はぶて虫のささやき

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(旧:はぶて日記)

世界市民(’笑)

2023-08-08 | 日記
8月6日の「原爆の日」に相変わらずの光景が広がったそうだ。

本来であれば「平和を願う」式典であるはずなのに、なぜか頭のおかしい活動家たちが「戦争はんた~い」などと式典を邪魔するような大声でシュプレヒコールをしていたらしい。

一緒に黙祷でもしていればいいのに、こいつらはとにかく騒ぐことしかしない。

いったい誰に向かって叫んでいるんだか。

式典に参加していた国民民主党の玉木代表からも「もうやめませんか?」と言われる始末。

彼によると、「まるで平和反対運動みたい」ということだけど、活動家連中にとってはとにかく騒いで邪魔をすることが目的なので、式典の目的や内容なんてどうでもいいのだろう。

しかも、この玉木代表のツイートに対して、立憲民主党の杉尾秀哉が食ってかかったらしい。

ということは、杉尾も活動家の仲間ということなんだろう。

だって、連中のやっていることに理解を示しているわけだから。

だけど、もうそろそろこの式典もやんなくていいんじゃないの?という気がする。

だって「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」って、どう考えたって変な文章だろう。

「過ち」って何だよ、ということだ。

「主語がない」とはすでに言われていることだけど、こんなの「日本が」に決まっている。

これを作ったのは元広島大学教授・雑賀忠義だが、主語がないことについて質問された際、広島市長だった浜井信三は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答えたらしい。

これに対して、極東国際軍事裁判において日本を弁護してくれたインドのパール判事は、原爆投下と、投下を正当化する主張を強く批判し、「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と言ったそうだ。

つまり、原爆を落とされたのは日本なのに、なぜ日本人が謝らなければならない、と言っているわけだ。

ところが、作成者の雑賀は、これに対して「広島市民であると共に世界市民である我々が、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである」と言ったのだとか。

なるほど、この頃からすでに「世界市民」とかいう得体の知れない言葉を使っていたヤツがいたわけだ。

しかも、「『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ」とも言ったらしい。

こいつ、頭がおかしいのか?

「原爆投下は広島市民の過ちではない、は通じない」とは、すなわち「原爆投下は広島市民の過ちだ」と言っているのと同じ。

この言葉は、市民ではないが県民である私としても、とても腹が立つ。

もちろん「世界市民には通じない」ということなので、「世界市民」とか「地球市民」とか言っている頭のイカれた連中は、どうしても「原爆を落とされたのは日本のせいだ」と言いたいのだろう。

いずれにしても、こういう背景を知ってしまうと、ホントに原爆慰霊祭なんていらないと思う。

だけど、こういう背景があるにもかかわらず、式典を妨害しようとする活動家の連中って、いったい何がしたいんだろうね。

「原爆を落とされたのは私たちの責任です。もうしません。もうしません」と一生懸命言っているのに、それを妨害しようと絶叫するなんて・・・


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