桜が満開になったと思ったら、春の嵐が到来。ヒョウが降ったり突風が吹いたり。
この風で、かなり散ってしまったでしょうね(写真は昨年の大阪・大川の桜)。
それぞれの思いを胸に、桜舞い散る道を散策…
この時期にいつも思うのは、桜に対する日本人の無常感。
伊勢物語で、
「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
と詠んだ在原業平。
あまりにも有名な歌ですが、これに対して別の人は
「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき」
と詠みます。
桜は惜しまれ散ってこそ良いんだよ。この世に何か永遠なものなどあろうか…
在原業平の歌は大らかで優美ですが、それを逆に返した人の詠みっぷりが、ものすごい凄味があります。
誰なんだろう、こんなシニカルな歌を詠んだのは…
落花ということで、記憶に残っているもうひとつの一節は、
ハナニアラシノタ トヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
というもの。
誰の言葉だったかなと思い返してみると、井伏鱒二が漢詩を意訳したものでした。
もとは唐代の詩人于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」。
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
だいたい中国の詩というのは、僻地へ異動する友人に「まあ一杯やれよ」というのが多いような気がしますが、それを井伏鱒二がこう和訳したというのです。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタ トヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
訳し方がいかにも下世話だという感じがする反面、人生の味わいがにじみ出ていて「妙訳」だということになっています。
私も若いころ、「ハナニアラシノタ トヘモアルゾ 」なんて、人生を経た人間でないと言えない表現だなあと思ったものです。
花の嵐。関西を吹き荒れたあと、さて、今ごろは東京・九段、千鳥ケ淵辺りを桜吹雪に舞い散らしているのでしょうか…