二十四節気 白露 朝夕涼しくなり、草木の葉に宿る、露が白く光る、と言う意味で、白露と言う。毎年、九月八日頃である。昨夜からの雨で、じめじめしており、洗濯物を、どうしようかと悩んだが、室内に干す。特別な洗剤も柔軟剤も使わず、桃のボディソープで、臭い一切なしである。
江戸時代まで用いて来た旧暦を廃止し、新暦の運用に切り替えた明治時代。給料の支払いに13ヶ月でなく、12ヶ月であれば1ヶ月分が浮く。福沢諭吉は、主要人物が欧州に出掛けた留守中に、さっさと新暦を登用させる。これからは文明開花であり、素晴らしい未来が待っていると豪語して。
子どもの頃には、何と言うこともなく、大人から言われる儘に過ごしてきたが、歳を重ねて来るに従い違和感が拭えない。なんだろう?気忙しい想いばかりで、胸の内が暗澹たる雲に覆われる。生前、祖母がしていた暦を紐解き、旧暦を用い始めてから、気持が落ち着いて、ほっとしたもの。
加えて、二十四節気に触れ、その意味を考えるに、納得することが増えた。七十二候も同じである。八十八夜、二百十日、二百二十日と記載されている。その事柄には農亊での、大切な厄災が記され、天気の重要さが載っている。災害は自然ではなく、人間が遣って来たことへの厳しい見返り。
機械に頼り過ぎていると、災害が起きた時にはたちまち困窮する。ではなぜ、そういう事態を思う心がないのだろう。誰かが、何とかしてくれる、他人任せの依存ばかりになっている。普段は、隣の芝生を羨むばかり、事態が悪化すれば、自然災害だと喚く。それは違うような気がしますね。
身体の機能にも、自然治癒能力が備わっているのですから、知恵と工夫とで、考えていけばいいことでしょう。普段の生活を、贅沢にしていると、いざと言う時には耐えられません。病気にならない身体を創るのは自分です。また何等かの疾病は、歳を重ねると抱えてきますが、覚悟も必要。
病院も、医者も嫌いであれば、自然治癒能力を促すしかなく、そのためにも普段から、気をつけていくことになります。枇杷葉には、万病に効果のある働きで、根気よく続けることで、細胞の再生や、身体の機能を促す力が増します。枇杷湯に浸かり、枇杷葉茶を飲みつつ、健康維持に努める。
それでも、枇杷葉が体質的に合わない方もおいでで、何でも鵜呑みにしない注意も必要です。健康は、お金を出して買うものではありません。病は気からと言われるように、本人の心持ち次第ですが、そうはならないから病気に罹る。症状は、身体に現れるのですが、医者でないと言う偏見も。
冬の間は室内に置いているが、夏には庭で伸び伸びしている。不思議なもので、季節が来ると咲く。