老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

やっと正面から

2017-12-30 23:17:33 | 俳句

 今年は父親がわりであった兄を亡くした。

そんな日もブログを休まずに書いた。

何故?

正面から悲しみに向きあえなかった。

ほんとうに悲しいときは、涙も出ないし、事実を受けいれるというか、思考がなくなる。
悲しみが大きく深いと内に籠らせて、声に出したり、文章を書いたりすることも出来ない。何も無かったと思いこんでいる。

 半年を過ぎた頃から、そう、もういないのだと、古い思い出や、最後の日々を冷静に考えることができだした。

俳句に詠んだ「父」の表現は「兄」のことだった。

早くに亡くなった父の記憶はあまり無く、歳の離れた長兄が父親がわりとして、大切に我儘いっぱいの私を懐深く育ててくれたのだった。

 正月の仕度は今年はパス。

買い物に行っても注連飾りや鏡餅の前は素通り。年賀状も、、、

今は兄の死の淋しさと悲しみを自然体で受けとめている自分に気づく。

 兄は読書家だった。
沢山の蔵書を旦那寺が引き取って下さり、兄の名前をつけた「N文庫」として寺の一室に設けて下さっている。

< 兄ちゃん、兄ちゃんの事をログに書くことは後にも先にもこれ一回と思います。大切な 兄ちゃんは そして母さんも、「H子」は大人になりきれずにいつまでも我儘のし放題だ、もう少し謙虚に真摯に生きよ、とそっちで言っているのが、聞えてきます。>

    🍒    たらちねの作る餅花まな裏に

    🍒    福寿草生家は今も箱階段

    🍒    兄が搗き母が杵とり餅を搗く

 

 

 

コメント
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