私の拙いブログを読んでくれている人がいる。
もう俳句は老人の手慰みと思ってい、主に書くこともできなくなったが、それでも読んで下さっている方お礼を申しあげます。
二年も前に(時代の証言者 薩摩治郎八)の事を書いた。
薩摩治郎八さんの事より、私のパッチワークの出発点となった、奥様の事を思いだして書いた。
読売新聞の「 時代の証言者 」に美輪明宏さんの登場で、その中の記事に薩摩治郎八さんの事が出てきて、奥様の事を思い出したのであった。
薩摩治郎八さんは、ご存知のとおり一世を風靡した超有名人であるが現在は昔の語り草の放蕩者としての印象で語られている。
何か薩摩治郎八さんのテレビドラマがあったらしく、ずいぶんとこれを観た人がいたらしい。
私のブログにまで影響が、、、少しパソコンで調べると見出しにこんなのもあった。
「紀州のドンファンと同じ放蕩、、、、」なんていう見出しが躍っている。
ずいぶんと人間のスケールが違うと、薩摩治郎八さんが、あちらから怒っている気がしたのは私。
「僕はそんな小さな人間じゃないよ、、、」と本人はおっしゃっているかも。
私が書いた薩摩治郎八さんの奥様に関する雑感のブログのが昨日は・30人・程くらいが読んでくれていた。
私のブログの「薩摩治郎八さん」と「石原裕次郎さんの、キャンピングカー」のブログは、もう書いて何年かになるのに、今もって読まれ続けられている。
あれ今日も、、今日も又と云う具合に読んでくれている記事なのだ。
{ブログに参加をしている人は(アクセス・ランキング)を開くと判ると思う}
人気者のご両人、何かの検索に引っかかっているのだろう。
しかし昨日の数字には驚いた。
(読んだ人は落胆をしたかも!)
あらためて、インターネット、、は凄いな~。迂闊な事は書けぬ。
俳句が駄目なら、お裁縫、それらの合間をぬってブログを書いて、老人の楽しみとしているが、驚いた、「何ということでしょう」
こんな読まれ方もあるんだ~ (*^^*)
徳島の眉山の麓の写真。
晩年は奥様の出身地の徳島で病と闘いながら暮らしたらしい。
この辺りの静かな町を、散歩していたことと思う。
私がパッチワークを習いに行っていた頃は、奥様は旦那さまをあちらに御見送りした後であった。
パッチワークの本には彼女の作品も良く掲載をされていた。お元気かしら?
獅子文六さんの小説「但馬太郎冶伝」を新聞の連載小説で毎日楽しく読んだのは、もう五十年も昔の小学生の頃であった。
“私”(獅子文六)は1930年、2度目のパリで、日本学生会館、通称メーゾン・タジマに宿泊し、設立者・但馬太郎治の名を知る。戦後、再三の奇縁から、当時、若く快男子で、日本人としてケタ違いの栄華を生きた彼の過去と現在に興味を感じる。レジオン・ドヌール勲章を胸に、パリ社交界で巨額の富を蕩尽した国際的大パトロン薩摩治郎八をモデルに真の教養人の比類なき生涯をエスプリ豊かに描く長篇小説。
読書の秋、手に入ればもう一度読んでみよう。