ある人材派遣業者が自社に登録しているフリーターに対して意識調査を行ったそうだ。
その結果、約2割が「フリーターと呼ばれたくない」と回答したそうだ。
そして、「フリーターという言葉のイメージは何か」という問いには、1位が「不安定」、2位が「自由」、3位が「中途半端」とマイナスイメージが先行している。
さらに、「どう呼ばれたいか」という問いには「夢追人と書いてドリーマー」「チャレンジャー」などの回答があったそうだ。
もともと「アルバイト」と呼ばれていたのが、「そんな言い方はイヤだ」などと言い出して「フリーター」に変わったわけだが、要は定着してしまった言い方がイヤなんだから、どうせ他の言い方に変えたところで、そのうちまたイヤになってくるに決まっている。
何せ、どう呼ぼうが所詮は「プー太郎」なんだから、中味が変わらない限り、呼び方を変えたっていいイメージなんて生じるはずがない。
しかし、この記事を取り上げた新聞では「若者の微妙な意識を浮き彫りにした」と結んでいるが、これは若者だけではなく、日本人全体の意識の問題ではなかろうか。
よく言われる「放送禁止用語」や「言ってはいけない言葉」などの「言葉狩り」がそのいい例だ。
昔は普通に使っていた言葉なのに、誰かが軽蔑口調で言った途端に、その言葉が「差別用語」になってしまい、ちょっとでも口にしようものなら、コワいおじさん達が文句をつけてくる。
それに対して「いや、この言葉にはそのような軽蔑の意味はない」と言えばいいものを、面倒くさいから別の言葉を探し出して「言い換え」をする。
文句をつけた方も、悪いのは「言い方」や「使った時の状況」であって、言葉そのものではないにもかかわらず、「他の言葉に言い換えます」と言った途端、もう何も言わない。
こんなことを繰り返しているから、みんな差別だとか軽蔑ということに対して真剣にとらえるのではなく、観念だけで判断するようになってしまう。
だから、文句をつける方もホントに怒っているわけではなく、文句を言われた方もホントに反省しているわけではない。
結果的に、言葉に対する感覚がマヒしてしまい、言った相手の真意が理解できない人間になってしまう。
先の北朝鮮の「ジャップ」発言も、そんなところが原因ではなかろうか。
議論から逃げ回っているからこんなことになってしまう。情けないことだ。
その結果、約2割が「フリーターと呼ばれたくない」と回答したそうだ。
そして、「フリーターという言葉のイメージは何か」という問いには、1位が「不安定」、2位が「自由」、3位が「中途半端」とマイナスイメージが先行している。
さらに、「どう呼ばれたいか」という問いには「夢追人と書いてドリーマー」「チャレンジャー」などの回答があったそうだ。
もともと「アルバイト」と呼ばれていたのが、「そんな言い方はイヤだ」などと言い出して「フリーター」に変わったわけだが、要は定着してしまった言い方がイヤなんだから、どうせ他の言い方に変えたところで、そのうちまたイヤになってくるに決まっている。
何せ、どう呼ぼうが所詮は「プー太郎」なんだから、中味が変わらない限り、呼び方を変えたっていいイメージなんて生じるはずがない。
しかし、この記事を取り上げた新聞では「若者の微妙な意識を浮き彫りにした」と結んでいるが、これは若者だけではなく、日本人全体の意識の問題ではなかろうか。
よく言われる「放送禁止用語」や「言ってはいけない言葉」などの「言葉狩り」がそのいい例だ。
昔は普通に使っていた言葉なのに、誰かが軽蔑口調で言った途端に、その言葉が「差別用語」になってしまい、ちょっとでも口にしようものなら、コワいおじさん達が文句をつけてくる。
それに対して「いや、この言葉にはそのような軽蔑の意味はない」と言えばいいものを、面倒くさいから別の言葉を探し出して「言い換え」をする。
文句をつけた方も、悪いのは「言い方」や「使った時の状況」であって、言葉そのものではないにもかかわらず、「他の言葉に言い換えます」と言った途端、もう何も言わない。
こんなことを繰り返しているから、みんな差別だとか軽蔑ということに対して真剣にとらえるのではなく、観念だけで判断するようになってしまう。
だから、文句をつける方もホントに怒っているわけではなく、文句を言われた方もホントに反省しているわけではない。
結果的に、言葉に対する感覚がマヒしてしまい、言った相手の真意が理解できない人間になってしまう。
先の北朝鮮の「ジャップ」発言も、そんなところが原因ではなかろうか。
議論から逃げ回っているからこんなことになってしまう。情けないことだ。
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