老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

     幸福の風景

2018-10-14 22:16:35 | 俳句

   


 秋晴れの一日、さぬき満濃公園を訪れた。

日曜日は公園内の自然生態園での観察をボランティアの方がやってくれる。
以前見た、蔓竜胆を、も一度見たくてやってきた。

このさぬきの森と名づけられた森林はウイクーデーに来ると案内者なしでは怖くて散策ができぬ。猪、蛇が、、、いるいる。

今日も池を泳ぐ蛇を見た。それも 蝮!

 それは次に、、、

     

園内を散策しているのは若い子育て最中の家族が多い。
しかし、我々のように老夫婦もいて、広い園内を思い思いに楽しんでいる。

 若い恋人かしら?
コスモスの咲き乱れている丘で語らっている。

 楽しく遊んでいる子供達を見るにつけ、幸福の景色が数十年前の私の想い出の風景とは大いに違っていることに気がついた。

       

 私が子供の時は田舎にはまだ水道は無く、写真のような、釣瓶井戸であった。
我が家は薪を商う商家でもあった。

         


 観察園の建物では昔懐かしい遊び道具があって、女の子が羽根突きをやっていた。
私が子供の頃のお正月の遊びの主流であった。

        

 夫が縁側に置かれていた、独楽を回していた。

 羽子板を突いている、この女の子の年齢の私の姿が走馬灯のように浮かぶ。
人生で一番幸せな時代だった。
 両親がいて兄や姉。
その家族を想い出すだけでも、幸福になれる。

 決して裕福では無く貧しかったけれど、その時代を謳歌し、ああ、父さん、母さんが健康で、、、

 満足そうな現代の、作られた公園の環境での楽しみに疑問を感じぬ若い世代が、昔の私達の不自由な想像もできぬ生活を、笑いながら経験を体験をやっている。
彼等が私の年齢になった時は又違った地球の風景になっている。さてどんな景色や日常が。

 猿の惑星だけにはならないように。。。。
地球温暖化で富士山だけが残っているなんて、まさか?

この平和が永久に続きますように。


      
             偲びゐる父母秋の日の過ぎてゆく

            茶の花や厨もれくる男声

            雲近く木末にありぬかりんの実   



 

     






       

 

コメント
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