よろこべばしきりに落つる木の実かな
最初の師が、風生さんが郵政省の事務次官だった時の秘書官だった。
その頃俳句を始めたと何度か聞かされているうち、風生さんは、今もって親しく偉大なお爺ちゃんみたいな俳人だと思うようになっている。。
その風生さんの俳句読本を読んでいたらこんな文章が。
____ いわゆる前衛俳句は、独立の様式の 「詩」 であって私の観念「俳句」とは違う。
俳句というラチを越えた詩的活動の所産だと思う。
俳句という季題、17音という二つの約束の下で出発をした詩であり、そういう約束に従った内容の詩へ、あとから俳句という名を与えたに過ぎないと考えたいというなが私の持論である。 ____
そうなんだ、小理屈を述べ、レトリックを縦横に使用をした、難解な句を詠み理解できない者を置き去りにした俳人が往々にして存在する。
その句が悪いのでは無く、煙にまかれ、無理に解かろうとした自分がいたりして、反省をすると同時に笑った。
迷える子羊ではなく、悠々自適を謳歌する羊がいた。
呼べば近づいて来る。髭がパーマーをかけたようにくるくると巻いている。
素直に誰にでも説明をやらなくても理解をしてくれる、ある面、下手と思われる句を詠もう、、、
秋茱萸をふふみ遅れ来人を待つ
むささびの留守らし巣穴仰ぎけり
木洩れ日に揺れる木の橋木の実降る