サツマイモ料理、何が好き?
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サツマイモ料理、何が好き?
サンマのお造り
炙りしめさんま造り
( 画像は さんまのお造り 9/2 )
今日(9/2)の夕餉は
今 話題のあの「サンマ」
サンマと言うと
どうしても 庶民が愛する
廉価で美味しい焼きサンマが
目に浮かぶ
だけど ここ何年か
サンマはひどく不漁で
今年なんか 出漁しても
漁獲量ゼロ!という日も
あったかに聞いている
これでは
漁師さんも 市場の人たちも
威勢が上がらないだろうし
まず店頭に並ばないし
どうしても高値になるし
子どもの頃の
大衆魚のイメージから
転換しにくいのが困る
(今は 昨年などの冷凍物が
流通しているらしい)
何はともあれ
今年の九月は
旬の時季の
油ののったさんまお造りを
2、3切れずつ
いただくことができた
これから 冬にかけて
漁獲高は増えていくのだろうか?
ps 2020.9.2 草案 10.13 草稿
実は 今夜も さんまのお造りが
食卓に出たが 私の胃の不調と
他の料理も残っていたため
明日の出番とあいなった次第‥
何度も言うが この現象も
地球温暖化と アジア東部の
国々による乱獲などが
起因していると 私は思っている
日本に来て 海産物を活用した
日本料理の味を覚えた人たちが
太平洋北部などの海域の魚介類を
なんらかの取り決めなしに
無闇に獲り始めたからだろうと
私は考える
コロナ禍の今 早いうちに
漁業協定を結び 乱獲防止と
養殖の推奨と 温暖化防止の
取り決めをしたほうがいいと
思う 今がチャンスだと考える
鉄道の旅 不便を楽しむ覚悟も
アフターコロナ 未来の日常生活
(画像は「ゆふいんの森II」で訪ねた
由布院の景色 2019.10.15 撮影 )
JR九州を
不定期的に走っている
超豪華列車「ななつ星in九州II」
恐らく生涯乗れないだろう
超贅沢な九州JRが誇る列車
デザインは
あの水戸岡鋭治さん
その水戸岡鋭治さんが
今朝 (10/12) のらじるラボに
リモート出演されていた
かつて乗ったことのある
夏季限定の「あそぼーい!」とか
昨年秋に 初めて夫婦で乗った
大分の「ゆふいんの森II」など
ユニークで斬新なデザインは
先ほどの水戸岡鋭治さん
他にも「ねこ電車」やソニック、
SL人吉、「海幸山幸」なども
手がけておられるとか
( SL人吉は 車内の素材や
円形のつり革などさり気ない
工夫が施されているそうだ
ただ、SL人吉は 今年の豪雨で
路線は閉鎖されているし
復旧も困難が予想されるので
とても心配だ)
岡山市の「たま電車」には
ぜひ乗ってみたいモノだ
「ななつ星in九州II 」は
乗車券が〇〇万円する超豪華列車で
恐らく私らは生涯乗れず
外から眺めるだけになりそう‥😅
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私が
水戸岡鋭治さんのことを知ったのは
娘婿のTさんのおかげだ
Tさんは
アニメやデザイン系のことに
興味があり 鉄道オタクのようだ
それで 当方の熊本市まで来て
急に展示会に行きたいけど
一緒に行きますかと誘われたのが
水戸岡鋭治作品展示会だった
実物大の模型や各種の画像などが
沢山展示されていて Tさんは
興味津々、興奮した顔で
丹念に見学していた
私らは
九州の鉄道の振興のため
こんなに頑張っている人が
いることに驚き 感謝している
その後 ななつ星の話題が
ニュースや新聞で
取り上げられる度に
あの展示会を思い出している
今朝のらじるラボでは
水戸岡さんが
「けいざいのモノサシ」から
「心のモノサシへ」と
提唱されていたと思う
空調完備から天然自然へ
暑い時は暑く 寒い時は寒く
それぞれの季節の中で
生活を楽しむことも大切だと
コロナ禍の今だからこそ
水戸岡鋭治さんは 敢えて
提唱されたのかもしれない
ps 2020.10.12 草稿 10.13 追記
「海幸山幸」(JR日南線)
海に山に、宮崎の魅力を味わうためにと登場した人気の観光列車。「木のおもちゃのようなリゾート列車」がコンセプトで、内外装に飫肥杉がふんだんに使われてます。広々としたソファーシートや全席リクライニングシートとなっており、ゆったりとした南国の景色が楽しめます。日南線沿岸が舞台の神話「海幸彦・山幸彦」が名前の由来となっています。 (のんびり鉄道 みやざきHP より)
【水戸岡鋭治さんのプロフィール 一部 】
岡山県で家具店の長男として生まれる。幼い頃は窓から外を眺めるのが好きで、勉強も運動も苦手だったが、絵を描くのが得意で、周りの人が褒めてくれるのが楽しくて、自然にどんどん描くようになった。家具店の跡取りとなることを見越して、親も油絵や石膏デッサンなどの習い事を積極的にさせてくれたという。していて不器用で鈍臭い少年だったため、アダ名は「鈍治(ドンジ)」であった。彼はこのアダ名を現在でも大変気に入っており、後に設立した「ドーンデザイン研究所」の名前の由来になっている。
(Wikipedia 「水戸岡鋭治」より)