久々に朝日新聞のコラム「スポーツ・ジャーナル」から。
とてもスポーツ・ジャーナリストとは思えない石井晃というおっさんのコラムだが、今回のも何だか違和感がある。
いつもは、「日本大嫌い」のアサピーのくせに、今回のコラムは「日本マンセー」だ。
いや、もしかして、日本を陥れるための釣りかも知れない。
内容は、先日のサッカーのコンフェデ杯で、日本がブラジル相手に2-2で引き分けた試合について。
このことを、こいつは「べた褒め」している。
確かに、世界のブラジル相手に2点を取ったわけだから、ある意味「よくがんばった」と言えなくもない。
しかし、引き分けたために決勝トーナメントに進めなかったわけだから、決して手放しで喜べる結果ではないことは確かだ。
そして、もちろん辛口で有名な解説者セルジオ越後氏は『善戦と喜んでいる場合じゃない』とコメントしている。
これが普通のコメントだと思う。
しかし、このおっさんは『日本代表を「けなす」のが役割と信じている(これは僕の思い過ごしかな?)ようなセルジオ・越後氏』と、まずはアサピー特有の「・・・に違いない」と根拠もないのに断じるような言い方をする。
セルジオ越後氏やラモス氏などは、日本人よりも、よっぽど日本チームのことを真剣に考えてくれている。
こいつには、そういう気持ちは通じていないらしい。
そして
『たしかに、そういう指摘も大事だろう。成果をあげた時ほど、それでも出来なかったこと、足りなかったことを冷静に見つめ、分析して、今後につなげていくというのが、世界の頂点を目指す集団に必要とされるモラルなのだろう』
と言っている。
「モラル」って何だ?
勝っても負けても、つねに前向きに突き進んでいこうとする気持ちは、「そうしなければならないから」というように教えられて覚えるものではなくて、自然に発生するものではないのか。
「まだまだ」という気持ちが自然に出てこなければ、上達はしないだろう。
少なくとも、「モラル」という言葉はここで使うべきものではないと思うのだが。
さらに
『「ワールドカップに出場するだけではダメ。結果を出さなければ満足できない」ということが、いつの間にやら選手、協会関係者の共通認識となり、評論家やファンもそれが当然と思いこんでいるようだ。1年後のワールドカップに向けて、これはものすごいプレッシャーである』
と言う。
これもよくわからない。
「結果を出さなければ満足できない」という気持ちが、どうしていけないのか。
「当然」そう思うべきではないのか。
プレッシャーを「イヤなもの」と受け止めていては、スポーツの試合で勝てやしないだろう。
この後も、わけのわからない発言が続く。
かつて女子バレーボールで、世界一へ導いた大松監督についても、こんなことを言っている。
『そういう指導で本当に世界で1対1で通用する人材が育つのか。ピッチに立ったときに、自発的なプレーができる人材が育つのだろうか』
バカか、この男は。
世界で通用したからこそ、金メダルを取ったのだろう。
ピンチの時にも冷静に対応できたからこそ、勝ち進んだわけだろう。
大松監督については、いろいろと批判もあったにしても、こういう批判は的外れもいいところだ。
そして、最後。
『ならば、そういう選手を育てるために、どうするのか。ひたすら鞭を当てまくるのがいいのか、それとも、思い切りほめて自信を付けさせ、自発性を引き出す方がいいのか。本当に世界水準のチームを作ろうとするのなら、後者の方が成果が上がるはずだと、僕は信じているが、いかがだろう』
こいつは、ホントにスポーツ・ジャーナリストなのか?
人によって指導のし方は、いろいろ考えられるはずだ。
どうして「思い切りほめて自信を付けさせ、自発性を引き出す方が成果が上がるはずだ」と断言できるのか。
こういうバカが、「ゆとり教育」とかわけのわからないことを言って、甘やかし放題したからこそ、今いろいろと問題になっているのではないのかね。
思い切りほめることも時には必要。
だけど、厳しく鞭を当てることも必要ではないのか。
結局、こいつもアサピーだ。
こうやって甘やかして日本チームを引き摺り下ろし、きっとワールドカップで韓国に負けるのを期待しているに違いない!?
とてもスポーツ・ジャーナリストとは思えない石井晃というおっさんのコラムだが、今回のも何だか違和感がある。
いつもは、「日本大嫌い」のアサピーのくせに、今回のコラムは「日本マンセー」だ。
いや、もしかして、日本を陥れるための釣りかも知れない。
内容は、先日のサッカーのコンフェデ杯で、日本がブラジル相手に2-2で引き分けた試合について。
このことを、こいつは「べた褒め」している。
確かに、世界のブラジル相手に2点を取ったわけだから、ある意味「よくがんばった」と言えなくもない。
しかし、引き分けたために決勝トーナメントに進めなかったわけだから、決して手放しで喜べる結果ではないことは確かだ。
そして、もちろん辛口で有名な解説者セルジオ越後氏は『善戦と喜んでいる場合じゃない』とコメントしている。
これが普通のコメントだと思う。
しかし、このおっさんは『日本代表を「けなす」のが役割と信じている(これは僕の思い過ごしかな?)ようなセルジオ・越後氏』と、まずはアサピー特有の「・・・に違いない」と根拠もないのに断じるような言い方をする。
セルジオ越後氏やラモス氏などは、日本人よりも、よっぽど日本チームのことを真剣に考えてくれている。
こいつには、そういう気持ちは通じていないらしい。
そして
『たしかに、そういう指摘も大事だろう。成果をあげた時ほど、それでも出来なかったこと、足りなかったことを冷静に見つめ、分析して、今後につなげていくというのが、世界の頂点を目指す集団に必要とされるモラルなのだろう』
と言っている。
「モラル」って何だ?
勝っても負けても、つねに前向きに突き進んでいこうとする気持ちは、「そうしなければならないから」というように教えられて覚えるものではなくて、自然に発生するものではないのか。
「まだまだ」という気持ちが自然に出てこなければ、上達はしないだろう。
少なくとも、「モラル」という言葉はここで使うべきものではないと思うのだが。
さらに
『「ワールドカップに出場するだけではダメ。結果を出さなければ満足できない」ということが、いつの間にやら選手、協会関係者の共通認識となり、評論家やファンもそれが当然と思いこんでいるようだ。1年後のワールドカップに向けて、これはものすごいプレッシャーである』
と言う。
これもよくわからない。
「結果を出さなければ満足できない」という気持ちが、どうしていけないのか。
「当然」そう思うべきではないのか。
プレッシャーを「イヤなもの」と受け止めていては、スポーツの試合で勝てやしないだろう。
この後も、わけのわからない発言が続く。
かつて女子バレーボールで、世界一へ導いた大松監督についても、こんなことを言っている。
『そういう指導で本当に世界で1対1で通用する人材が育つのか。ピッチに立ったときに、自発的なプレーができる人材が育つのだろうか』
バカか、この男は。
世界で通用したからこそ、金メダルを取ったのだろう。
ピンチの時にも冷静に対応できたからこそ、勝ち進んだわけだろう。
大松監督については、いろいろと批判もあったにしても、こういう批判は的外れもいいところだ。
そして、最後。
『ならば、そういう選手を育てるために、どうするのか。ひたすら鞭を当てまくるのがいいのか、それとも、思い切りほめて自信を付けさせ、自発性を引き出す方がいいのか。本当に世界水準のチームを作ろうとするのなら、後者の方が成果が上がるはずだと、僕は信じているが、いかがだろう』
こいつは、ホントにスポーツ・ジャーナリストなのか?
人によって指導のし方は、いろいろ考えられるはずだ。
どうして「思い切りほめて自信を付けさせ、自発性を引き出す方が成果が上がるはずだ」と断言できるのか。
こういうバカが、「ゆとり教育」とかわけのわからないことを言って、甘やかし放題したからこそ、今いろいろと問題になっているのではないのかね。
思い切りほめることも時には必要。
だけど、厳しく鞭を当てることも必要ではないのか。
結局、こいつもアサピーだ。
こうやって甘やかして日本チームを引き摺り下ろし、きっとワールドカップで韓国に負けるのを期待しているに違いない!?
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