今日で、この日記をつけ始めてちょうど2年となる。
「よ~毎日書いとるのお」と旧友から言われたことがあるが、振り返ってみればあっという間だったような気もする。
最初は、何でもかんでも思いつくままに書いていたが、最近ではアサピー批判を中心とした内容になってきている。
何だか「テレビ・タックル」みたいだ。
裏日本観察学会の山カズ大王氏によれば、私は「憂国系」になるらしい。
憂いている、というよりは、やたらと腹を立てている、という方が正解かも知れない。
毎日チェックしていて、ほぼ毎日腹を立てているのが「天声人語」
今では、別に「天声人語批評」なるものを作って書き留めているほどだ。
さて、その朝日新聞の隠れた名手である「スポーツジャーナル」担当の石井晃。
今週のコラムで、彼が何も取材しないでいいかげんな記事を書いていることを自ら暴露している。
『当時、角川映画の「人間の証明」(だったと思う。なんせ1978年といえば、30年近く前の話である。記憶は薄れている)のキャッチコピー「かあさん、僕のあの麦わら帽子はどこへ行ったんでしょう」(これも正確ではないだろう。なんせ30年近く前の話である。記憶はほとんどなくなっている)が流行語になっていた』
30年前だろうが何だろうが、こんなのはネットでちょっと調べればわかることだ。
試しに「人間の証明 麦わら帽子」で検索したら、すぐに出てきた。
正確に言うと「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね」である。
ほとんど同じようなものだが、元はれっきとした西条八十の詩の一部である。
正確に引用しないのは失礼だろう。
こういうところだけは、天声人語の高橋クンを見習うべきじゃないのかね。
このおっさんは、これ以外にも『事件などの断片をチョコチョコって書くだけで、高い原稿料をもらっていた』とも告白している。
これじゃあ、まともな文章なんか書けるわけがないな。
とか言いながら、結局今回のコラムは昔話だけで終わらせており、スポーツの話なんかどこにもなし。
しかも、自ら『長々書いてきたが、気がつけば、終始スポーツとはゆかりのない話である。「どこがスポーツジャーナルやねん」「看板に偽りありではないか」と突っ込まれそうである。どうしよう』と書いているわけだから、もちろんわかってやっているわけだ。
こんなので原稿料がもらえるなんて、朝日新聞の記者って楽そうだ。
「よ~毎日書いとるのお」と旧友から言われたことがあるが、振り返ってみればあっという間だったような気もする。
最初は、何でもかんでも思いつくままに書いていたが、最近ではアサピー批判を中心とした内容になってきている。
何だか「テレビ・タックル」みたいだ。
裏日本観察学会の山カズ大王氏によれば、私は「憂国系」になるらしい。
憂いている、というよりは、やたらと腹を立てている、という方が正解かも知れない。
毎日チェックしていて、ほぼ毎日腹を立てているのが「天声人語」
今では、別に「天声人語批評」なるものを作って書き留めているほどだ。
さて、その朝日新聞の隠れた名手である「スポーツジャーナル」担当の石井晃。
今週のコラムで、彼が何も取材しないでいいかげんな記事を書いていることを自ら暴露している。
『当時、角川映画の「人間の証明」(だったと思う。なんせ1978年といえば、30年近く前の話である。記憶は薄れている)のキャッチコピー「かあさん、僕のあの麦わら帽子はどこへ行ったんでしょう」(これも正確ではないだろう。なんせ30年近く前の話である。記憶はほとんどなくなっている)が流行語になっていた』
30年前だろうが何だろうが、こんなのはネットでちょっと調べればわかることだ。
試しに「人間の証明 麦わら帽子」で検索したら、すぐに出てきた。
正確に言うと「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね」である。
ほとんど同じようなものだが、元はれっきとした西条八十の詩の一部である。
正確に引用しないのは失礼だろう。
こういうところだけは、天声人語の高橋クンを見習うべきじゃないのかね。
このおっさんは、これ以外にも『事件などの断片をチョコチョコって書くだけで、高い原稿料をもらっていた』とも告白している。
これじゃあ、まともな文章なんか書けるわけがないな。
とか言いながら、結局今回のコラムは昔話だけで終わらせており、スポーツの話なんかどこにもなし。
しかも、自ら『長々書いてきたが、気がつけば、終始スポーツとはゆかりのない話である。「どこがスポーツジャーナルやねん」「看板に偽りありではないか」と突っ込まれそうである。どうしよう』と書いているわけだから、もちろんわかってやっているわけだ。
こんなので原稿料がもらえるなんて、朝日新聞の記者って楽そうだ。
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