昨日の女子マラソンの興奮は、解説の良さによっていっそう盛り立てられた、と言っても過言ではないと思う。
実況のアナウンサーも冷静に伝えていたし、何よりも解説の有森裕子が良かった。
思い出すのは、かの有森自身が3位となった8年前のアトランタ大会のことだ。
実況の他に、日本でこのことを随時伝えていたTBSの松下が、やたらと大きな声を出すのにも閉口したが、最悪だったのは解説をしていた元選手(名前忘れた)。
終盤で、有森が2番手を走っていて、そこへ後ろから選手が少しずつ迫っていた時のこと。
この解説者は、もうすでにかなり興奮していて、何を言っているのかさっぱりわからない。
そして、とうとう抜かれてしまった時に、何とこの解説者、パニックになってしまって「もう、誰が優勝してもいい」などと叫んでしまう始末。
見ていた私は、ただ唖然とするばかりだった。
レースの状況なんて、見ていればだいたいわかる。
ただ、選手の微妙な変化などは、われわれ素人にはよくわからない。
そのあたりを、昨日の有森は冷静に解説していた。
「視線が下に落ちてきましたねえ」とか「ピッチはしっかりしているけど、思ったより前に進んでいない」とか、聞いていて「なるほど!」と思うような説明が随所にあった。
こういったことがあっての昨日の感動だと思うのだが、どうだろう。
さて、今日の天声人語では、珍しくタイムリーに昨日のマラソンについて触れている。
http://www.asahi.com/paper/column.html
相変わらずの引用だらけだが、気になったのはもっと根本的なことだ。
書き出しで『人生はマラソンに似ている。いや、マラソンは人生に似ている。どちらもあてはまりそうだ』ときた。
当たり前だ!
「人生がマラソンに似ている」のに「マラソンは人生に似ていない」なんてことがあるか!。
バカか、このおっさんは。
さらに、ちょっと気になる書き方も。
『結局、勝利をもたらす賭けだった』という言い方は、普通するだろうか。
「賭けは吉と出た」あるいは「賭けは成功した」という言い方ならわかるのだが、何となく違和感がある。
それと、細かいことだが、引用をした後『〈人生は(中略)白紙の本だ〉(大杉栄)。』というように、引用者の後にわざわざ読点を打っているのだが、これは余計ではないのか。
何だか、添削されたら真っ赤っ赤になりそうな文章だ。
大丈夫か、高橋クン!
実況のアナウンサーも冷静に伝えていたし、何よりも解説の有森裕子が良かった。
思い出すのは、かの有森自身が3位となった8年前のアトランタ大会のことだ。
実況の他に、日本でこのことを随時伝えていたTBSの松下が、やたらと大きな声を出すのにも閉口したが、最悪だったのは解説をしていた元選手(名前忘れた)。
終盤で、有森が2番手を走っていて、そこへ後ろから選手が少しずつ迫っていた時のこと。
この解説者は、もうすでにかなり興奮していて、何を言っているのかさっぱりわからない。
そして、とうとう抜かれてしまった時に、何とこの解説者、パニックになってしまって「もう、誰が優勝してもいい」などと叫んでしまう始末。
見ていた私は、ただ唖然とするばかりだった。
レースの状況なんて、見ていればだいたいわかる。
ただ、選手の微妙な変化などは、われわれ素人にはよくわからない。
そのあたりを、昨日の有森は冷静に解説していた。
「視線が下に落ちてきましたねえ」とか「ピッチはしっかりしているけど、思ったより前に進んでいない」とか、聞いていて「なるほど!」と思うような説明が随所にあった。
こういったことがあっての昨日の感動だと思うのだが、どうだろう。
さて、今日の天声人語では、珍しくタイムリーに昨日のマラソンについて触れている。
http://www.asahi.com/paper/column.html
相変わらずの引用だらけだが、気になったのはもっと根本的なことだ。
書き出しで『人生はマラソンに似ている。いや、マラソンは人生に似ている。どちらもあてはまりそうだ』ときた。
当たり前だ!
「人生がマラソンに似ている」のに「マラソンは人生に似ていない」なんてことがあるか!。
バカか、このおっさんは。
さらに、ちょっと気になる書き方も。
『結局、勝利をもたらす賭けだった』という言い方は、普通するだろうか。
「賭けは吉と出た」あるいは「賭けは成功した」という言い方ならわかるのだが、何となく違和感がある。
それと、細かいことだが、引用をした後『〈人生は(中略)白紙の本だ〉(大杉栄)。』というように、引用者の後にわざわざ読点を打っているのだが、これは余計ではないのか。
何だか、添削されたら真っ赤っ赤になりそうな文章だ。
大丈夫か、高橋クン!
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