禁じられた遊びとコロナ禍
〜戦災とコロナ禍の中の子どもたち
(河川敷で動物と触れ合う子どもたち、
飲んで捨てられた河川敷の酒缶など27 )
ワイヤレス・イヤフォンを使うため
Bluetoothの設定をしているとき
(ブルートゥース)
書斎の壁際に置いている
ミニコンポ(Onkyo製)で
iPadからの音楽を聴きたくなり
アトランダムに選んだ曲は
「禁じられた遊び」だった
ナルシソ・イエペスのギター曲
「禁じられた遊び」は
フランスのドラマ映画で
監督は あのルネ・クレマン
私が1歳の頃に製作された名作だ
フランソワ・ボワイエの同名小説を
原作としている
出演は ブリジット・フォッセーと
ジョルジュ・プージュリーなど
戦争で孤児となった
5歳のフランス人少女の運命を
描いた心に残る映画である
初めて見た時の私は
青年期で 題名から
些かときめくものがあったが
中身はどうして
戦争を扱った心に残る内容で
後で見た邦画の火垂るの墓を
思い出すような作品である
5歳の可愛い盛りのポーレットと
農家の少年ミシェル(10歳?)は
まだ戦争や家族の大変さのことが
よくわからず 愛犬のお墓を
自分たちの手で葬ってから
他の様々な生き物の埋葬に
夢中になってしまい暴走する
二人を埋葬に駆り出すものが何なのか
二人には分かるはずはなく
少年の父親や地域の大人たちに
追い詰められても止めようとしない
ラストは ポーレットが
施設に送られようとする場面で
街中に紛れ込み消えてゆく‥
戦争という非常事態に
世の中も非情な世相が蔓延して
犠牲になった大勢の子どものことには
気を配る余裕もなくしている大人たち
その中で 子どもたちは
生と死の狭間で 何をしたらよいのか
皆目見当がつかないで 彷徨う
これは昔の話なのか⁈
しかし
現在のコロナ禍を見よ!
私らの5歳の孫娘も
現在進行中のコロナ禍で
外出や外食を我慢し
手洗いうがいを進んで行い
親や先生たちに
文句ひとつも言わず(余り言わず)
許された範囲で
楽しく充実した生活を送ろとしている
戦争であれ 疫病であれ
何かを恐れ 窮屈な暮らしを
健気に受け入れているのは同じだ
日本や世界の子どもたちは
目に見えないコロナウイルスの脅威に
慌てふためき 正気をなくしている
沢山の大人たちの中で
先生や大人の言うことをよく聞き
毎日マスクを嵌め
手洗いうがいを励行し
旅行や外出、買い物などは控え
毎日の自粛生活にひたすら耐えている
それに引き換え お手本になるべき
大人の方が 自粛のルールを
平気な顔をして破り
夜遅く酒を飲んだりしては
マスクなしで騒ぎ 覚めた後は
言い訳ばかりしている
私から見ると 大人の方こそ
「禁じられた遊び」を
しているように思ってしまう‥
ps 2021.3.27 草稿
今 ウイルスの本や
社会制度の本を読んでいるが
この地球の生き物や制度は
実に巧みに作られ
変化して来ていることがよくわかる
しかし
それらをみんな「進化」として
一括りすることは難しいと思う
この地球や社会は
様々な要因で変容してゆく
それらのいろんな変化に対応すべく
数多の生き物や人間は
体や機能、制度などを
変えていくのではないか
それを
「進化」と言えば「進化」だと
言えるが
今の「進化」の言葉の中に
良いこと、望ましいことが
潜まれていると思うので
社会の制度の変化は
全てが 進化であるとは
言えない気がする
あるものは もしかすると
「退化」かもしれないし はたまた
進化のための退化かもしれない
ただ言えることは
地球上のものはまたみんな
いつかは全て滅んでしまうことだ
騒いでも祈っても何らかの手立てを
オロオロと考えても
結論はそこのところに行き着く
少なくとも
私らの子や孫子の代までは見据えて
各種の対策を講じておかないと
地球温暖化など待ったなしだと思う
じゃあ、今の私たちにできることは
何なのか⁈
それは一人一人で考え いつも
心の隅にその巨大なテーマを課題を
据えておくことだと思う
(ヒトが 予想のほか 早くに滅亡するにしろ‥)
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