、文字は止らず綴られしと鮮やかに拡がるのだ。自らの我は不明になり、異空間を流れていくのが判るが其処は氷のように冷たい侭。深とした闇ばかりで数多の星も光らず、何処まで往くのか覚らずとも。
最近は369も度々出現する為、心しているが終焉は伝えず云わないとしている。枇杷葉との拘わり疑うならもずくになり、慌てる状況に。可と云えども、物事への執着を転じさせるには無理も生じるので成行き任せが好いかな。
立春の頃には、三寒四温と体調を崩す要因が多くあり。日本の四季は、旧暦での暮らし向きには合うが、新暦はずれが大きい。身体の細胞は月の満ち欠けにて創られており、年齢を重ねてくれば多々なる異変は起きてくるもの。
清貧の暮らしを愉しめること、他人を真似ずも重要な逝き方と頓に想えるは極上の贅沢と気づく。