枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

葉月、曇り・大潮

2018年09月24日 | Weblog

  昨夜遅くに、愚息からの電話があり、明日墓参りに行こう。と言うではないか。我が子であるから諦めてはいるが、もそっと早くに言ってくれれば、とこちらの予定を急遽変える。息子に限らずだが、相手の都合もあるんだよ、せめて前日の返事をくれ。と思ってしまう。三隣亡でなくてよかった。

 で。早朝に起きて、茗荷寿しをこさえ、段取りよろしく勤務先に届け、用意をして待っているが、一向に来ない。連絡もするが通じず。再度の電話でやっと出るが、寝惚け声である。さっさと起きろ!昨日の約束を忘れたか?いやいや、墓参りに腹を立ててもつまらんことと、ご先祖さまに深く謝る。

 すばるのトイレも気になるし、と思っていたが、朝ご飯を全部茗荷寿しにして、勤務先に持って行ったことに気づき呆然となる。仕方ないや、と米を仕掛ける。非常食のパンを齧って、珈琲を飲む。亡父に持って行こうと、少し容器に注ぐ。鎌も入れたし、蜂へのスプレーも持ったしで、愚息を待つ。

 茗荷も、好む人の差があって、臭いが嫌だと言うが、嗜好でなく、季節の贈り物として、青空市で求める。子どもの頃には、何がうれしくてと文句を言っていたが、歳を重ねて、節約的なことでの贅沢に変化した。青空市に行けば、格安で手に入るのもうれしいし、旬の物を戴ける有難さである。感謝。

 あれからおそらく起きたであろう息子が、玄関に姿を見せ、ようやく墓参り・掃除に出掛けた。古里の荒れ果てた様子に、毎度のことながらため息をつく。墓に通じる小路さえ藪である。鎌で払いながら進むが、猪の蹄に驚く。ミミズを狙っての、土の掘り起こしに感心するばかり。墓は無残な草の山。

 ご先祖にご無沙汰を詫び、水と花を供えて、辺りの草を刈ったり抜く。笹がお生い茂って、手が付けられぬ状態だ。寒中に来てはいるが、それ以後が息子の都合で来られなかった。暑い時分には、蝮がいるので、一人では行くなと言われ、止む無く断念していた。庭に下りる手前に、ほととぎすを発見。

 帰宅して、郵便局に行くが、故障と言われ、燃料を入れるのを兼ねて遠出を。肝心の銀行に寄れば、平日のみでシャッターが下りている。なんちゅうことか、田舎の事情には多々あるが、何時からなったんだ?世情に疎いという欠点をさらけるが、今までは午前中だけ開いていた。人件費の節約なんだな。

 宇宙は、晴れていても、曇っていても、雨であっても、変化は稀だ。宙を眺めるのは変化に気づくこと。

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