はぶて虫のささやき

日々の出来事について、雑感を書いてます。
映画やスポーツも大好きです!
(旧:はぶて日記)

解説者の役割って・・・

2004-08-24 | 日記
昨日の女子マラソンの興奮は、解説の良さによっていっそう盛り立てられた、と言っても過言ではないと思う。

実況のアナウンサーも冷静に伝えていたし、何よりも解説の有森裕子が良かった。

思い出すのは、かの有森自身が3位となった8年前のアトランタ大会のことだ。

実況の他に、日本でこのことを随時伝えていたTBSの松下が、やたらと大きな声を出すのにも閉口したが、最悪だったのは解説をしていた元選手(名前忘れた)。

終盤で、有森が2番手を走っていて、そこへ後ろから選手が少しずつ迫っていた時のこと。
この解説者は、もうすでにかなり興奮していて、何を言っているのかさっぱりわからない。

そして、とうとう抜かれてしまった時に、何とこの解説者、パニックになってしまって「もう、誰が優勝してもいい」などと叫んでしまう始末。
見ていた私は、ただ唖然とするばかりだった。

レースの状況なんて、見ていればだいたいわかる。

ただ、選手の微妙な変化などは、われわれ素人にはよくわからない。
そのあたりを、昨日の有森は冷静に解説していた。

「視線が下に落ちてきましたねえ」とか「ピッチはしっかりしているけど、思ったより前に進んでいない」とか、聞いていて「なるほど!」と思うような説明が随所にあった。
こういったことがあっての昨日の感動だと思うのだが、どうだろう。

さて、今日の天声人語では、珍しくタイムリーに昨日のマラソンについて触れている。
http://www.asahi.com/paper/column.html

相変わらずの引用だらけだが、気になったのはもっと根本的なことだ。

書き出しで『人生はマラソンに似ている。いや、マラソンは人生に似ている。どちらもあてはまりそうだ』ときた。

当たり前だ!

「人生がマラソンに似ている」のに「マラソンは人生に似ていない」なんてことがあるか!。
バカか、このおっさんは。

さらに、ちょっと気になる書き方も。

『結局、勝利をもたらす賭けだった』という言い方は、普通するだろうか。

「賭けは吉と出た」あるいは「賭けは成功した」という言い方ならわかるのだが、何となく違和感がある。

それと、細かいことだが、引用をした後『〈人生は(中略)白紙の本だ〉(大杉栄)。』というように、引用者の後にわざわざ読点を打っているのだが、これは余計ではないのか。

何だか、添削されたら真っ赤っ赤になりそうな文章だ。
大丈夫か、高橋クン!

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 信じられないほど異常な国 | トップ | 私のトリビア »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事