腹部手術で止血できず死亡
2019/02/14 11:11 朝日新聞
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%85%b9%e9%83%a8%e6%89%8b%e8%a1%93%e3%81%a7%e6%ad%a2%e8%a1%80%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%81%9a%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%80%81%e9%81%ba%e6%97%8f%e3%81%ab%ef%bc%93%ef%bc%96%ef%bc%98%ef%bc%90%e4%b8%87%e5%86%86-%e5%ae%ae%e5%b4%8e/ar-BBTz3fJ?ocid=ientp
2016年、腹部大動脈の手術を受けた60代の男性が直後に出血性ショックで死亡したことについて、病院側の過失を認め、遺族に約3680万円を支払うことで和解すると発表した。
腹部大動脈を人工血管に置き換える手術中、別の血管から出血があった。医師は止血処置をしたが、出血場所がわからないまま手術を終え、約8時間後、男性は死亡した。病院は院内協議などで「止血処置対応に過失があった」とし、損害賠償を求める遺族との和解が決まった。
とのニュースを拝見しました。別のネットニュースでは
大動脈と癒着していた別の血管が裂けて大量に出血し、翌日、死亡しました。手術をしていた医師は出血を止めようとしましたが、どこから血が出ているのかわからなかったということです。出血で見づらくなる前に正面から腹部を切開し直せば、出血箇所を見つけられた可能性があったのに、そうした処置が遅れたことに過失があったとしています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/miyazaki/20190214/5060002703.html
との記事を読みました。手術結果に関しての和解事例のようです。
腹部大動脈瘤は、破裂した状態での救命率は低く、一度凝固系が破綻した場合は、破裂した大動脈瘤壁のみならず、あらゆる部位から出血が起こり、止血困難に陥ることが少なくありません。一般には破裂した状態で手術した場合の救命率は半分と言われています。救命できない症例は、報道記事のようなが含まれているものと思われます。しかし、これは過失なのか、といわれると、決して過失とは言えないのではないか、と思います。外科医の技術が稚拙だった場合は、確かにスキルの良い外科医が止血できるところを止血できずに救命できない可能性もあるとは思いますが、本当に「出血場所がわからない出血に対して止血できなかった」というならば、外科医としては、本来出血部位がわからない出血を止血できるはずはありません。出血部位を同定できて初めて止血は可能となります。もしくは自然に止血されることを期待するしかありません。
その手術時の状況がわからないので、正しいコメントとは言えませんが、ネットニュースの記事によると、正中からのアプローチではなく、後腹膜アプローチでの手術だっとのかもしれません。後腹膜からのアプローチが破裂症例でも有効との報告をむかし見たことがありますが、大動脈の中枢の遮断が難しいこともあるのは事実です。大動脈と癒着していた別の血管とは、おそらく左腎静脈と思われます。左腎静脈は下大静脈と直接連結するので、この静脈やその分枝から出血した場合は、止血が非常に難しくなりますが、破裂症例の場合はこの静脈及び分枝が血腫に埋没して見えにくくなり、大動脈遮断の際に損傷される可能性は十分にあります。破裂していない待期症例の場合は、慎重に分枝や静脈を同定しながら安全確保を優先して手術を遂行しますが、破裂していて、心臓が止まりそうなショック状態の場合は、大動脈遮断を優先する必要があります。正中切開のほうが、大動脈瘤の上部へ到達できるまでの時間が明らかに短いと思いますが、その動脈瘤の形状や部位、血腫の位置などから経験ある外科医が判断して手術したのであれば、このリスクは許容されてしかるべきではないか、とも思います。もし、損傷した血管が奇形など特殊なものであれば、特に破裂症例では事前検査が不十分になるので、避けられないものだった可能性もあります。筆者がごく最近経験した腹部大動脈瘤破裂症例では、事前の造影CTを撮影する余裕がなく急いで手術室に入室したので、十分な検討できないままの手術となりましたが、こうした事例は少なくありません。
もし、過失と認めるのであれば、全く経験のない術者であった、とか、心臓血管外科医や血管外科医ではない医師が執刀した、ということでしょうか。基本的に過失、とは、左右間違いや、禁忌薬品の投与、薬物の用量間違いなど明らかに誤りが指摘出るものに対しいうことが多く、救命しようして努力した結果が悪かったことを過失とは通常は言いません。それなのに、腹部大動脈瘤の手術料が50万円ほどなのに対して、結果が悪かったことに対する和解金がその70倍以上とは、かなりの法外なレバレッジで、ビットコインの上昇やFXなみです。入院費用を無料にする、としても300~500万円ほどです。故意に殺害したのでなければ、遺失損益も考慮した金額として理解できますが、50%の救命率しかない緊急手術の結果が悪かったことに対して、この和解金が妥当とは到底思えません。妥当とするならば、もともとの医療費をアメリカなみに現在の10倍にする必要があります。大動脈瘤がこの患者さんに発生したこと自体、そして破裂したこと自体にも病院の責任を負わされている、と認めたということになります。このような判例を作ってしまうこと自体に社会的な問題がありますが、自治体病院や国立病院などは容易に受け入れる傾向にあるのも事実で、裁判の判例でも決して納得のできる判例ばかりではないのも事実です。医療者の努力と犠牲によって成り立っている日本の医療システムを根本から崩壊させる判断である可能性があります。残念ながら、医療安全の名のもとに、医療が委縮してしまって、その影響で、救える患者さんの命も、救えないようなシステムを医療者自体が構築してしまうことは、最近の傾向として少なくありません。日ごろ、こうした診療に従事している、そしてこの仕事に自分の人生をかけている医師としては看過できる事例ではありません。
一家の大黒柱を失ったご遺族の悲しみは想像を絶するものがあり、失った命が金額で解決されることはありませんが、そもそも、腹部大動脈瘤が発生して破裂する前に治療できれば、この悲劇は生まれずに済んだ可能性があります。この年代の男性の腹部大動脈瘤はほとんどの症例が喫煙者であり、高血圧や高脂血症など明らかなリスクファクターをお持ちです。事前にスクリーニング検査をして、動脈瘤を発見できていれば、予定手術の死亡率は0.5%以下ですから、リスクのある患者さんには、かならずスクリーニング検査を受けてほしいと思います。少なくとも筆者が診療している患者さんはすべて、このような悲劇が生まれないように、基本的に全例スクリーニング検査しています。
大動脈瘤の有無については、外来での検査で簡単に調べられますので、気軽に受診して検査を受けてほしいと思います。以前も記載したように腹部大動脈瘤破裂の症例はほぼ、事前に大動脈瘤の存在を知らなかった人です。もし診断されていながら、手術をうけずに、もしくは手術前に破裂していたならそれは自己責任です。残念ながら、こうしたスクリーニング検査の意義について、無知、もしくは理解していない医師も少なくありませんので、その場合はいつでも相談してもらいたいです。