押入れを整理していると、昔 作った手芸が次々と出てくる。狭い家だから飾る場所は限られている。みんな、一回は壁から吊るして飾ったかも。押入れにかたずけると、もうそれっきり。
作る過程が楽しみなのだ。
誰彼にプレゼントして、さほど値打ちがあるものでもないから、百円ショップのものと、ないまぜにされている。それを見てから、人さまにあげるのはよした。
銀行に飾られて、人の目に留まっているのは、ほんとうにまれだ。実家や、姉も大切にしてくれているようだ。
私の名前**** を検索をすると、毎日しりとり俳句に投句した句が更新されて出てくる。
一人歩きしているのである。なぜ?という疑問がある。
いつからこのようになっていたか知らない。スマホにもまた、違った句が出てきたりする。
何かが、貼りついたのか?そのあたりが、パソコンに詳しくないから、解らない。
知り合いの方のブログにコメントをすると、そのページも出てくる。ここは、俳句とは、関係の無いブログのページである。
私の句が毎日、更新されるのは、恐いようでもあるし、少し嬉しいようでもある複雑な気持ちが正直のところである。
しりとり俳句を、後から見ると、全く句になっていないのが大半だ。
よくもこんな句を投句したものだとおかしくなる。全没である。前の言葉とか、お尻の文字を繋ぐのだから無理もないと思うが、お仲間の皆さんの句には頭が下がる。
毎日、更新される句は、一応、句にはなっている。決して良い句ではないが、又、没にするほどまずくもないのである。自己過信か?
団栗で遊んで恙なき猫ぞ
地下足袋に泥や茸を持ちくれぬ
漱石は胃が悪かつたらし秋渇き
一望の海に藍刈る手を休め
おもひたちおはぎを作る秋の蝶
理想に遠く生きて西日の中